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芸術鑑賞の備忘録

映画『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』

映画『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
106分。
監督・脚本は、アナ・リリー・アミールポアー(Ana Lily Amirpour)。
撮影は、パベウ・ポゴジェルスキ(Pawel Pogorzelski)。
美術は、ブランドン・トナー=コノリー(Brandon Tonner-Connolly)。
衣装は、ナタリー・オブライエン(Natalie O'Brien)。
編集は、テイラー・レビ(Taylor Levy)。
音楽は、ダニエル・ルピ(Daniele Luppi)。
原題は、"Mona Lisa and the Blood Moon"。

 

ニューオリンズ郊外の湿地帯。満月に木立の中も幽かに明るい。カエルなどの鳴き声が響き渡る。
精神病院の警戒区域にある1室。防音を施した白い壁、白いベッドには白いシーツにマットレス。そして、白い床には、白い拘束衣で腕が動かせないモナ・リザ・リー(Jun Jong-seo/전종서)がしゃがみ込む。何かを察知したのかモナ・リザは辺りを窺うように立ち上がり、ベッドに跳び上がる。
看護師(Lauren Bowles)がガムを噛み、ナット・キング・コールの「モナ・リザ」を歌いながら鉄格子の扉を開けて警戒区域に入り、モナ・リザの部屋を訪れる。拘束衣のモナ・リザは扉に背を向け床に坐っていた。今夜の気分は、馬鹿。看護師はモナ・リザの頭を叩く。今夜の気分はどうだって言ったんだよ。お前に訊いてんだよ、馬鹿。看護師はモナ・リザを床に押し倒す。看護師はモナ・リザの足を引っ張り、黒いケースを取り出す。私は気分がいい。尋ねてくれてどうも。看護師はケースから爪切りを取り出して、爪を切り始める。爪の手入れって金かかるって知ってんの? 意味あんのかね。正直、あんたの爪がどうなってようと誰も気にしちゃいないって。どうでもよくない? こんなんだからこの国は落ちぶれんの。あんたの爪切って稼いで自分の爪を手入れしてもらう。意味あるかっての。モナ・リザが足を動かす。痛くないでしょ。じっとしてた方がいいよ、さもなきゃ痛い目見るよ。モナ・リザは足を引っ込めると、看護師の目をまじまじと見つめる。何なの? 爪切りを持つ看護師の右手が高く上がっていく。モナ・リザが自らの頭を下げると、看護師は爪切りを自分の太腿に突き刺す。悲鳴を上げる看護師。続けて何度も爪切りを突き立てる。誰か助けて! 殺されちゃう! 看護師は逃げようと床を這って扉へ向かう。何が望み? 何てこと。お願い、私が悪かった。看護師の行く手を遮るモナ・リザは看護師の言葉を呟くように繰り返す。何てこと。お願い、私が悪かった。解いて。モナ・リザは背中の拘束を外すよう要求する。看護師に腕を自由にさせると、モナリザは看護師から鍵を奪い、扉を開けて部屋を出て行く。
受付では夜勤の案内係(Rosha Washington)がチーズパフを食べながら映画を見ていた。拘束衣を着たモナ・リザが受付に現れたのに気が付いて、驚く。私に頂戴。何? ちょっと頂戴。これが欲しいの? 恐る恐るチーズパフの袋を差し出す。モナ・リザが手を突っ込んで食べ始める。うまいでしょ。モナ・リザが食べるのに夢中になっている隙をついて警報ボタンを押すを。館内にブザーが響き渡る。モナ・リザが案内係をじっと見詰めると、案内係は自分の意志とは関係なく回れ右をして、壁に設置された監視カメラ映像のモニターに近付いていく。モナ・リザが頭を振ると、案内係はモニターに強く頭を打ち付け、その場に崩れ落ちる。モナ・リザが建物を出る。見上げると、夜空にはの大きな満月が出ている。
男女3人が屋根付きの駐車場で屯してヘヴィメタルを聴いて飲んでいたところへ、モナ・リザが通りかかる。袖の長い拘束衣に気付いた男が声かける。飲み物は、と女が缶ビールを勧める。差し出されたビールをモナ・リザはごくごくと飲む。気に入ったみたいだな。靴脱いで。彼女裸足でしょ。紳士らしくしなよ。女に言われ男は渋々靴を脱ぐ。女は再びふらふらと歩き始めたモナ・リザに靴を差し出す。靴を履くモナ・リザ。湿地を廻ると柵の向こうに線路がある。線路伝いに行けばニューオーリンズだから。
モナ・リザは湿地を抜け、線路を歩き、ニューオーリンズへ。ミシシッピ川の対岸ではちょうど花火が打ち上げられていた。モナ・リザ路面電車の走る目抜き通りカナル・ストリートに彷徨い出る。
ニューオーリンズ郊外のロードサイドの中華レストラン「キャセイ・インペリアル」。警察官のハロルド(Craig Robinson)が夕食を取っていると、無線が入る。青少年精神病院から数時間前に脱走者あり。各自写真を要確認。アジア人女性、推定20代、茶色の髪、茶色の目。正確な年齢は確認中。対象は重度の統合失調症により精神的に不安定。細心の注意を要する。以上。店を出たハロルドがおみくじクッキーを割ると、知らんぷりをしろとあった。なるほど。ハロルドに無線が入る。ハロルドです、どうぞ。迷惑行為の女性2名、エスプラネード・マーケットの店主より通報。1名はひどく酩酊、意識不明に近い。了解。運がいい。満月の夜だ、忙しくなるぞ。了解、向かいます。
街を彷徨い歩くモナ・リザエスプラネード・マーケットに辿り着く。

