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芸術鑑賞の備忘録

映画『mid90s ミッドナインティーズ』

映画『mid90s ミッドナインティーズ』を鑑賞しての備忘録
2018年製作のアメリカ映画。85分。
監督・脚本は、ジョナ・ヒル(Jonah Hill)。
撮影は、クリストファー・ブロベルト(Christopher Blauvelt)。
編集は、ニック・ヒューイ(Nick Houy)。
原題は、"Mid90s"。

 

1990年代半ばのロサンゼルス。部屋から突き飛ばされたスティーヴィー(Sunny Suljic)が廊下の壁に叩きつけられる。廊下に転がったスティーヴィーに馬乗りになると、兄のイアン(Lucas Hedges)が殴りつける。自室に戻り、鏡で傷を確認するスティーヴィーは、自ら叩いて痛みを再確認する。部屋には絶対入るなよというイアンの言葉を合図に、スティーヴィーはイアンの部屋に入り込む。壁に等間隔に掛けられたキャップ、整理されたクローゼット、きちんと重ねられた雑誌、整然と並ぶカセットテープやCD。スティーヴィーは床に置かれたダンベルを持ち上げてみる。イアンの18歳の誕生日。スティーヴィーは母のデブニー(Katherine Waterston)とともにレストランでイアンのお祝いをする。デブニーには今、気になっている男性がいるらしい。お前の年の頃にはもう子供がいたの。想像できる? 母の問いかけにイアンは憮然としている。スティーヴィーがイアンにプレゼントを差し出す。持っていないやつだと思うんだ。イアンは包みを開けてはみるが、プレゼントのCDをすぐさまテーブルにおいて、その上に丸めた包装紙を重ねてしまう。昼間にスティーヴィーが自転車で走っていると、「モーター」というスケートッショップの前でスケートボーダーたちが屯しているのに出くわす。隣の無線機店の店主(Jahmin Assa)が出てきて商売の邪魔だからどいてくれという。どこうとしない彼らに、店主は湾岸戦争帰りの俺にはお前らなど何でも無いと強がってみせるが、結局、店主は店の中に引っ込んでしまう。興味を持ったスティーヴィーは、「モーター」に向かう。店の奥のソファでは、レイ(Na-Kel Smith)を中心に、「ファックシット」(Olan Prenatt)、「フォース・グレイド」(Ryder McLaughlin)、ルーベン(Gio Galicia)が、父親のをしゃぶるか、あるいは母親のを舐めるかという「究極の選択」をネタに駄弁って、客(Aramis Hudson)をドン引きさせていた。ますます彼らに惹かれたスティーヴィーは、兄のスケートボードを不利な条件の物々交換に応じて手に入れると、「モーター」に向かう。グループで一番若いルーベンと知り合ったスティーヴィーは、話し方やタバコを教わる。礼を言うスティーヴィーだが、ルーベンは、礼を口にするのはゲイだけだと蔑む。さらに、スティーヴィーの蛍光カラーの恐竜のボードをけなしたルーベンは、40ドル出せば自分のボードを譲ってやるという。金策に困りイアンに相談すると、母親の金を盗るよう唆される。しかも40ドルを口止め料として請求される。躊躇うスティーヴィーだったが、意気地がない奴だと罵倒されると、母親の金に手をつける。「モーター」でルーベンからスケートボードを譲り受けてご満悦のスティーヴィー。「フォース・グレイド」がレイにぶつけた「黒人は日焼けするのか」という疑問の答えをレイからふられたスティーヴィーは、クールな答えを考えあぐね、ひねり出した答えは、「黒人って何?」。レイは気に入ったと笑い、「ファックシット」はスティーヴィーを「サンバーン」と呼ぶことにする。「サンバーン」は自宅で一人スケートボードの練習を重ねる一方、プロ並みのスケートボードの腕を持つレイ、スケートボードより酒と女に目が眩んでいる「ファックシット」、寡黙でいつもビデオカメラを回している「フォース・グレイド」、そしてメンターのルーベンと行動をともにするようになるのだった。

 

兄イアン(Lucas Hedges)からの支配から抜け出そうと足搔くスティーヴィー(Sunny Suljic)が、自由で媚びないスケートボーダーにロールモデルを見出し、少しでも近付こうと奮闘する姿を描く。
冒頭の虐待シーンは映画『マン・オブ・スティール』(2013)の戦闘シーンを髣髴とさせるスピード感。あえてずらしたような効果音と相俟って、残虐さを多少なりとも緩和している。それでも痛々しいシーンだが、このような家庭の事情によってスティーヴィーの暴発が無理からぬものとなる。
Sunny Suljicの、スケードボードをもらったときの至福の笑顔などに見られる幼さによって、彼が無理をして大人になろうとしていることが見事に強調される。Na-Kel Smithがスケートボードの技術だけでなく、頼りになる先輩としての魅力を存分に振りまいている。そしてKatherine Waterstonが演じる若い母親の色気は、兄弟の運命を狂わせる遠因として、説得力がある。
新型コロナウィルスがパンデミックを惹き起こすよりも前の作品だが、コロナ禍に上映されることで、図らずも「ステイホーム」が困難な事情を抱える存在を示すことにもなった。