可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『蟻の王』

映画『蟻の王』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイタリア映画。
140分。
監督は、ジャンニ・アメリオ(Gianni Amelio)。
脚本は、ジャンニ・アメリオ(Gianni Amelio)、エドアルド・ペッティ(Edoardo Petti)、フェデリコ・ファーヴァ(Federico Fava)。
撮影は、ルアン・アメリオ・ウイカイ(Luan Amelio Ujkaj)。
美術は、マルタ・マッフッチ(Marta Maffucci)。
衣装は、バレンティーナ・モンティチェッリ(Valentina Monticelli)。
編集は、シモーナ・パッジ(Simona Paggi)。
原題は、"Il signore delle formiche"。

 

1965年冬。ローマ。イタリア共産党主催のパーティー「フェスタ・デ・ルニタ」。モノクロの記録映像がスクリーンに映し出されている。赤い旗が立ち、立て看板が並ぶ。いくつも並んだテーブルの1つでイタリア共産党の機関紙「ルニタ」の記者エンニオ・スクリバーニ(Elio Germano)が食事をとっている。従妹のグラツィエラ(Sara Serraiocco)がテーブルを片付けに来る。蟻って大嫌い。大声出すなよ、彼に聞こえる。向こうに誰か見えないか? ブライバンティ、蟻学者。何なの、それ? 蟻の生活を研究するのさ。彼は専門家なんだ。10分であがれるわ。グラツィエラが食器を下げると、エンニオは蟻を手にする。
アエミリウス橋の袂でアルド・ブライバンティ(Luigi Lo Cascio)が詩を口遊むのを、エットーレ・タリアフェリ(Leonardo Maltese)がうっとりと見詰めている。「君に差し出す掌に/紙の棒きれ/拾い上げたのだ/救命ボートのように/茨に縛られた/若者の足元から/君の翼が撫でると/誕生を寿ぐ嵐が起こる/眼差しは私を射抜き/すぐさま交わされる/素朴で輝くもの/それこそ2人が望むもの」。美しい。君のために書いたんだ。僕も書きました。「罪と思った/ただ勇気だった/「無限」の箇所を消し/「生命」に書き換える/夜と思った/ただ努力だった/「愛」の箇所を消し/「君」に書き換える」。アルドが詩を味わっている。もう寝ることにしよう。遅いから。表現が不味いですか? いや、この詩は誰が書いたのかね? 僕です。それなら私が昨日書いたものをもう1つ。能く覚えている、こんなのだ。「古代の塔の上から/孤独な雀/田舎に行きて歌え」…。アルドはジャコモ・レオパルディの詩を口にする。はいはい、知ってますよ、あなたが書きました? 気に入らないか? 素晴らしいですよ。ハーモニーが美しいね。傑作だね。2人が笑い合う。
エンニオが手首に這わせた蟻を吹き飛ばす。
アルドがエットーレと暮らすアパルトマンの部屋。早朝、大家が鍵を開ける。エットーレの兄リカルド(Davide Vecchi)が大家に金を渡す。エットーレの母マッダレーナ(Anna Caterina Antonacci)が忍び足で、カーテンの掛かる暗い室内に入る。隅には下着が干してある。蟻の巣箱が置かれている。画材があり、イーゼルにはピラミッドの絵が架かる。テーブルには質素な食事を終えた皿がそのままにされていた。マッダレーナが鎧戸を開ける。ベッドでは、エットーレとアルドが裸で眠っていた。リカルドがエットーレを抱えて連れ出す。アルド、助けて! リカルドが弟に睡眠薬を嗅がせる。アルドが服を着て後を追う。恥を知れ。アルドは大家を非難する。エットーレは眠りに落ち、マッダレーナとリカルドの車に乗せられて連れ去られる。通りに出たアルドは走り去る車が消えるのを呆然と見詰める。アルドは憔悴する。
精神病院。眠らされたエットーレを乗せたストレッチャーが鉄格子の扉の向こうへ運ばれる。マッダレーナが見送る。リカルドは看護師に契約時の料金と異なると訴える。個室は別料金ですよ。他の患者と相部屋となることを望まないでしょう。自宅同然の環境を整えてもらうわ。マッダレーナが言い置くと、看護師は十字架を示す。
目を覚ましたエットーレは動揺し、叫び声を上げる。医師(Alessandro Bressanello)がエットーレに落ち着かせようと問題無いと声をかける。何をするつもり? 良い気分になってもらいたいんだ。でも僕は病気じゃない。もちろん、そうだね。君も他の若者と同じだ。言うとおりにしなさい。すぐに退院できる。アルドはどこ? 呼んである、こちらに向かってるよ。本当? 僕を愛してくれるのはアルドだけなんだ。母と兄は違う。騙したんだ。私が手助けしよう。ありがとう。でも母には内緒だよ、アルドが来ること。嫌ってるから。心配ない。私らの秘密だ。誓って? 誓うよ。ありがとう。エットーレのベッドに装置が運ばれてくる。その機械は何なの? すぐに眠りに落ちて、何も感じなくなる。エットーレの身体に器具が装着される。叫び声を上げるエットーレの口に脱脂綿が射し込まれる。エットーレの身体はベッドの上で激しくはね、痙攣する。
暗い部屋でベッドに手足を拘束されたエットーレ。
エットーレがジャケットを着せられ、面会室に連れ出される。マッダレーナが息子に調子はどうかと声をかける。やつれたエットーレは無言で母から視線を外す。医師は良好だって言ってるわ。ここの治療をとても信頼してるの。でも、薬だけじゃ十分じゃないわ。食事をしないとね。毎日身体にいい物を持って来るけど、全く手を付けないわね。他の人たちはこんなに恵まれてないわ。私を見なさい。私がどれだけ苦しんでるか。最悪の事態は脱したわ。全て元通り、いいえ、もっと良くなるわ。教区司祭もみんなにあなたのことを思うよう祈ってくれたわ。私のように毎日祈るのよ。マッダレーナが祈りを捧げ、十字を切る。エットーレは母親に近くに来るように頼み、母親に一頻りしがみつくと、突き放す。

