可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ピンク・クラウド』

映画『ピンク・クラウド』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のブラジル映画
103分。
監督・脚本は、イウリ・ジェルバーゼ(Iuli Gerbase)。
撮影は、ブルーノ・ポリドーロ(Bruno Polidoro)。
美術は、ベルナルド・ゾルテア(Bernardo Zortea)。
編集は、ビセンチ・モレノ(Vicente Moreno)。
音楽は、カイオ・アモン(Caio Amon)。
原題は、"A Nuvem Rosa"。

 

明け方の街。未だシルエットのビル群の上に仄暗い空が広がる。低い位置にピンク色の雲が1つ、また1つと現れ始める。建物の姿がはっきりと見えるようになる。不自然なピンクの色のガスの塊が空に漂い、広がっている。
早朝、水辺を犬を連れて散歩している女性(Maria Galant)。対岸からピンク色の蒸気のようなものが近付いてくる。犬が盛んに吠え立てる。飼い主が倒れる。犬が吠え続ける。
夜。アパルトマンの屋上のバルコニー。ジョヴァナ(Renata de Lélis)がマリファナを一服する。ジョヴァナから受け取ったヤゴ(Eduardo Mendonça)が一口吸い、宙に向かって煙を燻らせる。2人はお互いを求め合い、屋外で交わる。
朝。ハンモックで眠っていた2人。スマートフォンが震動し、目を覚ましたヤゴが手に取る。ヤゴはジョヴァナを起こして、スマートフォンの画面を見せる。噓でしょ? 2人はまた眠るが、サイレンが響き渡り、すぐ目を覚ます。全ての窓を閉めて下さい。全ての窓とドアを閉めて下さい。自宅から離れている人は最寄りの建物に避難して下さい。2人はハンモックから出てフェンスまで行って眼下の街を確認すると、急いで部屋に入る。。
テレビを点けると、有毒ガスの速報が流れていた。一部では「桃色雲」と呼ばれる有毒ガスの物質は特定できておらず、接触すると10秒で死に至ること、多くの国々で同様の現象が起きていると記者(Laura Hickmann)が伝えた。チャンネルを切り替えると、サンプルが集まっていないのでガスの内容を特定できないとの化学者(Greice Gulart)のコメントが紹介され、アメリカ合衆国ニュージャージー州の大学構内でガスに捲かれて斃れた人々の監視カメラ映像が紹介された。2人は窓を閉めて廻る。
ジョヴァナが妹のジュリア(Helena Becker)に電話する。どこなの? 彼女の両親は一緒? 何人でいるの? 友達のお父さんとは話せる? また電話する。ヤゴも父ルイ(Girley Paes)の介護をしている看護師のディエゴ(Henrique Gonçalves)に電話する。全て閉じてくれないか。トイレの窓が開いていたと思うんだ。僕に変わって全部チェックしてくれないか。親爺をよろしく頼む。
2人は窓越しに外を見詰める。ジョヴァナのアパルトマンのある一帯にもピンク色のガスが充満し始めた。何だと思う? 分からないわ。隙間から入ってこないかしら。ジョヴァナの電話が鳴る。母親(Marley Danckwardt)からだった。落ち着いてよ、私は大丈夫だから。家にいるわ。男の人と一緒。昨日会った人。
ジョヴァナが妹のジュリアとヴィデオ通話する。大丈夫? ダンスのゲームで遊んでるとこ。食べ物は足りてるの? ポップコーンとチョコレートケーキが沢山ある。友達のお父さんと話をさせてくれる? デボラ(Juh Vargas)には会ったことあるよ。デボラのお父さんと話させてくれない? 神経質になってるブルーナのママと電話中。あなたはどうなの? ただの霧でしょ、デボラのパパ(Rafael Tombini)がニュースで見て、すぐに終わるって言ってた。じゃあ、話せるときに知らせてね。ジュリアは姉との話もそこそこに友達とダンスのゲームに加わる。
続けて、サラ(Kaya Rodrigues)からヴィデオ通話の着信がある。一体何なの? もっと早くに電話できなくてごめんね。元気? 私、1人なの。グスタヴォが買い出しに行ったパン屋で足止め喰らっちゃって。何人でいるって? 5人みたい。早く終わって欲しい。ジョヴァナが窓に目を遣ると、外にはピンク色の雲が浮かんでいる。

