展覧会『浅葉雅子展』を鑑賞しての備忘録
コバヤシ画廊にて、2023年10月30日~11月4日。
老若の女性像の中に春画を取り入れた絵画5点など7点で構成される、浅葉雅子の個展。事務室にも11点を展示。
《Let Go》(1303mm×970mm)は、銀箔の画面に、頭に壺を載せた女性の後ろ姿が、カリアティードのように描かれている。壺には、菊水――流水と菊――とドットとをあしらった中に、女性が覆い被さる男性の左腕を噛む場面が切り取られ、"Won't Take It Lying Down"とのロゴが入る。女性の着る黒いTシャツの背には、壺と同じ春画が男性をシルエットにして、女性が腕に噛み付いていることがより鮮明にされている。絵具が垂れて、女性の姿は右下部分から消え去りつつある。
東京都美術館で開催された『マティス展』(2023)に展示された、アンリ・マティス(Henri Matisse)の《アンフォラを持つ女性(Femme a l'Amphore)》は、かつてマティスが訪れたモロッコにおける、水を運ぶ女性を描いた切り絵の作品であった。アフリカの乾燥地帯を始め、生活に必要な水を汲んで運ぶ労働は今日に至るまで女性の役割である。そのために女子が就学できないなどの問題を生んでおり、unicefが解決に取り組む問題の1つでもある。建物を支えるカリアティードのように描かれているのは、女性が生活を支えているということの暗示であった。そして、カリアティードが消失しつつあるのは、「異議を唱えずに我慢するつもりはない(won't take it lying down)」との、押し付けられた役割からの解放を象徴するのである。
《Caution》(803mm×1303mm)では、小さな壺を載せた女性が、編んだ長い後ろ髪を誰かによって摑まれている場面が描かれる。Tシャツの"Girls to the Front"というロゴは、サラ・マーカス(Sara Marcus)の主著のタイトルを介して、「ライオット・ガール」との結び付きを示すものだ。
《Let Go》と《Caution》が若い女性をモティーフとしているのに対し、「Solitude」シリーズ3点では年配の女性を取り上げている。そのうち屈んでネコを触る女性を描いた《Solitude》(1167mm×1167mm) には、"We Should All Be Feminists"が描き込まれていることから、テーマは共通しているものと思われる。春画によるセックスとジェンダーと菊(菊水)による不老長寿とであり、フェミニズムと超高齢社会とも置き換えられる。
ドアの向こう側では、下の階のお祭り騒ぎで眠りを妨げられた老女ベットが、薄暗い部屋に座って半熟の炒り卵のサンドイッチを食べていた。彼女はさっきから階段が軋む音がしたような気がしていたが、今度こそ間違いなかった。すわ、強盗か、と思うと、ワクワクした。こういうこともあろうかと、観葉植物のスタンドの中に小さなピストルが隠してあるのだ。彼女は食べかけのサンドイッチを皿に戻し、ドアに耳を押しつけた。だがふたたび軋みが聞こえたかと思うと、今度はささやき声も。それに加えて何かが規則正しく度合いに当たる音がし始めた。なるほど、そういうことだったのか! あれの最中というわけか。夫のヒューが亡くなって長い年月が経ったとはいえ、夫との間のこと、瑞々しい桃に歯が食い込んでいくようなあの感覚は、まだ彼女の記憶から薄れていなかった。昨日のことのように感じられるあの肉体の歓び。初めて体験したころは、二人ともまだ若すぎて自分たちが何をしているかもわかっていなかった。それでもずっとそれを続け、そろそろ年貢の納め時かというころになって結婚した。あのほとばしりのせいで結婚することになったわけだが、それはそれでけっして悪くはなかった。いま振り返ると、最初の数年こそセックスのために悪夢のようなできごとにも見舞われたが、その後にはごくごく幸せな暮らしがあったのだから。
ドアの外の廊下では、女性がかすかなうめき声を上げていた。男性は何かをささやいていたが、何を言っているのかは聴き取れなかった。女性のうめき声が大きくなり、続いてそれがくぐもった声になった。声を上げないように何かを、そう、彼の方でも、噛んでいるに違いない。と、そのとき、ドアがガタガタと激しく揺れ始めた。ベットは暴れるドアに体を押しつけた(この前、人の手で体に触れられたのはいったいいつのことだったか。彼女はスーパーで支払いをするにも掌に小銭を載せて渡した。そうすれば店員の手が彼女の手にチラリとでも触れてくれるかもしれないから)。それにしても、なんと生きのいい若者たちだ。日曜日に動物園に行くと出くわすことがある、檻の中で嬉々としてつがうオマキザルみたいだ。
