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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 泉桐子個展『WE CAN'T GO HOME AGAIN』

展覧会『泉桐子個展「WE CAN'T GO HOME AGAIN」』を鑑賞しての備忘録
横浜市民ギャラリーにて、2020年8月28日~9月6日。

泉桐子の絵画展。

冒頭は、《出口》と題された絵画と、《隅の人》(2点組)と《眩しかった日》という板絵を展示。続く展示室では、黄金町に取材して「人魚と黄金」と題された、板に墨で描いたモノクロームの小品群36点を紹介。最後の空間では、正方形(?)の板を組み合わせて描かれた作品(4作品?)を(2作品×2作品?で)つなぎ合わせた(35枚×42枚?)表題作《WE CAN'T GO HOME AGAIN》が高さ4mくらいの壁面を覆い、板絵の《脱出》で締めくくられる。

《出口》は、画面のほとんど全てを立ち並ぶ樹木が埋め尽くす。数多く描き込まれる短い描線が木々の生い茂る様を強調している上、外周に補色となる赤が配されるが、暗めの絵具とマットな質感とが落ち着いた雰囲気を生んでいる。周囲を二重に囲むピアノの鍵盤のような帯が出口のサインであろうか。出口に広がるのが森ならば、この出口は都市を抜け出すための装置なのかもしれない。

「人魚と黄金」シリーズの板絵は、板を墨で塗り、削ることで描画している。板、墨、彫りから容易に木版画を連想させる。『月映』の版画、とりわけ藤森静雄の作品を思わせる。板絵の表面は引っ掻くなどして「ダメージ加工」が施されることで、古びた感じが演出されている。展覧会タイトル"WE CAN'T GO HOME AGAIN"と相俟って、郷愁を誘う趣向だ。かつての私娼窟に取材した成果は、《人魚と黄金/花街》に表れている。縦長の矩形が4つ並べられ、それぞれに抽象化された女性像を描き入れられているのは、建物を縦に仕切り、それぞれが階段で布団がギリギリ敷けるだけの狭小空間へと通じた「ちょんの間」の表現だろう。《人魚と黄金/人形》はワンピース(?)を着せたマネキン人形を背後から描いたものだが、2箇所で束ねた髪が腰まで下がっている様子が生身の人間を連想させ、オブジェと化した女性(=モノとして扱われた女性)を連想させる。《人魚と黄金/スカート》では、夜の水面に揺蕩うように描かれた女性像。両腕を左右に大きく広げ、スカートの裾が広がる。《人魚と黄金/花街》との対比で解放感を生む。《人魚と黄金/三姉妹》は着物を着た3人の女性が寄り添う後ろ姿を描く。仮に三美神が男性が複数の角度から女性を味わう(視姦する)ための画題だとすれば、この作品は、女性たちが連帯することで性的搾取から身を守る図像とも解される。《人魚と黄金/影》はランプとその影を描いた作品。地の墨の中に影が明るく表されることで、「影」の光ないし灯火の意を浮き彫りにし、反転可能性の希望を謳うようである。《人魚と黄金/隙間》の建物の狭間で壁に背を凭れる人物も、建物の陰に潜むのではなく、スポットライトを浴びているのかもしれない。これらの他にも、女性が差し伸べる左手のみが誇張されて大きく描かれた《人魚と黄金/寒い日》や、"3"(3つの重ねられた円)が「無限大」であることの寓意のような《人魚と黄金/ 》(タイトルのスラッシュの後は空白)など、興味をそそる作品が目白押しとなっている。

表題作《WE CAN'T GO HOME AGAIN》は、森や川を影のごとく表された3人の人物が進んでいく。複数の絵画を組み合わせたことで3人の人物が繰り返し登場することとなり、絵巻物の異時同図法のような効果を生んでいる。植物、水などのモティーフがうねうねとくねり、あるいは何かとつなぎ合わさり、さらにまた流れていく様は、アール・ヌーヴォーの表現に通じる。正方形の板ざっと1500枚を組み合わせることで画面を構成しているが、本来の位置から部分的に板の場所を入れ替えることで、故郷(=home)という本来の場所に戻ることができないことを表現している。コロナ禍に見舞われた社会がかつての姿に戻ることはできないことの暗示でもあろう。