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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 中田日菜子・山岸千穂二人展

展覧会『中田日菜子・山岸千穂二人展』を鑑賞しての備忘録
数寄和にて、2023年6月2日~11日。

中田日菜子の蛇をモティーフとした作品と、山岸千穂のバタフライエフェクトのシリーズを中心とする、絵画展。

山岸千穂の《バタフライエフェクト》は、裏箔を施した画面の中央やや右手の下から伸びる2本の細い竹と、その右手で羽搏くクロアゲハとを描いた作品。ほぼ真上に伸びる竹が淡く表わされ、画面下端に達しないうちに見えなくなるのに対し、左側に撓った竹は濃く表わされるとともに下端まで描かれることで、蝶の羽搏きによって生まれた空気の振動、その効果を誇張して表現している。可視化されるのは2本の竹だが、奥へ向かってその効果が波及していくことが想像される。
山岸千穂の《バタフライエフェクト1》は、画面右端から伸びる竹の枝が画面中央に向かって葉の重みによって緩やかに撓み、その左側に羽を上向きに拡げたキアゲハ(?)を描く。《バタフライエフェクト》のように奥へと風が送られるのではなく、蝶の羽搏きによる空気の流れは右へ向かう。山岸千穂の《バタフライエフェクト2》は、ほぼ同じ構図だが、キアゲハ(?)の羽が下に向かって拡げられ、竹の葉がわずかに右方向に揺れ、複数の葉が全体として若干膨らんでいる。2作品の組み合わせにより、《バタフライエフェクト1》から《バタフライエフェクト2》へと時間の推移を表現したものであることは疑いない。また、出来事の発端の違い(選択肢)を表現したものとも、平行する複数の世界とも解し得る。さらに、竹の葉1枚ずつが、1葉(よう)の紙(=作品)のアナロジーであるとすれば、むしろ画面内に入れ籠に並行宇宙を表現しているとも考えられよう。一種の曼荼羅である。

中田日菜子《ガラスの部屋》は、ガラスケースの中で蜷局を捲くニシキヘビを描いた作品。中央左側に左向きの細い顔が、右方向に伸びる太い体から覗いている。鱗で覆われた体表は、黒い部分と、白地にオレンジが広がり黒を転じた部分とで構成される。体は右側で奥へ向かって曲り、左側に伸びて画面左側で手前に下がって来ると、再び右方向に伸びる。画面の下部は帯状に霧が掛かるように蛇の身体が淡く描かれ、ガラスの壁面があることが表現される。とりわけ特徴的なのは、蛇の顔の左手に縦方向の線がうっすらと入れられていることである。画面下部の光の反射に変化が付けられていないことから、ガラスケースの角の表現ではなく、ガラスの接合面であろうか。唐突な直線は、ガラスケースの閉鎖的な環境を突破するきっかけとなり得る切れ込みにもなるだろう。雪舟の代表作《秋冬山水図》の冬景には、上部の余白に向けて縦に伸びる線が印象的であるが、効果という点ではそれに匹敵するものがある。
中田日菜子《這う》は、アオダイショウが右から体を伸ばし、画面左手で手前に曲がって、画面中央に頭を擡げる様を描く。アオダイショウの頭の向き(あるいはその視線の先)は、画面外へと伸び、その長大な体への想像を鑑賞者に促す。それによって、蛇の身体が∞を形作ろうとしているように見受けられる。ウロボロスのように自らのを尾を噛むわけではないが、∞に永劫回帰を見出すこともできなくはないだろう。
中田日菜子《渦》には、墨の濃淡のみでアミメニシキヘビが蜷局を捲く姿が描かれている。渦を巻く身体の中に頭を擡げる様子は、アミメニシキヘビの区画(?)の中に点を入れた模様のアナロジーとなっている。渦、回転運動の宇宙が、蛇の身体全体と、個々の模様とで入れ籠になっている。この点に、山岸千穂の「バタフライエフェクト」シリーズと通じるものがある。