 

ニューオリンズ郊外の青少年精神病院。モナ・リザ・リー(Jun Jong-seo)は10歳から12年間に渡って収容されてきた。警戒区域の部屋で拘束衣を着用させられたモナ・リザは、爪を切りに来た看護師(Lauren Bowles)を邪眼でコントロールして抵抗不能にし、鍵を奪って部屋から逃げ出した。さらに受付の案内係(Rosha Washington)も邪眼で失神させて病院を抜け出すことに成功する。駐車場でヘヴィメタルを聴いて飲んでいたカップルに飲み物と靴を与えられたモナ・リザは、拘束衣のまま歩いてニューオーリンズ中心部へ向かう。雑貨店エスプラネード・マーケットで仲間と屯していたファズ(Ed Skrein)に見初められる。ビールとコーン・パフを買ってもらってファズの車に乗せられたモナ・リザはファズからキスを求められる。モナ・リザが飲み食いを始めたところで、警察官ハロルド(Craig Robinson)がエスプラネード・マーケットにやって来る。店主(James W. Evermore)から酔っ払いの女性について通報を受けて駆け付けたのだ。青少年精神病院を脱走した重度統合失調症のアジア人女性の確保の命令が出ていたハロルドは、店の脇に停まっていた車の助手席に当該女性を発見する。モナ・リザはハロルドに気付かれたことを悟ると、ファズにTシャツをもらい、車を降りて逃げ出す。ハロルドはモナ・リザを追いかけ、確保しようと手錠を出す。手錠を嫌がるモナ・リザは邪眼を使ってハロルドの手から手錠を落とさせると、代わりに銃を握らせ、自らの太腿を撃たせる。ハンバーガーショップに行き着いたモナ・リザは、言いがかりを付けられ殴られていた女性(Kate Hudson)を邪眼を使って助け出す。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

精神病院に監禁・拘束されていたモナ・リザは、邪眼を用いて看護師、受付係を操り脱走する。10歳から12年間に渡り収容されてきたこと、看護師のモナ・リザに対する邪慳な態度から、脱走した夜以前には邪眼の能力が無かったと考えられる。冒頭、拘束衣を着せられ床に座っていたモナ・リザが突然立ち上がり跳び回るのは、自らの能力の発現に欣喜雀躍してのことだったのかもしれない。

