可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 持齋ひかる個展『揺曳』

展覧会『持齋ひかる展「揺曳」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2024年4月15日~20日

日常生活の1齣を切り取った木版画「それでも息をしている」シリーズ13点と、手と影とをモティーフに人間関係を描くリトグラフ「くっついて離れて」シリーズ4点とで構成される、持齋ひかるの個展。

《それでも息をしている b》(760mm×1100mm)には、皿や箸、スプーンなどが置かれた流し台とその周囲の調味料や溜まった空き缶などが明確に描かれる。流し台の中は白地に黒線で、周囲は黒地に白線でと明暗を反転させることで明瞭に区分される。食器やブラシ、調味料や空き缶が並ぶ様に生活感がある。《それでも息をしている d》(1100mm×760mm)では黒い画面にスプーンと皿、ペットボトル、丸めた包装紙だけが白く浮き上がるが、《それでも息をしている b》の画面下端には、流し台の縁に手が覗く。それは作者の日常を示す手がかりのようだ。美容院でクロスを被ったまま鏡にスマートフォンを向けている《それでも息をしている e》(420mm×297mm)のように作品は「自撮り」なのであろう。《それでも息をしている c》(1100mm×760mm)ではバニラサンドを食べようとして賞味期限を確認する姿が、バニラサンドのパッケージ(賞味期限7月10日の記載)と腕時計(7月12日の表示)とで示される(夏場だが冷蔵庫に入れてあったのなら問題無かろう)。
《それでも息をしている m》(970mm×420mm)は黒い画面に液体に塗れた左手と右手に握った包丁とが画面に大きく表わされ、画面下段には両足が覗く。手や包丁の刃に附着した液体は血液だろうか。モノクロームの画面では断定はできない。包丁の刃先が画面下、すなわち作者に向けられているのも不穏である。《それでも息をしている m》の左には、扇風機と開いた窓の先にベランダを描く《それでも息をしている l》(970mm×420mm)、右には僅かに開いたドアを描いた《それでも息をしている k》(970mm×420mm)が並ぶ。左右の作品は室内を灰色で塗り、なおかつベランダの先、ドアの向こうが漆黒の闇となっており、包丁の作品の不穏さを高めている。
《それでも息をしている a》(1100mm×760mm)はタイル張りのトイレの中で便座に坐りトイレットペーパーを引き千切る場面が描かれる。黒いタイルの作る格子模様は閉鎖環境下における抑圧のイメージを呼び込む。引き出されるトイレットペーパーは水の流れであり、人生を象徴する。それを引き裂くことは、《それでも息をしている m》が描くかもしれない自傷に通じるようである。もっとも、そこはトイレであり、便座に坐る以上、生理的欲求が満たされ、なおかつきちんとトイレットペーパーで後始末をしようとしている。足首にひっかかる下着は伸びてハンモック状になっている。それは言わばエアパックとして、セーフティネットとして機能するだろう。
《それでも息をしている g》(420mm×297mm)には紙コップに入ったコーヒーを持つ左手が描かれる。黒いコーヒーに白いミルクが溶けていく。それは黒白による木版画のメタファーであるとともに、明暗延いては生死の象徴だろう。版画そして人生を作家はしっかりと握っているのである。