可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『理想郷』

映画『理想郷』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のスペイン・フランス合作映画。
138分。
監督は、ロドリゴ・ソロゴイェン(Rodrigo Sorogoyen)。
脚本は、ロドリゴ・ソロゴイェン(Rodrigo Sorogoyen)とイサベル・ペーニャ(Isabel Peña)。
撮影は、アレハンドロ・デ・パブロ(Alejandro de Pablo)。
美術は、ホセ・ティラド(José Tirado)。
衣装は、パオラ・トレス(Paola Torres)。
編集は、アルベルト・デル・カンポ(Alberto del Campo)。
音楽は、オリビエ・アルソン(Olivier Arson)。
原題は、"As bestas"。

 

ガリシア地方の男は野生の馬を素手で捕まえ印を付けて再び野に放つ。

森の中を馬の群れが移動している。1人の男が1頭の馬の首筋に掴みかかる。2人の男が加勢し、3人がかりで馬を押さえつける。
ガリシア地方の寒村。バルに地元の男たちが集っている。シャン(Luis Zahera)、パウリーノ(José Antonio Fernández)、ポリ(Ramón Porto)、シャンの弟ロレンソ(Diego Anido)はテーブルを囲んでドミノをしている。お前ならどうする? 少なくとも取引は止めようと思う。少なくとも、か。彼はギロチンに送られてたろうな。それ以下の額でも、ギロチンで首を切り落としてた。お前はいつも話が大袈裟だ。ポリ、フランス人が最後にギロチンにかけられたのはいつだ? 見当も付かない。ここで最後に絞首刑になった奴より後だった。1977年。クソ野蛮な国だ。その癖、俺たちのことを悪く言いやがる。俺は大袈裟だよ。ルビオの息子について悪く言った奴はお前以外に誰もいない。聴く耳を持たないからさ。何か聞いたことがあるのか? 話せよ。義理の兄弟が問題を起こしたんだ。問題! 義理の兄弟は肥料に多額の金を払った。受け取ったとき、袋から肥料が零れてた。零れてた。そんなの売りつけた奴はウスノロだ。クソ野郎だ。極めて単純な話さ。黙ってるのは同意するってことか? ルビオの息子は慣れてない。しくじるのは当然だろ。あんたはしくじらないのか? めったに間違わないさ。みんな、シャンは最初から完璧にやれるそうだ。ミスター・パーフェクトだ。もうこの話は終わりだ。ドミノもちょうどゲームが終る。5が見えるだろ? うまくやりやがったな。ちゃんと計算してくれよ。23だ。パウリーノ、豚の餌が不良品で配達が遅れたらどうする? シャンが尋ねる。豚の餌にしてやるよ。シャンはカウンターにいるバルの経営者エウセビオ(Melchor López)にも尋ねる。配達が遅くて文句ばかり多い業者ならどうする? 取引先を変えるさ。俺の言いたいことが分かったな。90年代なら物が不良品でも売人が責められることは無かったさ。だが今はな、不良品なら許さない。シャン、あんたには心が無いのか。エロイの息子だ、家族みたいなもんだ。我が子みたいに助けるさ。まあ、落ち着いて聞けや。エロイの親父、何度も家を訪れてくれた。気さくで礼儀正しい。彼はいい人だよ。俺ら兄弟は世話になった。母さん(Luisa Merelas)もね。俺たちはずっとここにいるんだ。この村はすっかり寂れちまってる。あの馬鹿がスペイン中で騙して廻ったら、奴の名前とあんたの名前とが結びつく。俺たちの評判もがた落ちだ。いつものように好きにすりゃいい。だがなエロイの親父も同じ意見だろうよ。他の連中もみんなそう思ってる。俺の言ってることが正しいって言ってくれるさ。ちょっと黙れよ。大声で捲し立てるシャンにパウリーノが静かに言う。何て言った? ミゲルを引き留めたのに喚くのを止めないだろう。俺にそんな口きくのか? そのときバルを出て行こうとしたアントワーヌ(Denis Ménochet)にシャンが声をかける。おい、退屈か、フランス人さんよ。何か? 退屈させちまったようだな。さよならも言わずに立ち去るのか? ここスペインじゃ、来たときはこんにちは、立ち去るときはさようならって言うんだぜ。ちっとも難しくなんかない。またな。言えたな。
店を出たアントワーヌは通りかかった農婦に挨拶すると、車に乗り込む。
アントワーヌが打ち棄てられた石造りの古民家にやって来る。天井の板を確認し、床に溜まった泥を掻き出す。雑草を刈り、伸び放題の庭木を剪定する。屋根に登って石の瓦の状態を確認する。屋根の上から一帯の風景を眺める。
古民家からの帰り道、アントワーヌは山の上に立つ3基の巨大な風車に目を遣る。
アントワーヌは舗装されていない道を車で登って行く。シャンとロレンソの家の先にアントワーヌの家がある。ティタンが吠えて、車を降りた主人を出迎える。買い物袋を持って家に入ると、妻のオルガ(Marina Foïs)がカウチで読書をしていた。調子は? いいよ。古民家には行った? ああ。で? 屋根は大丈夫だ。雨が降っても? 手を入れる必要はある。すごく疲れた? すごく疲れた。オルガがアントワーヌの手を握る。腹が減ったな。君はもう食べた?

