可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『恋する遊園地』

映画『恋する遊園地』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のフランス・ベルギー・ルクセンブルク合作映画。94分。
監督は、ゾーイ・ウィットック。
撮影は、トマ・ビューランス。
編集は、トマ・フェルナンデーズ。
原題は、"Jumbo"。

 

ジャンヌ(Noémie Merlant)が、光の渦に包み込まれる夢を見ている。
自室のベッドで眠っているジャンヌに、母親のマーガレット(Emmanuelle Bercot)が起きるよう声をかける。慌てて準備を始めるジャンヌ。母親が運転する黄色い車に乗り込む。マーガレットは音楽に合わせて歌い、娘にも歌うように促すが、恥ずかしがってほとんど一緒に歌わない。到着したのは遊園地。緊張するジャンヌにキスを浴びせるマーガレット。車を降りたところを地元の少年たちに見られ、からかわれる。車からマーガレットが弁当を忘れてるとジャンヌに声をかける。弁当を受け取ったジャンヌは遊園地の中へ。スタッフ用の更衣室で、他の人がいなくなるのを待ち、着替え始める。そこへ新任の園長であるマーク(Bastien Bouillon)が顔を出す。着替えを見ないように求められたマークは、ジャンヌの方を見ないようにしつつ話しかける。見ない顔だ。俺がスタッフを紹介されたときにはいなかったろ。働き始めるのは今日が初めてだけど、ここの常連だったの。女性は抵抗できないっていうけど、そんなことないよな。どいて下さい。スタッフのユニフォームを身につけたジャンヌがマークの脇を抜けて更衣室を出て行く。園内を歩いて回る。それぞれ4つの座席が付いたアーム6本が中心から伸び、アームが角度を変えながら回転するアトラクション"Move It"を眺めていると、売店の顔見知りの女性スタッフにゴーフルを振る舞われる。あの新しいアトラクションで、お客さんは吐きまくってるよ。閉園時間が過ぎ、静まりかえった園内の片隅で、ジャンヌが倉庫のシャッターを上げる。清掃道具が一式揃ったカートを取り出し、それを引きながら、ジャンヌがゴミを集めていく。"Move It"の拭き掃除をしていていると、何か気配を感じる。誰かいるの? 声をかけても反応がない。ダスターでランプを拭いていると、ランプがとれてしまう。ランプを取り付けると、そのランプが点灯する。興奮したジャンヌが"Move It"によじ登っていると、うっかり足を滑らせてしまう。高い位置で宙づりになり、手だけで身体を支えている状態に。声を上げても周囲には誰もいない。すると、"Move It"が角度を変え、ジャンヌは無事に降りることができた。園内の水辺で滝が落ちるのを眺めながら、ジャンヌは一人サンドイッチを食べる。仕事を終え、バス停のベンチに座ってバスを待つ。石に耳を当てて、その声を聞き取ろうとする。そこへマークが黒い車に乗って現れ、送っていくとジャンヌに声をかける。バスを待つと断るジャンヌだが、まだしばらく来ないと説得されて乗車する。助手席のジャンヌに話しかけてもほとんど反応がないため、マークは電話をかけるふりをする。「電話」に出ないジャンヌに「メッセージ」を吹き込むように話すマーク。ジャンヌが少し微笑む。やっと笑った! 帰宅すると、マーガレットがジャンヌの早い帰宅に驚き、そして、マークの存在に気が付き興奮する。誰なの? 職場の上司。疲れたから休む。ジャンヌは部屋に向かう。部屋には色とりどりの電球が天井から吊り下げられ、針金などを使って作られた観覧車などのアトラクションが飾られている。ジャンヌは、目下、"Move It"の制作に取りかかっていた。

 

遊園地で清掃スタッフをしているジャンヌ(Noémie Merlant)と、"Move It"というアトラクションとの交流を描く。
ジャンヌが「ジャンボ」と呼んで愛情を注ぐことになる「恋人」としての"Move It"との出会いを、映画『未知との遭遇』(1977)のワンシーンのように表現するのを始め、「ジャンボ」がジャンヌとの関係でだけ見せる生き生きとした姿を見事に描き、ジャンヌの「愛情」に説得力を持たしている。
ジャンヌが抱える「問題」を直接描かず、遊具への愛着というテーマで間接的に表現し、なおかつ夜の遊園地の鮮やかな輝きのイメージを活かしたファンタジーとして呈示することで、重たいテーマを広く届けようとの姿勢が伝わる。
マークが男性的な思考をよく表している。
ジャンヌを演じたNoémie Merlantは本作でも魅力を放っている。まずは彼女の主演作『燃ゆる女の肖像』(2019)の鑑賞を強くお薦めしたい。


