映画『落下の解剖学』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のフランス映画。
152分。
監督は、ジュスティーヌ・トリエ(Justine Triet)。
脚本は、ジュスティーヌ・トリエ(Justine Triet)とアルチュール・アラリ(Arthur Harari)。
撮影は、シモン・ボーフィス(Simon Beaufils)。
美術は、エマニュエル・デュプレ(Emmanuelle Duplay)。
衣装は、イザベル・パヌティエ(Isabelle Pannetier)。
編集は、ロラン・セネシャル(Laurent Sénéchal)。
原題は、"Anatomie d'une chute"。
フランス・グルノーブル近郊の山中にある家。1階ではドイツ出身の小説家サンドラ・ヴォワテル(Sandra Hüller)が、インタヴューのために訪れた女子学生ゾーイ・ソリドール(Camille Rutherford)と向かい合って坐っている。何が知りたいの? 録音しますね。息子さんの事故についての記述は不安になります、あなたの人生で起きたことだと知っているからです。経験からしか書けないとお考えですか?
階上から転がり落ちて来たボールを犬が追いかけて来て咥えると2階に運んでいく。ダニエル(Milo Machado-Graner)はスヌープの体を洗おうとするが盥に入りたがらないスヌープと悪戦苦闘する。
執筆中の本にあなたを登場させることにするわ。でもあなたのことをよく知らないでしょ。分かるのはあなたに対する関心、それは本物だから。でもまずは会わなければなりませんでした。私は今、目の前にいます。そうね。あなたが創作するにはまず現実が必要ということですね。あなたの作品には真実と創作とが混ざり合っているとおっしゃっていますが、どちらがどちらなのか知りたくなります。
ダニエルが盥からスヌープを出す。タオルで拭こうとしていると、上の階から大音量で音楽が流れてくる。
夫のサミュエル(Samuel Theis)が上で作業してるの。あなたは何に興味があるの? 何で研究したいと思うのかしら。論文や研究については忘れてよ。作家志望ではありません。書く必要はないってわけね。今話してるみたいに話すだけで。インタヴューを続けたくないですか? もちろんどうぞ。ただお喋りもできるってことよ。お互いに質問するのはどうかしら? 私に興味が? あなたは何に興味があるの? 誰にも会わず日中ずっと仕事をしてるの。あなたが会いに来てくれて関心がない訳ないでしょう。走ること。ドラッグみたいにハイになれるから。だったらドラッグに手を出したことがあるってこと? それが次の質問。厄介な問題ですね。全て記録はしないでしょ。ええ。一旦途切れた音楽が再び鳴り始める。グルノーブルで行うべきだって言ったでしょ。ゾーイはスマートフォンの録音を停止する。大丈夫、書き留めておきますから。でもたくさん質問があります。時間がないのではないかと。時間について気にしなくていいの、ここでは問題じゃないわ。物語について話し合いたいのですが。私はスポーツは好きじゃないわ。歩きはするけど、走るのはイヤ。工具を使う騒音が響く。これ以上は無理じゃない? そうですね、難しいです。中断しなきゃならないわ。近くグルノーブルに行くから電話するけど、どうかしら? 分かりました。さようなら。また近いうちに。
ゾーイは車に乗り込む。家を見ると、入口から犬を連れた少年が出て来るところで、2階のベランダにサンドラが出ていた。手を挙げて挨拶すると車を出す。
ダニエルがスヌープと散歩に出る。放り投げた枝を取りに行かせたり、細い橋を渡ったりしてから、家に戻った。音楽が外にまで響き渡っている。突然スヌープが手綱を引き離して走り出す。ダニエルはスヌープを追い家の前で倒れているサミュエルに気付く。。ママ、来て! 音楽に掻き消されて届かない。何度か叫んで、ようやくサンドラが表に出て来る。サミュエルは頭から血を流して倒れていた。すぐさまSAMU(緊急医療援助サービス)に通報する。息子に呼ばれて…。分かりません。動かしてません。彼には触れてもいません。夫は息をしていないので通報したんです。来て下さい。
憲兵らが室内や周辺の現場検証を行っている。サンドラは事情聴取を受けていた。