 

ガリシア地方にある寂れた村。フランス人の元教師のアントワーヌ(Denis Ménochet)は、若い時分に放浪して立ち寄ったこの村に魅せられ、2年前に妻のオルガ(Marina Foïs)を伴って移住し、有機栽培の農業を営んでいる。野菜の生産は何とか軌道に乗り、顧客もつき始めた。かつかつだが、愛する妻との自然の中での暮らしは何事にも代えがたかった。村の再興を考え、アグリツーリズムの拠点として古民家の修繕にも着手した。だが村にはノルウェーのエネルギー企業が風力発電用の巨大風車を建設する計画が持ち上がった。村人は賛成6票、反対3票で割れ、反対のうちの1票がアントワーヌだった。村で生まれ育って50年以上になる牧場主のシャン(Luis Zahera)は、もともと余所者のアントワーヌを気に入っていなかったが、補償金の取得を邪魔されていると怨み、弟のロレンソ(Diego Anido)とともに嫌がらせをエスカレートさせていく。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

アントワーヌは若い頃放浪していた際、偶然訪れたガリシアの寒村で満点の星に魅せられた。教師をしていたアントワーヌは、一念発起して、有機栽培の農業を行うために妻オルガとともに村に移住する。2年が経ち、農業がようやく軌道に乗り始めた頃、村ではノルウェーの電力企業による発電用風車の建設計画が持ち上がり、寂れた村の住人の多数派は補償金をもらおうと賛成する。伝統的なヤギ飼いをするブレイショ(Gonzalo García)や村の自然環境を守りたいアントワーヌは、反対する。アントワーヌの隣人でもあるシャンは、補償金の取得を外国人によって妨げられていると、アントワーヌを敵視する。シャンは弟ロレンソとともに敷地にして酒を飲んで酒瓶を放置し、放尿する。さらには農業用水にバッテリーを放り込んで農地に鉛汚染を引き起すまで嫌がらせをエスカレートさせていった。
アントワーヌがフランスからの移住者であり、野菜の栽培農家であり、元教師であり、妻帯者であるのに対して、シャンは生まれた時から50年以上村で生活する地元民であり、ガリシア(スペイン)人であり、馬の牧場主であり、独身者である。シャンは自らに学が無いことや都会人に対して劣等意識――住まいがアントワーヌの住居の下に位置していることで象徴されている――を持っている。
シャンとロレンソとともにアントワーヌの敷地に侵入して放尿する。犬だ。原題"As bestas"の所以の1つでもある。犬は臭いに敏感だ。売春宿でロレンソが嫌われるのは、獣の臭いを放つからだ。そして地元民であるシャンとロレンソの肩を持ち、アントワーヌの訴えに耳を貸さない警察もまた犬である。警察がシャンとロレンソの犯罪を黙認したがために、重大な結果がもたらされることになる。
アントワーヌは星空に魅せられ、古民家の修繕のために屋根に登る。アントワーヌはオルガが農作業する場面を撮影しながら、彼女が大地の支配者であるとコメントする(娘のマリー(Marie Colomb)が視聴する)。2人の飼っている犬の名がティタンであることからも、アントワーヌは自らをウラノス、オルガをガイア(地母神)に比していることが明白である。アントワーヌはロマンティストなのだ。それが一見すると厳つい彼の魅力の1つである。
オルガは読書家である。最初に登場するシーンからカウチで本を読んでいる。湖に行っても読書だ。晴耕雨読を体現する。獣は読書をしない。
古民家は、アントワーヌが建て直そうとする村の象徴である。

(以下では、後半で明らかになる重要な内容についても触れる。)

アントワーヌは、理想家である。彼が抹殺されることは、理想が潰えることになる。だが、オルガはアントワーヌの遺志を引き継ぎ、アントワーヌの夢の実現に邁進することになる。娘のマリーは父親を殺した人物の隣で生活を続ける母親の行動を理解しがたい。点火できないストーブを壊れてしまうと思い込むマリーを描くことで、彼女の浅はかさが示される。だがマリーは狂気とも見える母の行動を可能にしているのは、父に対する愛(父母の精神的結び付き)であることに気付き、母の行動を受け容れる。アントワーヌとオルガとの愛の娘による承認を祝福するように、「アントワーヌ」が姿を見せることになる。
アントワーヌがビデオカメラによりシャンとロレンソの映像を記録するのをオルガは嫌がる。それは、美しいイメージだけを記録したいとのオルガの願いであった。発見されたカメラに凄惨な映像――冒頭の馬の捕獲シーンのアナロジーとなっていたであろう――が残されていなかったことは、オルガにとってはある意味では幸いであった。

アントワーヌのDenis Ménochet、オルガのMarina Foïsが魅力的であることはもとより、敵役の隣人アンタ一家の面々(Luis Zahera、Diego Anido、Luisa Merelas)が緊張感の途切れない作品にした。とりわけ陰湿な田舎者シャンを演じたLuis Zaheraが素晴らしい。