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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『The Heartfelt Garden 金沢美術工芸大学荒木研究室選抜日本画展』

展覧会『The Heartfelt Garden 金沢美術工芸大学荒木研究室選抜日本画展』を鑑賞しての備忘録
松坂屋上野店7階アートスペースにて、2023年1月11日~17日。

金沢美術工芸大学荒木恵信研究室の12名の作家による展覧会。

𠮷江寛の《モモイロカオリ》(333mm×242mm)は、右肩が露出する白いトップスを身に付けTた女性の胸像。まず眼を引くのは、顔の上に大胆に遇ったハートマーク。敢てさっと描き加えるような表現は、ワンショルダーによる斜めのネックラインと相俟って、瞬時の心の揺れを伝える。また、左右に垂らした髪の右側を摑む右手が、袖口の白が同色の服に溶けて、舟越桂の木彫(例えば《言葉をつかむ手》)の身体に取り付けられた手のように、浮かんで見える。髪を触る仕草が動揺を抑え込むための取って付けたものであることが浮き彫りになる。
同じく𠮷江寛の《カリタホン》(333mm×242mm)は、若竹色か薄浅葱か、緑味のある明るい青の表紙の本を両手で持つ女性の胸像。顔の半分が隠れる高い位置に掲げられた本は、暗い濃紺(?)のシャツを背に浮き立つ。本の表紙には桜の枝と花とが遇われ、その描かれた桜が散りかかるように女性の着衣にも表わされている。読書を描いた作品と捉えれば、本の内容が腑に落ちた様子を表現したものと解される。もっとも、女性は目を閉じているため、本の香りを嗅いでいるとも考えられる。それならば、借りた本の持ち主に思いを馳せている様子を描いたものだろう。

前田茜《檜林》(318mm×410m)は、檜林を画面左側の上部寄りと画面右側の下部寄りに、ベージュの余白を残して描いた作品。檜は、垂直に伸びる幹をリズミカルに配した上、樹冠とともに木洩れ日が作る影と(あるいは下草までも?)が渾然一体として表わされている。檜ではなく、飽くまでも植林された檜の作る環境を表現しようとしている。檜林を2箇所に離し、なおかつ画面右下と右上とにややずらして位置させることで、画面内に閉じずに、画面の外への広がりを企図している。

新藤美希《思い出》(318mm×410m)は、回転木馬の2頭の白馬を描いた作品。右方向に向かう白馬は横向きで、やや位置をずらして前後に重なるように表わされている。白い体に淡い赤や緑の鞍などの馬具が馴染む。黄色い明かりに照らし出される装飾は胡粉によって盛り上げられてレリーフのように表わされ、記念の品としての印象を生んでいる。、回転木馬を描きながら廻転を示唆する表現がほぼ排されているのは、再び巡り来ることを望みながら決して訪れることのない過去を表現するためであろう。憧憬が失われたものを固着させ、美化させようとする、その働き自体を描き出そうとしている。

中田日菜子《蛇の部屋》(530mm×455mm)は、蜷局を捲く蛇を表わした作品。画面中央上部に頭を覗かせ、その周囲を体がぐるぐると取り巻いている。その渦に鑑賞者は巻き込まれることになる。蛇の体に目を向けて見る。格子のような鱗は黄色の地に、黒が模様を作り、その黒の中に赤紫や藍が点じられている。蛇の鱗が表わすのは光と闇ではなかろうか。それならば、蛇が蜷局を捲くのは天体の廻転に比せられよう。作家の「蛇の部屋」は宇宙を模した箱庭なのかもしれない。本展のタイトルに冠された庭(garden)もまた、洋の東西を問わず、宇宙を擬える性格を有していたのではなかったか。

淺野由大《星を見る》(410mm×318mm)は、左肩に載せた黒いウサギを見詰める女性の肖像を正方形の画面に表わす。その画面の背後の黒い紙の左上には、月をイメージさせる、白で描いた円(の右下側)が配されている。だが女性の眼差しが注がれるのは画面外(左上方)の月ではなく、目の前の黒いウサギである。ウサギの眼は黄色い丸で、満月として表わされている。その周囲には漆黒のウサギの輝く毛に、瞬く星の光が点じられている。ウサギは月であることを超え、宇宙となっている。宇宙は空の彼方に広がるのではなく、常に目の前にあることを示唆する。