以下、作品の核心に触れる。


ジャンヌ(Noémie Merlant)が、人とうまく交流できず、遊園地(の遊具)に夢中になっている。自らの部屋を夜の遊園地のイメージに飾り付け、遊具の模型を自作している。
ジャンヌの母親マーガレット(Emmanuelle Bercot)は性交渉に対する依存の程度が激しい。バーで働く彼女はフィットネスに励んで性的魅力を失わないよう努力し、常に胸を強調した衣服を身につけている。仕事場で捕まえた男を自宅に連れ混み、セックスに耽る生活を重ねてきている。ジャンヌは母親の性行為の騒音に悩まされる(ジャンヌはヘッドホンをしている)だけでなく、おそらくは母親の男によってレイプされた過去がある(マークが初めてジャンヌと話す際、女性が抵抗できるできないという言葉を発するのは、それを暗示するものだろう)。声(気持ち)を聞いてもらえず性処理の道具(モノ)として扱われた経験から、ジャンヌはモノへ共感を抱いている。だからジャンヌは、マークにモノに共感した経験がないかと尋ねるのだ。これに対し、マークは、母親から聞いたアルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse de Lamartine)の詩の一節「命なき物よ/お前にも魂があり/僕らに愛を求めるのか?(Objets inanimés, avez-vous donc une âme qui s'attache à notre âme et la force d'aimer ?)」を暗唱してみせる。これはマークがジャンヌと繋がる可能性を暗示するやり取りとなっている。だが結局、マークは、ジャンヌの声に耳を傾けることなく、自らの感情や欲求を優先する(そもそも最初の出会いの時点から、ジャンヌの言葉を意に介さず、一方的に視姦していたと言える)。それは、「ジャンボ」との関係で混乱し雨にそぼ濡れたたジャンヌを偶然職場に残っていたマークが事務所に受け容れ、そこでセックスするシーンに表されている。おそらくジャンヌはこういうシチュエーション(濡れた服を着替えるように求めているが、実際は二人きりの部屋で服を脱ぐよう促されている)では男性の求めに応じるべきだ(さもないと暴力を振るわれる)という判断から自ら身体を差し出している。マークはジャンヌがセックスを求めているとしか考えられず、確認するのは体位の選択のみである。マークがジャンヌをひたすら背後から突いて一方的に果てるのだ。そこに、ジャンヌが「ジャンボ」との交流で感じた悦びはない。
ジャンヌが言葉を発することのない石に耳を当ててその声を聞き取ろうとするのは、自らの声を聞き取って欲しいという願望の裏返しだろう。ジャンヌは遊園地のアトラクションに愛着を示すが、それはアトラクションが「遊具」であり、男の「おもちゃ」にされたジャンヌにとって自己を投影しやすいからだろう。よって、「ジャンボ」と名付けた"Move It"との交流は、自己愛に等しく、自慰の形をとることになる。

展覧会 岩崎貴宏個展『針の穴から天を覗く』

展覧会『岩崎貴宏個展「針の穴から天を覗く」』を鑑賞しての備忘録
ANOMALYにて、2020年12月5日~2021年1月31日。※当初会期1月16日までを延長。

岩崎貴宏の個展。

《アウト・オブ・ディスオーダー(針の穴から天を覗く)》は、日用品を組み合わせて再現した地上の植生から地下の地層までの環境を、「地層剥ぎ取り標本」のように断面として呈示した作品。使用されている日用品は衣類や綿棒などで、糸や毛が葉などの、綿棒が枝などの、衣類が褶曲する地層などのイメージを的確に表している。素材は黒色系でまとめられ、漆黒の闇をイメージさせる。最上部の木々の梢の辺りには、有名メーカーなどの企業のロゴ(ワッペン)が貼り付けられている。ロゴにはコーポレートカラーがそのまま用いられているため、夜の山道の向こうに姿を現した煌々と輝く看板のように見える。とりわけ、ENEOSやEssoが紛れていることから、作品の下半分に広がる「地層」に石油が集積する「背斜」が透けて見えることになる。石油会社に限らず、地中深くに眠る石油が燃やされることで地上の社会が動かされていることを表現しているようだ。

