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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 Chim↑Pom個展『May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic』

展覧会『Chim↑Pom個展「May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic」』
ANOMALYにて、2020年6月27日~7月22日。

緊急事態宣言下の東京に設置した、サイアノタイプの感光液を塗布して「TOKYO 2020」や「新しい生活様式」と記した看板(実物と設置状況を撮影した写真)を紹介する「May, 2020, Tokyo」と、マンチェスターで行われたビール製造プロジェクト「A Drunk Pandemic」の記録映像を中心としたインスタレーションとの2つの柱から成るChim↑Pomの個展。

マンチェスター・インターナショナル・フェスティバル(MIF)のコミッション・ワークとして制作された「A Drunk Pandemic」では、コレラで亡くなった人々が埋葬されたマンチェスターの地下の廃墟でビール醸造、「A Drop of Pandemic」レーベルの瓶ビールを製造して、トレーラー型の公衆便所を「Pub Pandemic」と名付けたバーにして提供した。さらにバーのトイレから回収した尿をもとにセメントのブロックを製造する「Piss Building」を設置して、生産されたブロックをマンチェスターの通りや壁の修復材に利用した。第1会場は、ビール醸造所を設置したヴィクトリア駅地下の廃墟をイメージさせる、暗い空間。床には"C↑P"のロゴのブロックが積まれ、コレラで亡くなった女性の肖像画や、「A Drop of Pandemic」のビール瓶などが置かれている。会場奥の壁面には、ビール醸造所で行われたガイド・ツアーの模様のダイジェストが投映される。また、マンホールを都市の肛門に見立てた《Asshole of Tokyo》の展示もある。第2会場は、ラウンジのように仕立てられた空間になっていて、「Pub Pandemic」の来店者が乾杯する模様を紹介する映像や「Piss Building」で製造されたブロックが街に設置された様子を紹介。

「A Drunk Pandemic」第1会場の壁面に掲げられ、映像作品でも紹介されるコレラに感染したヴェネツィアの女性の肖像画。「顔の皮膚は縮み、目はくぼみ、唇は濃い青色」(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.56)になるという典型的なコレラの症例が示されている。

 コレラコレラ菌によって引き起こされる病気だ。この細菌を電子顕微鏡で見ると、水に浮かんでいるピーナッツのように見える。湾曲した楕円形の本体に鞭毛というしっぽのようなものがついていて、この鞭毛がモーターボートの船外機のように動いて菌を移動させる。コレラ菌はそれ単体では人間に害をおよぼさない。100万個から1億個のコレラ菌が体内に入ってきて、さらに胃液の酸性度が弱くてコレラ菌を殺してきれなかった場合に、「感染」する。(略)
 コレラ菌に触れても、それだけでは病気にはならない。口から摂取してはじめて脅威となる。コレラ菌の目的地は私たちの小腸だ。そこで二方面の攻撃をはじめる。まず、TCP線毛というタンパクがコレラ菌の増殖速度を急激に高める。コレラ菌はどんどん増殖して緻密に織ったマットのように固まり、そのマットが何百層も重なって小腸の壁を覆う。菌は爆発的に増殖しながら小腸細胞に毒素を注入する。このコレラ毒は、体内の水分バランスを保つという小腸の重要な代謝機能を壊す。小腸壁には二種類の細胞が並んでいる。ひとつは水を吸収してそれを体内に手渡す細胞で、もうひとつは余分な水分を排出する細胞だ。健康な状態だと小腸での水分吸収量は排出量より多いが、コレラ菌の攻撃にあうとそのバランスが逆転する。コレラ毒が細胞に作用して、大量の水を吐き出すように仕向けるのだ。最悪の場合、数時間のうちに体重の30パーセントもの水分が出てしまう。一説には、コレラという名称はギリシャ語の「雨どい」が語源だとされている。おそらく豪雨のときの雨どいを流れる水のようすがコレラになったときの下痢の症状と似ているからだろう。排出される液体の中には小腸の上皮細胞の薄片が混じっている。〔引用者補記:19世紀の医師が名付けた〕「米とぎ汁様便」という表現は、この薄片が白い粒子に見えるところからきているのだ。そしてこの液体の中には大量のコレラ菌も含まれている。コレラに感染すると最悪20リットルもの水分が出ていくが、そこには1ミリリットルあたりおよそ1億個のコレラ菌がいる。
 つまり、たまたま100万個のコレラ菌を飲みこんでしまったら、3~4日のうちに1兆個の新しいコレラ菌を作り出すことになる。この微生物は人間の体を工場に変えて、自分たちを100万倍に増殖させているのだ。その工場が数日で機能しなくなっても気にしない。そのころにはたいてい近くの別の工場で増産している。(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.58-60)

