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芸術鑑賞の備忘録

映画『マンティコア 怪物』

映画『マンティコア 怪物』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のスペイン・エストニア合作映画。
116分。
監督・脚本は、カルロス・ベルムト(Carlos Vermut)。
撮影は、アラナ・メヒーア・ゴンサレス(Alana Mejía González)。
美術は、ライア・アテカ(Laia Ateca)。
衣装は、ビニェト・エスコバル(Vinyet Escobar)。
編集は、エンマ・トゥセル(Emma Tusell)。
音楽は、ダミアン・シュヴァルツ(Damián Schwartz)。
原題は、"Mantícora"。

 

マドリードにある古いアパルトマン。フリアン(Nacho Sánchez)が自宅のリヴィングでヘッドマウントディスプレイを頭部に装着し、コントローラーを手に動き回っている。VR空間の鏡映対称を利用して絵を描いていた。スプレー状のツールから噴射される灰色の肥痩のある線が重ねられていくと、四つ足のキャラクターが次第に姿を現わす。フリアンはヴィデオゲームのクリーチャー・デザインを生業にしていた。
フリアンが部屋を出ると、エレベーターから大きな段ボールを抱えた作業員が降りて来た。フリアンが階段を降りると、玄関ホールには引っ越しの荷物が積まれ、ピアノを弾く少年(Álvaro Sanz Rodríguez)がいた。
ゲームデザイナー(Xabi Tolosa)とゲームディレクター(Joan Amargós)との打ち合わせにフリアンやサンドラ(Aitziber Garmendia)が同席した。ゲームデザイナーが制作中のゲームの画面を表示しながら説明する。野獣のシーンは、血の表現は割愛して切断された腕や脚を積み重ねたんだ。下に行くほど腐乱が進行しているように見せるため色味に変化を出した。頭部を切断して野獣に投げつけることもできる。野獣が死体を踏み付けると臓器が破裂する効果も入れた。
休憩時間に飲み物を飲みながらフリアンはサンドラから北海道に旅行に行った話を聞く。山間の温泉は家族連れで賑わい、皆が裸になって入浴するので、サンドラは生まれた初めて父親の裸を見たという。
自宅でPCのディスプレイに向かっていたフリアンはくぐもった声を聞く。流していた音楽を止めると、子供の叫び声が聞こえてきた。廊下に出ると隣家の窓に炎が見えた。慌てて隣家のドアに駆け付ける。開けて! 開かない! 少年がドアの内側で叫んでいた。大丈夫? 1人? 助けて! ドアが開かないの? 開けられない! 近くに備え付けてあった消火器を運んできたフリアンは、少年にドアから離れるよう言って、ドアを思い切り蹴る。ドアを何とかこじ開けると少年を外に出す、消火器を手に火元に向かう。
ビニールを外していないカウチに坐った少年が女性警察官(Stella Arranz)から事情聴取を受けている。消火活動で煙を吸ったフリアンは近くで医師(Ignacio Ysasi)の検査を受けていた。問題ないですね。もっとも胸に不快感があるようなら迷わず受診して下さい。警察や消防の人たちが別室に移動し、フリアンが少年とともに部屋に残される。名前は? クリスティアン。フリアンだ。ピアノすごく上手だね。ピアニストになりたい? にわしになりたい。庭師? 何で? しょくぶつが好きだから。ここに植物なんてある? おばあちゃんち。植物の世話をするの? そう。水をやったり、虫をとったり、ピアノをひいたり。 植物にピアノを聞かせるの? しょくぶつだって音楽がわかるんだよ。うれしいとかかなしいとかもね。どうやって? 花びらにセンサーがあるんだよ。小さいころ何になりたかったの? いろいろあったけどね。虎になりたかったこともあったな。トラにはなれないよ。子供の頃は虎になれると思ってたんだ。トラは顔をこわがるって知ってる? 顔を? そう。りょうしは後ろからおそわれないように頭の後ろにお面をつけるんだ。何で知ってるの? ドキュメンタリーで。母親(Ángela Boix)が部屋に飛び込んで来てクリスティアンを抱き締める。どうしたの? カーテンがやけて出られなくなっちゃった。母親が助かりましたとクリスティアンに礼を言う。彼女の母親が頑固で他人に貸すように言ったにも拘わらず15年間もこの部屋を放置していたのだと説明した。家は使われなくなるとどんどん古くなって。まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。何かあったら声をかけて下さいね。そうします。
部屋に戻ったフリアンは再びディスプレイに向かって描画を開始する。
夜。眠っていたフリアンは息苦しさを感じて目を覚ます。不安に駆られたフリアンはますます呼吸が荒くなり、タクシーを呼んで病院に急ぐ。病院の受付で消火作業で煙を吸ってしまったと説明するや否や失神してしまう。
医師(Miquel Insua)はフリアンに検査結果に異常は見られないと言う。不安が失神を引き起こしたのでしょう。パニック発作です。不快感があるでしょうが問題はありません。ストレスや恐怖を経験すると、脳が自己防衛のために失神を引き起こすことがあるんです。仕事や家庭に問題は? いいえ。抗不安薬を出します。睡眠を促して不安を軽減します。1日1錠、1ヶ月間。不安が大きいときには2錠。医師は併せて人と話すようフリアンに勧めた。