コンステレーション》は、黒いフィルムに無数の穴が開けられて、その背後から白い光が当てられることで、「星座(constellation)」を意味するタイトルと相俟って、夜空に輝く星々が見える作品。しかしながら、近づいて見ると、1つ1つの白い点が有名企業のロゴになっていることが分かる。会場周辺のコンビニエンスストアやファーストフード店を初めとするチェーン店のロゴが、実際の位置関係に基づいてマッピングされているらしい。《アウト・オブ・ディスオーダー(針の穴から天を覗く)》が社会の「断面」を切り出すものとすれば、《コンステレーション》は社会を上空から俯瞰する作品となろう。
ところで、《コンステレーション》のイメージは飛沫の拡散(のシミュレーション画像?)に擬えることも可能だという。これまで作家は日用品を風景に見立てる作品を制作してきた。例えば、衣類や布から糸を取り出して鉄塔などの構造物を拵えることで、衣類や布が山肌として姿を現すような作品である。鉄塔と架空送電線(何とも想像力が広がる名称だ)。「送電」と「感染」とは同じ"transmission"で表せる。SNSによる情報の拡散と飛沫によるウィルスの拡散とはアナロジーである。人々を繋げることとは、人々を感染させることでなくて何であろう。

歴史的に、グローバル化パンデミックは表裏をなす。1918~19年のスペイン風邪は、第一次世界大戦で兵士が世界中を移動して感染を広げた。19世紀初頭に大流行したコレラは、インドの一地域の感染だったが、大英帝国の植民地ネットワークで広がった。16世紀には、西洋人が新大陸に持ち込んだ天然痘が爆発的に広まった。中世を終わらせた14世紀のペストも、モンゴル帝国が中国の一地方から欧州へ菌を運んだ。今回は、ITベースのグローバル化の下でコロナ禍が起きた。(吉見俊哉インタビュー(聞き手:鈴木英生)「持続可能なグローバル化」『毎日新聞』2021年1月13日11面)

 

展覧会 榎忠個展『RPM-1200』

展覧会『榎忠個展「RPM-1200」』を鑑賞しての備忘録
ANOMALYにて、2020年12月5日~2021年1月31日。※当初会期1月16日までを延長。

榎忠の個展。

展覧会のタイトルは、旋盤の回転数、1分間に1200回転を表すという。表題作の《RPM-1200》は、鉄製の機械部品の廃材に溝を加え、穴を開け、磨いた銀色に輝く物体を積み木のように積み上げたもの。神殿や伽藍のような建築にも、SFで描かれる都市のようにも、生体の組織を再現した模型のようにも見える。

冒頭に掲げられるのは、1970年の大阪万博のシンボルマークを日焼け跡で腹に表した作家の肖像写真。褌姿で銀座の歩行者天国を歩くパフォーマンス《裸のハプニング》(1970)に纏わる記録。10分も経たないうちに警察官に逮捕されたという。太陽エネルギーによる描画を身体に施した作家は太陽(光)の象徴すなわち「アマテラス」であり、「天岩戸」(警察署?)に強制連行された以上、「世界」は暗闇に包まれることになる。万博会場に人工太陽(原子力発電所)からエネルギーが送られたの宜なるかな

作家は、右半身の毛を剃って、東側諸国の1つであったハンガリーを訪問するパフォーマンス《ハンガリー国にハンガリ(半刈り)で行く》を行い(1977年)、「左右」あるいは「東西)」または「越境」をテーマとした活動を行っていた(「半刈り」の作家の肖像や、ハンガリー訪問時のヨーロッパ旅行の記録写真が展示されている)。続いて、作家は、男性である榎忠を「銃殺」し、「ローズ・チュウ」という女性を生み出す。三途の川を渡って別人格として再生することで、「男女(性)」や「此岸(生)と彼岸(死)」をテーマに「越境」に再度取り組んだのだ。「半刈り」を右半身で終わらせることなく、再度左半身で取り組まれたように、作家は越境を1度(越境したまま)で終わらせることはない。越境の後、再度の越境が行われる。往還である。ローズ・チュウ(忠)とは、"ルーズ(lose) 中心"であり、中心と周縁、男性と女性といったと優劣を含んだ二項対立を無効化する志向が表れている。「彼女」は、1979年、神戸・三宮のギャラリーに、無料のバー「Bar Rose Chu」を2日間だけ開いた(本展会場には「Bar Rose Chu」をイメージした空間が設けられ、ローズ・チュウの衣装などの小物を展示するとともに、作家の活動を振り返る映像作品が上映されている。コースターのイメージはフェリシアン・ロップスの作品を想起させる)。そのバーにはシーソー式の長椅子が置かれていたというが、まさに二項対立の無効化が形象化されていたと言えまいか。