ロンドンではテムズ川での「大悪臭」の発生(1858年)を機に、ジョセフ・バザルジェットによる大規模な下水道建設が行われた(1865年からほぼ全面的に運用開始。ジョンソン・前掲書p.264-267)。だが、麻酔医として知られ、1840年代からコレラの発生原因の究明に取り組んだ医師ジョン・スノーは、ロンドンで1854年9月に発生したコレラ禍について、下水により汚染された井戸水が原因であるとの研究結果を発表していた。スノーがコレラの発生原因について飲料水媒介説を打ち立てる土台となったのは、コレラが猖獗を極める街を歩き回って聞き取った人々の声と、戸籍本署のウィリアム・ファーが毎週発表していた死亡週報であった。

 スノーはファーのリストからもうひとつ出ていないものを見つけた。ブロード・ストリート50番地のライオン醸造所にいる70人の従業員だ。この番地からはひとりの死者も出ていない。もっとも従業員が自宅で死んでいれば50番地の死者としては計上されないだろうから、ファーのリストだけでは判断ができない。スノーはライオンの経営者、エドワード・ハギンズとジョン・ハギンズを訪ねた。二人とも疫病が自分たちの敷地内に入ってこないことをいぶかりながらも、従業員二人が軽い下痢を起こした以外に病人は出ていないと答えた。飲料水の水源については救貧院とおなじく、民間水道会社と敷地内の井戸を利用しているという。でも、と二人は絶対禁酒主義の医者に向かって照れ笑いをしながら語った。ここの連中は水なんか飲まない、連中はビールで喉の渇きをいやしているのさ、と。(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.189)

ビール醸造所の労働者たちがコレラを発症しなかった原因は、汚染された水を飲まなかったこととアルコールの効能である。

 汚染されていない飲料水を探すという課題は、文明の誕生と同時に発生した。人類が定住生活をするようになると、赤痢のような飲料水媒介型の病気が人びとの健康を脅かすようになった。だが人類は歴史の長きにわたって、水源を浄化して健康を守ろうという解決策をとってこなかった。かわりにアルコールを飲んだ。清潔な水源が確保されていない地域では、水を消毒するのにいちばん身近なものはアルコールだった。原始農耕社会でビールを飲むことによる健康への害がどんなものであれ、アルコール消毒の効果はそれを相殺しただろう。四十代で肝硬変になって死のうがどうしようが、二十代で赤痢にかかって死ぬのに比べたらずっとましだったのだから。(略)
 皮肉なことに、ビールその他の発酵酒にそなわる抗菌特性は発酵、すなわち別の微生物のはたらきに由来する。ビールを醸造するときに使う酵母菌などの発酵性の有機体は、糖と炭水化物をATPとう生物のエネルギー通貨にあたるものに変換しながら生きている。だが、このプロセスとて代謝に変わりはない。酵母細胞は分子を分解するときに二酸化炭素エタノールという二種類の廃棄物を出す。前者は泡に、後者は酔いになる。定住生活で汚れた水が再利用されるようになって現れた健康危機と闘う中で、原始農民はそうと知らないまま発酵体のミクロ廃棄物を飲むという方法に出会ったのだ。人間は酵母菌が出す廃棄物を飲むことで、人間の廃棄物が混ざった水を飲んでも死なずにすんだというわけだ。(スティーヴン・ジョンソン〔矢野真千子〕『感染地図 歴史を変えた未知の病原体』河出書房新社河出文庫〕/2017/p.140-142)

Chim↑Pomが「A Drunk Pandemic」を展開したのはマンチェスターであるが、マンチェスターのかつてのコレラ禍についてロンドンのそれと同様に捉えて良いだろう。コレラ犠牲者が溢れていた墓穴で醸造されるビール「A Drop of Pandemic」は、彼ら/彼女らに捧げられる慰霊の酒であり、アルコールの抗菌特性による清めの酒でもある。また、Chim↑Pomから放たれた「A Drop of Pandemic」は人々の腎臓で濾過され尿になり、ブロックに変じる。コレラ菌が腸壁で緻密に織ったマット状に固まるように、ブロックはマンチェスターの通りや壁に固着するだろう。"C"holeraの"P"andemicの記憶を↑(地上)に召喚するのだ("C↑P")。コレラの発生原因は瘴気であるとか罹患率は人格によるとかいった謬見が蔓延った歴史を掘り起こすことで、原因不明の疫病に対する社会の接し方についても一考を促すだろう。会田誠が力尽きて這いつくばる人物を図案化した《TOKYO 2020》が国際的スポーツイヴェントの行く末を2015年段階で捉えてしまっていたように、2019年に実施されたChim↑Pomのプロジェクトは、コロナ禍に見舞われた世界を映し出す。優れたアーティストには神の依代のような性格(と言って語弊があるなら飛び抜けて優れた嗅覚)が認められる。