 

Webデザイナーのジョヴァナ(Renata de Lélis)はカイロプラクターのヤゴ(Eduardo Mendonça)と知り合い、自宅に招いて一晩を過す。翌朝、目覚めると、サイレンが鳴り、屋内に退避して窓やドアを閉めるよう警報が流れる。ニュースでは世界各地で10秒で死に至るピンク色のガスについて速報が流れていた。2人は窓を閉め切り、家族や友人と連絡を取る。ジョヴァナの妹ジュリア(Helena Becker)は友人デボラ(Juh Vargas)宅でパジャマ・パーティーで暢気に過していた。ヤゴは看護師のディエゴ(Henrique Gonçalves)に不在の自分に代わって高齢の父ルイ(Girley Paes)の面倒を見るよう頼む。人々の期待も虚しく、ピンク色の雲は消え去らない。屋内に閉じ込められた人々に飢えに苦しむようになる。ヴィデオ通話に出たジュリアはデボラの父親(Rafael Tombini)の強権的支配下に置かれ、涙を見せた。政府が緊急に宅配配管網を構築し、飢えは回避されたものの、屋内に閉じ込められる暮らしがいつ終わるのか目処は立たない。ジョヴァナは生活をともにしているヤゴの気分が塞いでいるのを慰めようと努める。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

2017年に書かれ、2019年に撮影された作品であり、covid-19のパンデミックは偶然の一致であることが冒頭で断られるが、人々の行動が制限されて外出できない状況は、映画と現実との重なりが認められる。
配給のピンク色の飲み物の不味さを訴え、閉じ込められた生活に塞ぎ込んでいたヤゴが、後に飲み物に慣れたと言う。ピンクの飲み物は桃色雲のメタファーであり、ヤゴがピンクの雲の生活に適応していることを象徴する。ヤゴは、島のいいところはそれ以上先へと進む必要がないことだと訴えるオーディオ・ブック(小説か? 作品名が気になる)を聞く。島は閉鎖環境であり、やはりヤゴが桃色雲時代を生き延びる可能性を暗示する。他方、当初ヤゴを慰めていたジョヴァナが閉鎖的な環境に耐えられなくなっていき、ヘッドマウントディスプレイなどを使って現実から逃避していくことになる。
ジョヴァナはホームレスの身の上を案ずる。デボラの父は自宅に招いていた娘の友人たちを孕ませる。ジュリアがそれに対して、遅かれ早かれ妊娠すると素っ気ないのは、デボラの父の強権的支配下に置かれていたためであろう。不測の事態で犠牲になるのは弱者であることがセリフで示される。
インフルエンサー(Isadora Pillar)がピンクの雲によるメリットとして、強盗や誘拐、交通事故が無くなったことを挙げる。メキシコが舞台の映画『母の聖戦(La Civil)』(2021)などを思うと、考えさせられる指摘である。どんな物事にもメリットはあるのだ。
コミュニケーションのあり方がオンライン中心となるのは既にパンデミック下で現実化した。映画では、人の死後の処理の仕方にも想像を膨らませる(薬品で溶かしてトイレに流す)。葬送や遺体に対する観念が変容することは十分に考えられる。
かつて生物は嫌気呼吸であり、酸素は毒であった。光合成により酸素が大量に放出される中、酸素を呼吸できる生物が繁栄した。桃色雲の環境を生き延びる生物もまた繁栄するのだろう。
萬鐵五郎の《雲のある自画像》には、作家の頭上に桃色の雲(A Nuvem Rosa)が浮かぶ。あの雲は一体何なのか。