可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ガッデム阿修羅』

映画『ガッデム阿修羅』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の台湾映画。
114分。
監督は、ロウ・イーアン(樓一安)。
脚本は、ロウ・イーアン(樓一安)とチェン・シンイー(陳芯宜)。
撮影は、ヤン・フォンミン(楊豐銘)。
美術は、トゥ・シュウファン(涂碩峯)。
衣装は、ヤン・リィジァ(楊立佳)。
照明は、シエ・ソンミン(謝松銘)。
音声は、フゥ・シュウソン(胡序嵩)。
編集は、チェン・シンイー(陳芯宜)、チェン・シャオドン(陳曉東)、ロウ・イーアン(樓一安)。
音楽は、チン・シュウチャン(秦旭章)、シュウ・ジァウェイ(許家維)、チュアンリゥ(川流)、サイジァイン(蔡佳穎)。
原題は、"該死的阿修羅"。

 

夜市の屋台。お兄さん、お客さんが待ってるんだ。すいません。いくら? 60元。シャオシュン[小盛](賴澔哲)が支払いをしていると、悲鳴を上げながら人々が走って来る。どうした? 男が銃を持ってる! 散発的に銃声が聞こえ、人々が銃を撃つ男から逃げているのが分かった。シャオシュンはスマートフォンのヴィデオをオンにして駆け出すと、途中で屋台の影に隠れ、狭い通りを逃げる人々にカメラを向けた。若い男が近くにいる人を撃ちながら少しずつ近付いてきた。撃たれて倒れ込む店員が悶えている。通報は? 早く! 倒れた人を介抱する人が叫んでいる。被害者を撮影している間に、シャオシュンは銃撃犯の姿を見失った。おい、後ろ! 向かい側でスマートフォンで撮影していた男(莫子儀)がシャオシュンに向かって叫ぶ。振り返ると銃撃犯がいてシャオシュンが撃たれた。スマートフォンのカメラは夜空を映したままになる。
《第1章:怒りのゼロ》
廃墟の中に立ち尽くす戦士、そして離れた場所から振り返る犬が、漫画に描かれている。
またあの夢を見た。夢の中では世界中から人類が消え去り、僕とオレオだけに。
店先の檻の中でぐるぐる廻る犬をジャンウェン[詹文](黃聖球)がスマートフォンで撮影している。ジャンウェン、急げよ。アーシン[阿興](潘綱大)が急かす。毎日同じもの撮ってるのか? 店主が出て来るぞ。アーシンが檻を開けて犬を外に逃がす。犬が途中で振り返る。行け。
露店の立ち並ぶ通りをスケートボードで抜け、2人は商店の入る古いビルの狭い階段を登っていく。オレオは立ち去りたくないみたいだったな。立ち去りたくないお前に分かるのか? 分かるんだ。
アーシンの部屋。ジャオウェンはベッドに坐りラップトップを起ち上げる。アーシンが結末を描いたとジャオシンに漫画を渡す。結末が唐突で残念か? 『怒りのゼロ』は打ち切り。変な感じだ。打ち切らないならどうする? とにかく僕は出国するんだからさ。まずはゲームをやろう。勝手な奴だな。外国に行ったら、一緒に漫画は描けないだろ。一緒にアニメを勉強するんじゃ無かったのか? ログインしたぞ。2人はネットゲーム『王者世界』を始める。どこにいるか尋ねるジャオウェンに、冥界への橋で待ってるとアーシンが答える。今すぐ橋を渡るつもりか? お前が渡りたいんだろ? 能力とアイテムはアップグレードされるのか? 賭に出たいかどうかだ。今なら多くのものを失うことになる。お前らしいよ、毎回同じことを繰り返すんだ。
リンリン[琳琳](王渝萱)が帰宅して、テーブルで資料を眺めている母親(張詩盈)に言う。住民説明会の話、聞こえないでしょ。何で補聴器使わないわけ? 理解できないなら時間の無駄でしょ。補聴器着けなよ。キンキンして聞こえないの。頭が痛い。頭痛? リンリンが冷蔵庫から飲み物を取り出し、ラッパ飲みする。A棟はすごく高い建物だから、B棟かC棟に入居したらお日様を拝めなくなる。13坪を10坪にするって言ってるのに、それでも住みたいの? 何? 要するに、補償金をもらって出てけばいいってこと。端金でどこへ行くって言うのさ。リンリンがフードケースを冷蔵庫から取り出す。何でこんなに余ってるの? おにぎり売り切れなかった? 起きるのがいつもより遅くなってね。どうせ深酒したんでしょ。何? 別に。
高校。数学の授業。教師(舒偉傑)が確率について説明している。…x=0のとき、どうなるか。陰が3回連続で出ることになる。その確率は1/2の3乗、従って1/8。杯筊を投げて13回連続で陰が出る確率は…。リンリンが漫画を読んで笑い声を上げる。何が面白い? 周囲の生徒がリンリンに声をかけて気付く。何を見て笑ってる? …8192。2の13乗です。周囲の生徒はすごいと反応。別にすごくはない、3年生なら分かってなきゃ。リン・ジァリン、カラオケ店でアルバイトをしなくて済めば時間が出来るだろう? 数学の能力は確かだから国立大学に進学したらどうだ? でも授業料も払えてないんです。援助してくれるんですか? 何だって? 母の補聴器も高すぎて買えません。私に買ってくれます? よし、数学の特別選抜に出願するなら支援しよう。教師の意外な反応にリンリンは固まり、他の生徒たちは驚きの声を上げる。