二項対立の無効化という観点は、美術についての固定観念を取り払おうとする作家の姿勢にも見受けられる。《裸のハプニング》で対峙した国家的なイヴェントや逮捕をめぐるマスメディアによる報道が多くの人を動かすものを目撃したとき、美術(作品)の規模や影響力というものについて再考せざるを得なくなったようだ。例えば、《Space Lobster P-81》(本展会場「Bar Rose Chu」内で映像資料として紹介)は、1981年の神戸ポートアイランド博覧会で発表されており、大規模イヴェントの中に入り込んでいる。また、列車や船などの廃材を組み合わせた彫刻はその巨大さでまずは観る者を圧倒しようとしたのではないか。公園に設置された《AMAMAMA》(1986年。本展では映像資料の中で紹介)の大規模、《RPM-1200》や35mmフィルムを用いた《パトローネ》の集積、マシンガン(型の彫刻)《COLT-AR-15》や女装した作家(髭を生やした「女性」は《L.H.O.O.Q.》のイメージを介してやはりデュシャンに通じる)をギャラリーや街中に持ち込む異化効果、さらには種々のパフォーマンスによる瞬間性・祝祭性といった耳目を集めるための仕掛けによって、作家は美術と日常との間にある境界を往来し、美術の領域を少しずつ拡張してきたことが分かる。

映画『新感染半島 ファイナル・ステージ』

映画『新感染半島 ファイナル・ステージ』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の韓国映画。116分。
監督は、ヨン・サンホ(연상호)。
脚本は、リュ・ヨンジェ(류용재)とヨン・サンホ(연상호)。
撮影は、イ・ヒョンドク(이형덕)。
編集は、ヤン・ジンモ(양진모)。
原題は、"반도"。

 

ヒトを凶暴なゾンビのように変えてしまうウイルスの感染爆発により大韓民国はロックダウンされ、非感染者は船で国外へと避難することとなった。
海兵隊大尉のハン・ジョンソク(강동원)は、姉(장소연)と義兄ク・チョルミン(김도윤)、その子ドンファン(문우진)を連れて車で港を目指す。地理に精通したジョンソクは迂回した方が早いと判断し山道を抜けていく。男(김태준)が車の前に飛び出し、港まで乗せていくようジョンソクに頼む。男の服に血の付着を視認したジョンソクは車を発進させる。すると男の妻(이정현子)がこの子だけでも連れて行って欲しいと窓ガラス越しに訴えてきた。ジョンソクは感染リスクを回避するためやむを得ず置き去りにする。その結果、ジョンソクたちは無事、日本へ向かう避難船に乗船することができた。ジョンソクが姉夫婦を訪ねて船室に向かうと、チョルミンは生活支援物資の支給を受け取りに行き不在だった。姉はもう日本に着いていてもおかしくない頃だとジョンソクに指摘する。そこへジョンソクの部下が目的地が香港に変更になった旨を報告に来る。ジョンソクは状況把握のため指揮官である米軍大佐(John D. Michaels)のもとへ向かう。船室でドンファンが手にしていたボールを誤って転がしてしまう。ボールを取りに向かうと、そこにいた男の様子がおかしい。男はウィルス感染者で既に症状が出始めていた。ジョンソクが大佐に目的地の変更理由を問い質していると、船内で感染者が見つかったとの報告が入る。