可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 酒井みのり個展『コツコツと私を守る弱いもの』

展覧会『酒井みのり展「コツコツと私を守る弱いもの」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2023年5月22日~27日。

絵画4点、陶器2点、土を用いた立体作品8点の計14点で構成される、酒井みのりの個展。

《私を包む服》(1303mm×1621mm)には、白い画面に青いストライプのシャツが実寸より大きなサイズで描き出されている。シャツは畳まれて折らずヨレヨレに拡げられていて、生地が折れ曲がるところどころで青い線が途切れ、縞の向きと濃さを微妙に変える。左右の袖が持ち上げられ、裾が捲れ上がっている様子は、シャツが踊るようで、剽軽な印象を生んでいる。かつて縞模様の衣装を身に付けることを強いられた道化師に擬えるのも一興であろう。

 他方、慣習法、成文法、規則などのなかにも、世俗社会において、ある種の排斥され除外された者たちに、二色ないし縞模様の衣装の着用を義務づけるものがあった。中世初期ドイツの慣習法や有名な『ザクセンシュピーゲル』(1220年から35年に編纂されたザクセン法典)において、こういった衣装は、私生児や農奴、受刑者たちだけに強制されることが多かった。同じく、中世末期に南ヨーロッパの諸都市で数多く制定された社司法や衣装条例では、売春婦、旅芸人、道化、死刑執行人といった者たちに、上から下まで縞模様の服を着ること、あるいは、さらに頻繁な例だが、部分的になにか縞のものをつけることが命じられている。たとえば、売春婦にはショール、ドレス、紐、死刑執行人には股引や頭巾、旅芸人や道化には胴衣や縁なし帽が課せられた。いずれにせよ、このような職業に従事する者たちがまっとうな市民と混同されないように、隔たりを示す、目に見えるしるしを義務づける意図は各地にあったのである。その他の地域、とくにドイツ諸都市では、同様の規定がハンセン氏病患者、障害者、「ジプシー」、異端といった人たちに関して制定されており、稀にではあるが、ユダヤ人や非キリスト教徒にも課せられる場合があった。(ミシェル・パストゥロー〔松村剛・松村恵理〕『縞模様の歴史―悪魔の布』白水社〔白水Uブックス〕/2004/p.21)

社会秩序の外部に置かれた者たちに着用が強制されてきたのが縞であった。「社会秩序に反するのは、色彩と衣装の秩序を縞模様が攪乱するの」に等しいのであった(ミシェル・パストゥロー〔松村剛・松村恵理〕『縞模様の歴史―悪魔の布』白水社〔白水Uブックス〕/2004/p.26)。
時代が下り、17世紀半ばを過ぎると、海兵や水夫たちの服装に縞模様が現れるのを図像で確認できるようになる(ミシェル・パストゥロー〔松村剛・松村恵理〕『縞模様の歴史―悪魔の布』白水社〔白水Uブックス〕/2004/p.92-93参照)。

 中世社会で使われていた軽蔑的な縞模様と近代の水夫の最初の縞の服装とのあいだに、なんらかの関係があるのかどうか、歴史家は考えてみることはできるであろう。水夫たちの服装の起源には、ある種の否定的なしるしという観念があるのだろうか。あるいは、船上での操作はつねに危険であり、いかなる状況においても水夫どうしは互いに見分けられる必要があった以上、単に信号としての衣装なのだろうか、たしかに縞模様は、いつでも無地よりは目立つものである。とくに、青白の組み合わせより前に船上でこの機能を果たしていたと思われる赤と白の組み合わせの場合には、目につきやすい。
 しかしながら、これらの海軍の縞模様の起源は、イデオロギー的理由でも記号論てきな理由でもなく、単に織り方にあるのかも知れない。実際、水夫の縞のシャツは、メリヤスであった。つまり、身体を暖めておく下着であり、メリヤス製造産業の技術によって生産される目の細かいニットを裁って作ったものである。ところで、長いあいだヨーロッパのメリヤス製造産業においては、技術的な理由もあって、おもに縞の服飾品が作られていた(長靴下、ショース(股引)、縁なし帽、手袋)。(略)
 いずれにせよ、水夫の縞模様はこの時期以来、何世紀も越え、幾多の海を渡ってきた。(ミシェル・パストゥロー〔松村剛・松村恵理〕『縞模様の歴史―悪魔の布』白水社〔白水Uブックス〕/2004/p.93-94)。

《いくらのおすし》は、海苔から溢れんばかりにイクラが載せられた軍艦巻を実寸より大きく表わした絵画作品。全て赤い円でイクラを表わした作品と、赤、橙、黄でイクラを描いた作品との2種類がある(いずれも180mm×230mm)。画面上部がイクラによって、画面下部は不可視の寿司飯を覆う黒い海苔によって占められ、軍艦巻の全体像は見えない。

《私を包む服》の青と白の縞を「水兵」に見立てることで、《いくらのおすし》の「軍艦」との繋がりを示すのは曲解に過ぎようか。ならば一旦《私を包む服》の縞模様の衣服が正常と異常との「境界」を表わすものであり、《いくらのおすし》のイクラが海苔の壁を乗り越えようとしている「越境」をテーマとしていると解してみよう。その上でイクラ(икра)がロシア語に由来することを想起すれば、イクラ(≒ロシア)が「黒」い「海」苔(≒「黒海」)に侵攻している姿が見えて来るだろう。そして、絵画群とは不釣り合いに見えた、不定形の格子で構成される直方体状の陶器作品《あみあみの梱包材》(218mm×111mm×126mmと110mm×170mm×80mm)や、土を固めて制作した恰も炭化したかのような家(《土の家》)や柱(《土の柱》)が戦火で焦土と化した戦地の表象として姿を表わすのである。

ロシアのウクライナ侵攻など「周辺事態」の変化を理由に、日本が戦争を回避することに貢献してきた日本国憲法の平和条項――それは「コツコツと私を守る弱いもの」である――が危機に曝されている。