二人の声が合わさった小さな叫び声が上がり、ベットは彼女の足首を中心に八の字を描きながら歩きまわっているトラ猫にささやいた。「これがほんとのトリック・オア・トリートだね。トリック(犯罪)かと思ったら、トリート(お楽しみ)だったってわけさ」
廊下から聞こえてくる荒い息遣いと服がこすれあう音。それを立てている考えなしの若者たちが誰なのか、ベットにはわかっていた。下の階に住んでいる、いつもちょっと変わった服装をしているのっぽの男と、やはり背の高いさっぱりした感じの彼の妻だ。でも、建物の入口などでばったり会ったときにお互いに気まずい思いをするといけないので、知らなかったことにしておくつもりだった。彼らの足音が階段を遠ざかっていき、一度大きくなった音楽が、ドアが閉まる音とともにふたたび小さくなった。そしてベットはまた一人ぼっちになった。さてと、強いスコッチでも飲んで、ベッドまでまたよたよたと歩いていくことにしようか。よい子がみんなそうするように。(ローレン・グロフ〔光野多惠子〕『運命と復讐』新潮社〔新潮クレスト・ブックス〕/2017/p.93-95)
一人ぼっちになるのは、老人だけではない。「ある種のマージナルな社会状況において生じる極限的な体験」などではない。近代社会において「大衆の日常的な体験」なのだ。但し、「孤立感(ロンリネス)」と「孤独(ソリチュード)」とは区別して考えねばならない。
(略)近代社会の開始とともに、共同体からの離脱が個の解放をもたらしたとしても、今度は理念的には普遍的概念であったはずの個に階層分化が生じる。その結果、この社会は愛憎なかばする親密な関係性の網の目でつつまれる代わりに、おたがいに有機的なつながりをもたない個人の匿名の集合に置き換えられてしまう。この段階で、ある特別な感情が階層のへだたりなく人びとをとらえるとき、そこでは個から全体へのシフトがすでに始まっていると言ってよい。それは「孤立感(ロンリネス)」である。
ここで話は時空をワープするが、この感情が社会かされるとき全体主義が姿をあらわすことを指摘したのはハンナ・アレント(1906-75)だった。アレントは20世紀初頭、ドイツのハノーファーに生まれ、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースに師事するが、1933年にヒトラー政権が成立するとユダヤ人だったためにパリに逃れ、第二次大戦中はアメリカに移住する。主著である『全体主義の起源』(1951年初版)で、彼女は古代ローマの政治家、大カトーの言葉「人はひとりでいるとき以上に孤独でないときはない」を引用する。そして、「孤立感(ロンリネス)」と「孤独(ソリチュード)」を区別し、孤独が文字どおり1人でいることを意味するのに対して、孤立感はむしろ他人とともにあるとき、かえって強く感じられると述べている。
孤独な人は、ひとりでいるときでも自分自身と対話することができる。というよりも、思考とはみずからと対話することにほかならない。思考力が人間だけにあたえられた能力だとすれば、孤独とはもっとも人間的な状態だとさえ言うことができる。そして、「私」と「私自身」との対話中で、「私」の同類たちは「私自身」によって代表されている。だから、自分自身との対話があるかぎり、孤独な人は世界との関係を失いはしない。
ところがソリチュードがロンリネスに変化することがある。それは、「私」が「私自身」に見捨てられるときだ、とアレンは言う。つまり、自分自身と社会とのつながりが実感できなくなったとき、孤立は孤立感に変わるのだ。
「全体主義でない世界で人びとに全体主義の支配を準備するもの、それはかつては老齢のような、ある種のマージナルな社会状況において生じる極限的な体験だった孤立感が、20世紀にはたえず増えつづける大衆の日常的な体験となったという事実である。全体主義が大衆を駆り立て、組織する過酷な過程は、この現実からの自殺的な逃避であるように見える。」(『全体主義の起源』第3部「全体主義)(塚原史『20世紀思想を読み解く 人間はなぜ非人間的になれるのか』筑摩書房〔ちくま学芸文庫〕/2011/p.91-93)
作家は、思考力を働かせ、「みずからと対話」し、ソリチュードがロンリネスに変化しないよう訴える。サングラスの老女(《Solitude》(1167mm×1167mm)や壺を抱えた女性(《Solitude》(1570mm×1810mm)が椅子に腰掛けているのは、茨木のり子が「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」と詠った、何者にも「倚りかからず」の精神を表現するのだ。