ジョンソクはすぐさま客室へと向かう。船内には既に複数のゾンビ化した感染者がおり、その襲撃を排除しながらジョンソクは姉夫婦の船室に何とか辿り着く。姉は辛うじて感染を免れていたが、ドンファンは既に発症が始まっていた。一緒に退避することを促すが、姉はドンファンを見捨てられないと同行を拒否する。ジョンソクは姉がゾンビたちに襲われる状況を目の当たりにしなが船室のドアを閉める。ちょうどチョルミンが戻ったところで、船室のガラス越しに妻子の凄惨な姿を目撃してしまう。兵士たちが制圧のため銃を手に集まってくる。
アメリカのニュース番組で司会者(Milan-Devi LaBrey)が大韓民国でのゾンビ・ウィルスについてゲストコメンテーター(Pierce Conran)から説明を受けている。同国のバイオテクノロジー企業が発生源であること、ネットを通じてプサンが唯一安全であるとのデマが拡散し人々が殺到し混乱したこと、政府の統治機能がわずか1日で崩壊したこと、周辺国がウィルスの侵入を恐れて海域封鎖を行ったことなどが紹介される。
4年後。香港。三合会のメンバー4人がネオンがを歩いて行く。うらぶれた建物の一室に乗り込むと眠っている男を叩き起こそうとする。だが、男に即座に殴り返され、太刀打ちできない。男はハンジョクだった。リーダー格の男(차시원)が告げる。会長(Geoffrey Giuliano)がお呼びだ。ハンジョクが会長のもとへ向かうと、そこにはチョルミンの姿があった。ハンジョクがハングルで声をかける。会長はハングルを理解し、兄弟なのかと問う。チョルミンは亡き妻の弟だからもう他人だと答える。会長が説明する。ゾンビたちには必要の無い金を「半島」から回収しようとしている。ざっと2000万米ドルは積んだトラックがインチョンに向かっていたが、オモッキョで連絡が途絶えてしまった。ついてはトラックを見つけてインチョン港へ運んで欲しい。封鎖されている「半島」に向かうことなどできるのかと疑念を持つハンジョク。だが会長は当局に手は打ってあると素っ気ない。チョルミンが取り分を聞くと、半々だという。ジョンソクとハンジョクが屋台で酒を呑んでいる。ジョンソクはできないと告げると、チョルミンは自分たちの置かれた惨状を訴えて同行を促す。それでも頑なに拒むジョンソクに、チョルミンは俺は行くと声を荒げる。周囲の客がハングルを聞き、「半島」の奴らだとざわつく。店主も金は要らないからすぐに出ていけと叫ぶ。ジョンソクは立ち上がって金を叩きつけると酒を飲み干して立ち去る。
ジョンソクは、「半島」へ向かう船上の人となった。トラックを回収に向かうチームには、チョルミンの他に男(박종범)と女(황연희)がいた。ジョンソクを呼び出しに来た男がこのヤマの監督として乗船しており、実働部隊の4人にルールを告げる。ゾンビが音や光に反応するから夜に行動しろ。インチョンで待つのは3日間。トラックを回収できたら衛生電話で連絡しろ。情けは死を招くことになる。チョルミンとジョンソクは身内だからリスクにならないかと仲間の男に問われるが、チョルミンはこのヤマを終えたら会うこともないと言下に否定する。4人はゴムボートでインチョンに上陸する。赤外線スコープを装着して慎重に歩み始める。路面には、神は我々を見捨てたと殴り書きされていた。

