可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 石田文個展『はだしで転がる』

展覧会『石田文「はだしで転がる」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2022年7月4日~9日。

石田文の絵画13点を展観。

《みずき》(610mm×610mm)は、薄い藤色の画面に、横方向に伸びる波打つ線あるいは短い線の連なりを、下から上に徐々に幅が短くなるように、朱で描いた作品。画面上部では黄味を帯びた明るい色で点の重なりとなっている。朱の波線には黄が添えられるように差されている。花や葉の輝きの重なりであり、葉陰の連なりでもある。枝が水平に広がることで現れる段々の樹形という、水木に特徴そのものが抽出されている。同じく水木をモティーフとする《みずき》(1300mm×1300mm)では、白地に、葉を表現する緑味を帯びた灰色の波線と、白い花を表わすと思しきクリーム色の線が挿まれ、やはり階段状の樹形が表現されている。頂部が2つあり、連続する波線も画面中央で線対称のように別れていることから、2本の水木が並び立つようだ。灰色の絵の具は濃淡で面状に広がり、ところどころで垂れているクリーム色の絵の具と相俟って、ミズキの枝葉が風に揺れる様子が窺える。
黄土の地に並び立つ2本の杉を描いた《杉》(1450mm×1120mm)は樹形こそ針葉樹のそれであるが、葉は円を描くような筆運びで丸みを帯びた形で表わされている。絵の具が垂れるように形が崩れていく表現とともに、風に揺れる様を描き出そうとしているようだ。緑ではなく、白とオレンジで表わされた葉は、陽光を受けて様を表わすのだろう。

《187号線の山》(800mm×1200mm)は、山と空とそれらが受ける光とを白・レモン・薄い灰青で曖昧に表わした画面に、淡墨を用いて、奥に向かって伸びた先で左方向に消えていく国道を低い位置に、その上に山の稜線のような影を描いている。黒い影は国道の脇の辺りでは樹木を表わすため縦に垂れる線で、それにより上側では稜線が横に流れる線で描かれている。画面を90度倒して絵の具を垂らすことで描いたものだろう、この横に流れる線は、自動車を飛ばしている際に擦過する景観に対する知覚自体の画面の投影のようだ。広重は《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》において、驟雨に道を急ぐ旅人や農夫という何気ない景観を、雨の山道に直行する細かな直線、雨雲の墨による暈かし、竹林のシルエットによって印象的に表わすことで、東海道の小さな宿場を後の人々の記憶に留めた。《187号線の山》もまた、光を浴びて溶けるような茫漠とした山並みと空に、恰も爪を立てて引っ掻くように稜線や樹影を表わすことで、中国山地のなだらかな山中を抜ける国道を、後を引く景観へと昇華させている。
《そろそろのそ》(410mm×410mm)は、生け垣ないし庭木と建物の間の隙間が奥左手に向かって延びる景観を描いている。隙間の向こうから光が漏れるのか、隙間は白く表わされている。この作品を読み解くためにか、隣には油紙とアクリル板とで製作された無題作品が並べられている。鉛筆で大きな格子を描き入れた油紙に透明のアクリル板を被せ、その左側には余った油紙が3分の1ほど折り返されている。この折り返しによってできる影ないし隙間が、《そろそろのそ》の空白の隙間と呼応しているのは疑いない。無題作品の右下には折ることで正方形状になった白い紙が挟み込まれており、光源を表わすようでもある。あるいは《そろそろのそ》の右下にはライトがあって、左奥へ向かって光を放っているのかもしれない。さらに2つの作品の下には、《シーズンオフ》と題されたテニスコート(の手前の空間?)を描いた作品がある。ここでは画面中央奥に建物ないし壁がつくる隙間が闇として表わされている。そして、画面右下には倒れた白い椅子と、その隣に置かれたもう1脚の白い椅子が画面左上方向に黒い影を延ばしている。長い影と建物の隙間というモティーフは、ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)の《通りの神秘と憂愁(Mistero e malinconia di una strada)》(1914)を髣髴とさせる。実際、2011年に制作された《シーズンオフ》において右下から奥に向かって延びる光ないし影と、奥側の隙間ないし闇という構図は、近作(2022年制作)の《そろそろのそ》(及びそれに関連する無題作品)の構図と共通しており、作家が追究しているテーマと考えられる。改めて2022年制作の《187号線の山》に目を遣れば、右手前から奥に向かって消えていく国道を描いており、隙間ないし闇に向かって吸い込まれていく感覚が組み込まれていることが分かる。作家は、かつてデ・キリコの《通りの神秘と憂愁》に登場する輪回しに興じる少女であったのかもしれない。裸足で(輪を)転がしていた少女は、成長して画面の外へと飛び出した。今でも絵筆(≒棒)を丸く動かす(あるいはクルマを転がす)が、画面に現れることはない。