 

マドリード。ヴィデオゲーム制作会社でキャラクターデザインを担当するフリアン(Nacho Sánchez)は、打ち合わせ以外は出社せず、古いアパルトマンにある自宅で1人作業に当たっていた。目下手掛けているのはいわゆるラスボスに当たるモンスターだった。空き部屋だった隣室で小火があり、フリアンが消火器を持って駆け付け、引っ越してきたばかりの少年クリスティアン(Álvaro Sanz Rodríguez)を救い出す。フリアンはその晩、呼吸困難となり救急病院に駆け込む。医師(Miquel Insua)から検査結果に異常はなくパニック発作だと診断され、抗不安薬を処方されるとともに人と交流するよう促された。フリアンは病院からの帰りにディスコに立ち寄ると酒を飲んで女性(Catalina Sopelana)を連れ帰るがうまくできなかった。それでもキャラクターデザインの仕事は順調で、高く評価されていた。自宅近くにある人気の中華料理店で1人昼食をとっていると、クリスティアン(Álvaro Sanz Rodríguez)が母親(Ángela Boix)と来店するのに気づいた。店内のディスプレイを手帖に描いていたフリアンは、離れた席のクリスティアンの横顔をスケッチする。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

フリアンはヴィデオゲーム制作会社に所属しているが原則として在宅勤務のため1人黙々とキャラクターデザインの仕事をしてきた。古いアパルトマンの隣室が長い間空き家だったこともフリアンにとっては好都合だったろう。その隣室にクリスティアンが母親とともに引っ越してきて、小火騒ぎをきっかけに知り合いとなる。
フリアンは煙を吸ったことをきっかけにパニック発作を起こし、医師から睡眠を促す抗不安薬を処方されるとともに、人と接するよう勧められる。早速フリアンはディスコにいた女性と情交を結ぼうとするがフリアンの性器が十分に機能せずうまくいかない。
フリアンは開発中のゲームのノンプレイヤーキャラクターにクリスティアンの顔を当て嵌める。フリアンが創造したキャラクター「クリスティアン」については直接的な台詞や描写を慎重に避けつつ、的確に内容が伝わるよう工夫されている。
フリアンは同僚のサンドラの友人であるボーイッシュな女性ディアナ(Zoe Stein)と知り合い、「クリスティアン」を廃棄する。「クリスティアン」は飽くまでも女性とうまくいかなかったフリアンにとってある種の「火遊び」に過ぎなかった。だがその火を消しきることができておらず燃え広がることになる。
タイトルの"Mantícora"(邦題の「マンティコア」は英語"Manticore"に基づく)は、ライオンのような胴と人のような顔をもつ怪物で、「人喰い」のことである(作中では、フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)の《我が子を食らうサトゥルヌス(Saturno devorando a su hijo)》が「人喰い」のイメージとして登場する)。フリアンがマンティコアのような絵を目撃して恐怖に駆られるのは、自らが「人喰い」との負い目を感じていたからである。実際にはマンティコアの絵が描かれた意図は全く別のところにある(フリアンの子供の頃の夢に関わる)。
現実とヴィデオゲームに象徴される仮想現実と。フリアンは両者を切り離して考えている。ディアナは自らが現実の存在であることをフリアンに訴えるが、むしろディアナ(や社会)が現実と仮想現実とを区別していない。ディアナは自らを区別を求める古い思考に囚われているとしながら、エリアス(Patrick Martino)との関係は曖昧である。
現実と想像の世界の線引きは、想像をリアルにするテクノロジーによって曖昧にされる。エリアスは映画とヴィデオゲームとの違いは対象に対する介入(操作可能かどうか)に求めている。
本来人と交流することのないクリスティアンが、小火をきっかけにクリスティアンと知り合い、消火活動をしたために救急病院に駆け込み、抗不安薬を手に入れるとともに、人との交流を促されることになる。ルーブ・ゴールドバーグ・マシンのようにある出来事が次の出来事へと繋がっていく。
鏡のイメージが印象的に登場する。クリスティアンはクリーチャー(creatures/criaturas)を創造する者(creator/creador)であり、限定的ではあれ創造主(The Creator)である。ところがVR空間で自由にクリーチャーを操っていたクリスティアンは、反転して、操られる存在に堕する(落下!)。
フリアンが自らの音楽で作業に没入するためにクリスティアンのピアノの音を遮断する点や、サンドラがフリアンと職場で親しい関係にある点など、登場人物の性格が伝わるよう丁寧に描かれている。
北海道の温泉、にぎり寿司、伊藤潤二の漫画など日本に関する言及がある。