 

ゾンビ・ウィルスが猖獗を極める大韓民国から脱出する際、生き延びるために姉(장소연)や救いを求めた人を見捨てることになってしまったハン・ジョンソク(강동원)が、後悔を抱えながら地下生活を送る中、義兄ク・チョルミン(김도윤)とともに祖国に舞い戻り、大金を強奪する犯罪組織のプロジェクトに関与することになった顚末を描く。
ゾンビの動きが極めてスピーディーかつアクロバティックであることなどから、ゾンビ(ホラー)映画というよりもテンポの良いアクション映画という印象を受ける。そこが広く受け容れられる理由の一つと考えられる。なお、『新感染 ファイナル・エクスプレス(부산행)』(2016)(未見)の続篇であるが、前作を見ていなくとも鑑賞に支障は全くない。

映画『チャンシルさんには福が多いね』

映画『チャンシルさんには福が多いね』を鑑賞しての備忘録
2019年製作の韓国映画。96分。
監督・脚本は、キム・チョヒ(김초희)。
撮影は、チ・サンビン(지상빈)。
編集は、ソン・ヨンジ(손연지)。
原題は、"찬실이는 복도 많지"。

 

チ監督(서상원)の新作映画の出演者やスタッフが酒席を囲んでいる。酒の瓶がテーブルを埋めていく。皆、酔いが回ってきたところで、ゲームを始まる。負けた人は必ず飲むこと。監督が負けてグラスを呷ったところで、苦しそうな表情を浮かべる。イ・チャンシル(강말금)は監督がふざけているのだろうと思ったが、どうやらそうではないらしく…。
チャンシルと3人の仕事仲間の若者が荷物を持って急坂を登る。チャンシルは途中で1回休もうと音を上げる。チ監督作品のプロデューサーを務めてきたチャンシルは、監督とともに仕事もを失い、ソウル市西北部の貧困地区に引っ越すことになったのだ。家主の老婆(윤여정)が出迎える。家に上がったところで一人がドアに手をかけたところ、その部屋には絶対に入らないでおくれと家主が声を上げる。奥の部屋にお願い、とチャンシルが後輩たちに指示を出す。変わった大家さんですね。作業を終えた後輩にジャージャー麺を食べさせていると、突然、友人で女優のソフィー(윤승아)が顔を出す。色めく男たち。ソフィーがチャンシルに抱き着く。やつれたね。5キロ痩せた。二人は窓から景色を眺める。見晴らしがいいから私の家が見えるよ。
チャンシルが一人歩いていると、たわわに実ったカリンの木が目に入る。思わず立ち止まって見上げる。樹の上で熟していくだけ、か。
果物で思い出す。果物を盛った皿や豚の頭などを並べ、映画の成功を祈願するコサ(告祀)を行ったクランクイン当日のことを。映画制作会社のパク社長(최화정)は今回はヒットしそうだと機嫌が良く、監督の作品はあなたの支えがあってのものと讃えてくれた。夜、監督をはじめ出演者やスタッフで酒席を囲んだ。皆に酔いが回ってきたところで監督が提案したのだ。お題を出して該当すると思う人を指さし、一番多く指を指された人は必ず一杯飲むことにしようと。監督は一番心の綺麗な人として私を指さしてくれた。嬉しさを隠そうと思わず茶化してしまったけど。一番浮気をしそうな人では、一番指を指された監督が苦しそうな表情を浮かべた。監督がいつもの下手な芝居を打って誤魔化そうとしていると思ったのに…。
チャンシルがソフィーの部屋を訪ねる。テーブルや台所は散らかしっぱなしだ。シャワーを終えたソフィーが顔を見せる。家政婦さんが怪我で辞めてしまったの。仕事がないというチャンシルにお金を貸そうかと提案するソフィー。借りるんじゃなくて稼ぎたいというチャンシル。チャンシルはソフィーの家政婦をすることにした。
チャンシルがソフィーの部屋で仕事中、フランス語の家庭教師キム・ヨン(배유람)が訪ねてくる。ソフィーはギター教室にレッスンに行ったと告げると、ヨンは出直すと言う。そのうち思い出して戻ってきますとチャンシルはヨンをとどめる。ヨンは映画監督だがそれだけでは食べて行けず、フランス留学経験を活かしてフランス語を教えていた。チャンシルの言う通り、ソフィーがフランス語の授業を思い出して戻ってくる。ソフィーが改めてお互いを紹介する。チャンシルとヨンが握手しようとすると、バチっと静電気が走る。ソフィーは果たして静電気だけが原因なのかと訝る。

 

大好きな映画一筋で突っ走ってきたイ・チャンシル(강말금)が、40歳にして映画プロデューサーの仕事を失い、人生を見つめ直す。
年齢を重ねていく中で生まれる焦燥感から夢と現実とが交錯し、そのことがさらに悩みの種となってしまう悲惨さが描かれる。寂しさがゆえに優しさを愛と勘違してしまうといったセリフも刺激的。だが、チャンシルが一人歩いてると画面を横切る白いランニングシャツの男(実は重要な「存在」)や、クロージングクレジットで流れるテーマ曲などに象徴される、独特のユーモアを持つファンタジーの要素が映画を温かく包んでいる。
映画業界で男達と渡り合って年齢を重ねてきたことが、冒頭の緩やかな坂道を後輩の男たちとともに登っていくシーンで瞬時に伝えてしまう。あるいは、若い女優のマンションで、ちょっとした段差に蹴躓くなどで寄る年波を遠景にさっと挿入する。映像による伝え方が巧み。
ホン・サンス監督作品のプロデューサーを務めてきたキム・チョヒ監督だけあって、『それから』などホン・サンス監督的なイメージが随所に感じられた。居酒屋のカウンターで呑むシーンは小津安二郎監督の『東京物語』(1953)、アコーディオンを演奏するシーンはエミール・クストリッツァ監督の『ジプシーのとき』(1989)に基づくようだ(台詞から分かるが両作品とも未見のため詳細は分からない)。デヴィッド・クローネンバーグ監督の作品を思わせるシーンはあるかどうか不明。映画に詳しい人なら沢山の発見がありそうだ。
冒頭における、画面サイズの切り替え。
チャンシルの引っ越し先は、ソウル市の西北部、ホンジェドン(弘済洞)にある「アリ村」。貧困地区としての歴史があるが、作品内にもちらっと映り込む壁画で近年は知られているらしい。
予告編のナレーションの声、そしてタイトルコールが尻上がりになっているのも映画の雰囲気によく合っている。