 

1965年冬。ローマ。詩人で劇作家、また蟻学の権威でもあるアルド・ブライバンティ(Luigi Lo Cascio)の部屋。早朝、アルドの生徒で交際相手でもあるエットーレ・タリアフェリ(Leonardo Maltese)は、寝込みを襲った兄リカルド(Davide Vecchi)と母マッダレーナ(Anna Caterina Antonacci)によって精神病院に連れ去られた。エットーレは同性愛の「治療」のために電気ショックなどを受けさせられる。アルドは2人の青年を隷属させたことを理由に刑法603条の洗脳罪を犯したとして逮捕・起訴された。
1959年春。エミリア地方の田舎町。古い城館「塔」を活用して若者に演劇など芸術の指導を行っていたアルドは、交際していたリカルドとの関係が冷え込む中、リカルドの弟エットーレに出会う。医学徒のエットーレに絵画の才能を認めるたアルドは自らが師となることを買って出る。エットーレはアルドの「塔」に足繁く通うようになる。エットレーが医学を放棄し、同性愛者であるアルドのもとに入り浸るのに我慢ならないマダレーナは、アルドの母スザンナ(Rita Bosello)にアルドをエットーレに近づけないよう訴える。1964年春、アルドはエットーレとともにローマへ出た。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

アルドはエミリア地方の田舎町で演劇塾を開いていた。芸術に対する真摯な態度は町の若者たちを惹き付ける一方、アルドが好みの男子に取っ替え引っ替え熱心な指導を行うとともに性的関係を結んでいることでも知られていた。エットーレとの関係は他の男子とは違う真剣なものとなったが、保守的なコミュニティで居場所を失った2人はローマに出た。エットーレの母マッダレーナは、ローマのアルドの部屋に押しかけ、息子を拉致して同性愛治療のため精神病院に入れる。エットーレの兄リカルドもかつてアルドと交際していたが、神父の導きによって同性愛から「恢復」していた。
アルドは2人の青年を洗脳して支配・隷属させたことを理由に刑法603条の罪(字幕では「教唆罪」と訳されていた)に問われる。例えば、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(The Imitation Game)』(2014)では、アラン・チューリングが同性愛を犯したとして逮捕されるように、同性愛処罰規定は存在し得た。だが、イタリアでは同性愛処罰規定がないため――劇中、ムッソリーニがイタリアには同性愛が存在しないとして規定しなかったと説明される――、刑法603条を流用し、脱法的に同性愛を懲罰するものであった。アルドは指導する誘惑して男子を弄んだと糾弾される――エットーレの前に交際していたマンリコ(Roberto Infurna)やリカルドに対する冷淡さや、カルラ(Maria Caleffi)に対する演技指導の激しさを描くのは、アルドに嫌疑をかけられる落度を示すためだろう――が、もし女子(異性愛)であったらば恋愛問題であり、逮捕・起訴されることなど無かった。
美しいキャストと映像も魅力。その美しさはエットーレが「治療」により廃人にされる惨劇をより強く印象付けるのに効果を上げている。