可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 小泉圭理個展『stick はりつき/棒きれ』

展覧会 小泉圭理個展『stick はりつき/棒きれ』を鑑賞しての備忘録
TALION GALLERYにて、2022年12月3日~25日。

11点の絵画で構成される、小泉圭理の個展。

「マスク」と題されたシリーズ5点は、五角形、六角形、八角形の画面に目、鼻、口のように見える形を描き入れた、仮面のような作品群。例えば、くすんだ五角形の画布の《マスク》(400mm×420mm)は、画面の左側3つの頂点でできる三角形と、右側3つの頂点でできる三角形の部分が根岸色(緑茶の褐色)に塗り潰されている。その2つの三角形の上の頂点から下の頂点へとを結ぶ辺の上に、それぞれ小さな4つの正方形を「田」の字に描いている。2つの「田」の間に小さな円と、その円の直径と等しい長さの辺を持つ正方形4つを縦に連ねている。さらに、その円と4つの正方形の下に、円と3つの正方形、6つの正方形を横に並べている。「田」が目、円と正方形を縦に組んだものが鼻、円と正方形、正方形をそれぞれ横に繋いだものが口(唇)に見える。また、八角形の画面の《マスク》(463mm×458mm)は、染付と思しき2つの猪口、1つの徳利(小さな花器?)、1つの杯が画面中央に配され、それぞれ目、鼻、口に見える。五角形の画面の《マスク》(400mm×418mm)は、窓らしき開口部と階段とで目、鼻、口を表わしている。六角形の《マスク》(445mm×380mm)には、古代の象形文字のような大きな手と、蹲踞する人物(?)などによって目、鼻、口などを描き出している。
「マスク」シリーズは、ルネ・マグリット(René Magritte)がパイプの絵を描いて、"Ceci n'est pas une pipe.(これはパイプではない。)"と記した《イメージの裏切り(La trahison des images)》と共通するテーマを扱っているのではないか。作家は顔(目・鼻・口)に見えるイメージを「マスク」として(すなわち"Ceci est un visage.(これは顔である。)"として)呈示しているが、タイトルによって逆に鑑賞者には"Ceci n'est pas un visage.(これは顔ではない。)"との意識が生じる。そして、いかにイメージの中に顔を見出してしまうかということに思い至るのである。visageラテン語のvisusに由来するように、見ることと顔は分かちがたく結びついている。なぜなら、見ることとは見られることであり、見る者は対象からの眼差しを反作用のように受けているからである。

《解し》(1120mm×1900mm)は、絵馬のような五角形の画面に、寝そべる人体とその上からのし掛かり、マッサージする(解す)ような人体とを幾何学的な描線の組み合わせにより表現した作品。円に近い頭部、円弧による腕や臀部、効果線のような直線や雷紋的形象などがベージュの画面に褐色と白――緑・ピンク・紺なども描線の中に見える――で描かれている。円や直線は書の運筆のような運動を見る者に印象付ける。それは、色味も相俟って、素焼きの陶器への絵付けのようだ。とりわけ印象的なのは、右端に見える2つの大きな手であり、パン――これもまた焼きものではある――で大きな手を表わした、ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)撮影のパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の肖像写真を想起させよう。手は触覚(touch)の象徴であり、この絵画から受ける運筆(touch)や陶器といった印象も全て触覚に通じていると感じ(touch)させる。それは、画面いっぱいに配されたモティーフによる、変則的な五角形の必然性によって強調される。

「起き上がり」シリーズ4点においても、不規則なベージュないしクリームの画面いっぱいに身体を表わしている。《起き上がり(Reference: Pablo Picasso L'Ombre》(1450mm×1835mm)は、身体の重なりや、大きな手の表現が見られ、《解し》に近いモティーフによって占められている。三角形の構造を組み合わせて身体を表現した《起き上がり》(900mm×902mm)は、恰もパズルのルービックスネークによって身体を表現したような作品で、触覚的かつ立体的である。

冒頭に掲げられた《Livers #36(rare)》(240mm×240mm)において、クリーム色の扁平な一輪挿しに幾何学的な線を活けるように描いていたのは、器としての絵画に、人体を幾何学的に配する(活ける)、生け花的絵画を示唆するものであったのかもしれない。