監察医(Julien Comte)が遺体の写真を撮らせ、所見を述べる。手と前腕表面の擦過傷は、1~2メートル引き摺って遺体の発見場所に達したものと思料される。致命的な外傷である左側頭部の血腫は落下時に器物に衝突したか頭部に対して激しい打撃が加えられたものであるいずれによせ、外傷の位置と遺体の発見場所との関係から、地面に落下するより前に加えられたものである。結論として、外傷が衝突によるか打撃によるかは判断できない。現段階では第三者の関与を排除することはできない。死因は頭部外傷。法医学的原因は、偶発的及びまたは故意的。
ドイツ出身の小説家サンドラ・ヴォワテル(Sandra Hüller)は、教師をしながら作家修業をしているフランス出身のサミュエル・マレスキ(Samuel Theis)の提案で、息子ダニエル(Milo Machado-Graner)とともにロンドンからフランス・グルノーブル近郊の山中に転居した。ダニエルは事故が原因で失明したが、その事故はサミュエルが迎えに行かなかった際に起きた。サミュエルは息子の失明に負い目を感じ、ホームスクーリングなど息子の世話を焼くのに熱心だが、小説を1篇も書き上げられない。その苛立ちは自分のことばかりで協力的でない妻に向けられていく。サンドラは私生活に取材した作品などでコンスタントに小説を発表し、最近新作を上梓した。グルノーブルの女子大学生ゾーイ・ソリドール(Camille Rutherford)がインタヴューで家を訪れると、サミュエルは大音響で音楽を鳴らしながら民宿への改築作業を始めた。インタヴューできる状況ではないため、サンドラはグルノーブルで再会を約束してゾーイを帰らせる。その後、犬と散歩に出たダニエルが家の前で叫んだ。驚いたサンドラが表に駆け付けると、頭部から血を流したサミュエルが倒れていた。通報により憲兵がやって来て現場検証と事情聴取が行われた。検屍の結果、死因である頭部外傷が事故か故意かは断定できなかった。サンドラは旧知のフランス人弁護士ヴァンサン・ランジー(Swann Arlaud)を招く。サンドラが起訴された場合、自死を図ったと争うのが戦術の要になるとヴァンサンはサンドラに告げた。検察官(Vincent Courcelle-Labrousse)は、鈍器による打撃を受けた可能性があること、実況見分で多くの矛盾点が明らかになったこと、被害者のUSBから夫婦の会話の録音ファイルが発見されたことを理由にサンドラを起訴した。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
夫サミュエル殺害の廉で起訴されたドイツ出身の小説家サンドラ・ヴォワテルの裁判を描く。
階段をボールが転がり落ちて、それを犬が取りに行くシーンで始まる。
サンドラは事実と創作とを織り交ぜたスタイルの作家である。
例えばサンドラとサミュエルのような夫婦の関係についてだけでもその全容を捉えることは不可能である。スナップ写真のように断片的なイメージがあって(オープニング・クレジットで提示される)、そのイメージの組み合わせあるいは一部で判断される。強弱・先後関係などにより、たとえ同じイメージ群による構成でも印象は変わってしまう。
すなわち、誰も事実(真実)は見えない。傍聴席に坐る視覚障碍者のダニエルは、人がおよそ「盲目」であること――真実を捉えることはできないこと――の象徴である。ダニエルのみならず、誰も事実を見ることはない。
ならば、事実は所与のものではなく、選択によることになる。被告人との裁判内容に関する接触を断つために法廷から送り込まれたマルジュ・ベルジェ(Jehnny Beth)がダニエルに告げる通り、事実を選ばなければならない。
サミュエルは創作できないまま、ダニエルの事故、経済問題などを理由にグルノーブル近郊の山中に転居した。サミュエルは執筆不能を外的要因に求めている。対照的なのは、サンドラであり、たとえ大音量の音楽がかかっていようと建築工事の作業音が轟こうが構わず仕事に当たる。執筆可能かどうかは内的要因にあると考えている。
手摺を超えて何かが落下することは物理的事象であるが、その要因は外的要因とは限らない。
サミュエルはダニエルにスヌープが病気になったとき、いずれ死ぬことを告げていた。ダニエルはその話題を嫌がるが、犬の寿命は短いと言う。サミュエルは息子を支える存在として等しいスヌープに自らを重ね合わせていた。
サンドラもまた自らを犬に重ね合わせている。盲導犬は主人の行動を事前に察知し、行動する。そこにもまた選択がある。サンドラはスヌープと一体化するだろう。
主演のSandra Hüllerが圧巻。仕事に蝕まれた娘を救うべく彼女の周囲に度々風変わりな装いで姿を現わす映画『ありがとう、トニ・エルドマン(Toni Erdmann)』(2016)も長く尾を引く作品だった(Sandra Hüllerは娘イネス役)。