 

公務員のシャオシュン[小盛](賴澔哲)は、夜市の屋台で、広告会社に勤務する婚約者のヴィータ(黃姵嘉)を待っていた。そのとき、若い男が無差別に人々を銃撃する事件が発生。スマートフォンで撮影していたシャオシュンは、男に撃たれてしまう。「黴菌」を名乗る記者(莫子儀)が偶然居合わせていた。
《第1章:怒りのゼロ》
ジャンウェン[詹文](黃聖球)は小説家志望の高校生。ネットゲーム『王者世界』の世界観を下敷きとした物語を作り、同級生のアーシン[阿興](潘綱大)が作画を担当して漫画『怒りのゼロ』をネットで公開していた。ジャンウェンはアーシンとともに同じ大学でアニメーションを学ぶことになっていたが、IT企業長者の父(時一修)はジャンウェンに箔を付けるため、海外留学をお膳立てする。
リンリン[琳琳](王渝萱)は、解体間近の黎明アパートで母親(張詩盈)と暮らす高校3年生。数学教師(舒偉傑)がリンリンの数学の才能を高く買っているが、大学に進学する余裕は無い。台湾おにぎりの屋台で生計を立てる母親は交際相手の1人に殴られ聴覚障害となり、酒浸りの生活を送っていた。リンリンはカラオケ店のバイトだけでなく、地元を仕切るギャング鄭宜蒼の下で売人をしていた。リンリンの気晴らしは「ゼロ」の名で参加している『王者世界』。実況プレイヤー「閃閃」(=シャオシュン)に高額なアイテムをプレゼントしてもらっているが、彼に見返りを求められていた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

店先の檻の中で常同行動をとる犬は、解放してやっても戻って来る。犬はジャンウェンの似姿である。父親に管理される生活を窮屈に感じながらも、恵まれた環境から離れることができないでいた。
IT長者であるジャンウェンの父親は、ビッグデータを利用したシステムにより、人々の自由意志が最大限に活用されると信じて疑わない。息子に対しても最適な環境を整備してやっているだけで、息子の意志を尊重できていると考えている。
ジャンウェンが原作を書く漫画『怒りのゼロ』の主人公は「ゼロ」。中国語で0(ゼロ)はリン(零)である。すなわち、ジャンウェンがかつて同じ学校に通っていて好意を抱いていたリンリンがモデルである。ゼロの前に姿を魅せる野良犬オレオは、ジャンウェンである。数学教師が「x=0のとき」と説明していたのは、原点に戻る(≒リセットする)ことともに、主人公にゼロが据えられるメタファーである。
『王者世界』で橋を渡ろうとするジャンウェンは留学するジャンウェンと重ねられる。ジャンウェンに好意を寄せるアーシンが、檻に戻る犬の気持ちが分かるというジャンウェンを詰るのは、自らはわざわざジャンウェンと同じ大学に進学することにしたにも関わらず、自分を置いて海外に出て行ってしまうためである。
数学の授業で確率が扱われるのは、人生におけるタイミングの問題とともに、表と裏へと目を向けさせるためである。リンリン、シャオシュンが現実世界とネットゲームの世界での差異が強調されて描かれるように、登場人物には二面性がある。小説家志望の青年と銃撃犯のジャンウェン、異性愛者であるジャンウェンに対する愛情を隠しつつ、同性の恋人(張書瑋)を性欲の捌け口とするホモセクシュアルのアーシン、数学の高い能力を持つ高校生でありながらドラッグの売人であるリンリン、ドヤ顔の実況プレイヤー「閃閃」の正体が定時であがる小役人のシャオシュン。
極めて裕福な家庭の息子が無差別殺傷事件を引き起こす(無防備な無辜の市民が犠牲になる)という点で、台湾映画『青春弒戀』(2021)と共通する。本作は多くのモティーフを取り込みすぎて、個々の要素を巧く生かし切れなかった嫌いがある。キャラクターの描写の深みやキャラクター同士の交錯の妙を始め、ストーリーや演出、映像表現においても『青春弒戀』により魅力がある。なお、丁寧は両作品に出演する。