 ギリガンは、2つの声それぞれに「正義の倫理」(ethic of justice)、「ケアの倫理」(ethic of care)という名前を与えて、両者を対比した。〈何が正義にかなうか〉という問いに主導される「正義の倫理」によれば、道徳の問題は諸権利の競合から生じるものとされ、形式的・抽象的な思考でもって諸権利の優先順位を定めることで解決が図られる。またこの倫理の基底には、自己をあくまで他者から分離した存在、「自律」の主体として捉える人間観が横たわっている。これとは対照的に「ケアの倫理」――すなわち「すべての人が他人から応えてもらえ、受け入れられ、取り残されたり傷つけられる者は誰ひとり存在しないという理想像」では、〈他者のニーズにどのように応答すべきか〉という問いかけが何よりも重視され、道徳上のジレンマは複数の責任が衝突するところに成立する。したがって「ケアの倫理」の場合、目の前のジレンマに対処するためには、「文脈=情況を踏まえた物語り的な(contexual and narrative)思考様式」に頼らざるを得ない。そしてこの倫理を支える人間観によると、自己は他者との「相互依存性」やネットワークの中に居場所を有することになる。(川本隆史「解題『もうひとるの声で』を読みほぐす」キャロル・ギリガン〔川本隆史山辺恵理子・米典子〕『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』風行社/2022/p.409)

警察官ハロルドは、雑貨店の店主から通報を受けて酩酊した女性のもとに向かい、目の前で吐瀉している彼女に対して罰金100ドルの支払いを求める。具合の悪い女性を手助けすること亡く法律の厳格の運用に徹するハロルドは「正義の倫理」を象徴する。
ハロルドは、精神病院を出てすぐモナ・リザが出遭ったヘヴィメタルを聴くカップルと対照的である。カップルは飲み物を差し出すだけでなく、裸足のモナ・リザに靴を与える。言わば「善きサマリア人」である。「文脈=情況を踏まえた物語り的な思考様式」を行うのは後者である。
モナ・リザは、爪切を行う看護師に対して爪切で自らを傷つけさせ、慈悲を乞う台詞を繰り返す。実は、看護師は「今夜の気分は」とモナ・リザに繰り返させている。モナ・リザは相手に対して反復の対応をとっている。モナリザは鏡なのだ。病院を出てすぐにモナ・リザが見上げる巨大な満月も鏡である。モナ・リザが乗り込んだファズの車内の青い光で満たされた空間に「ミラーボール」が吊されることで、月=鏡のアナロジーが改めて示される。
ボニー・ベル(Kate Hudson)は、ハンバーガーショップでアイリーン(Jennifer Vo)から恋人のレイ(Altonio Jackson)に色目を使ったと言い掛かりをつけられ暴行される。偶然居合わせたモナ・リザが邪眼を使ってボニーを救い出す。ヴィメタルのカップルやファズの行為から、「文脈=情況を踏まえた物語り的な思考様式」を反復しているとも言えよう。
モナ・リザは、悪魔=魔女であり、彼女を逮捕しようとするハロルドら警察は「魔女狩り」を遂行しているに等しい。魔女は、社会のヒエラルキーを撹乱するため、権威は排除に躍起になるのだ。
魔女の図像は裸であることがある。裸とは、衣服――拘束衣!――が象徴する社会のヒエラルキーから解放された状態である。ストリッパーのボニーは、その意味で魔女であり、男たちはボニーらストリッパー)を迫害する。その意識は、ポーリー(Joshua Shane Brooks)ら子どもにも植え付けられる。チャーリー(Evan Whitten)がいじめられるのはストリッパーの子であることによる。
チャーリーの部屋で、チャーリーがモナ・リザヘヴィメタルで激しく体を揺さぶるのは、「サバト」である。迫害される、オンナ・コドモの連帯を象徴する。
モナ・リザの「飛翔」。それもまた魔女の証明であろう。
ファズは自らを売人と決めつけるチャーリーに人は見た目によらないと諭す。ファズがそう呼ばれるのは、自認するように身体的な特徴からではなく、彼の性格の優しさのためであろう。
現実からちょっと飛躍する物語に映像と音楽とがうまく噛み合っている。
キャストはいずれも素晴らしいが、特殊な能力を持つミステリアスなモナ・リザの전종서が作品を引っ張った。