展覧会『Future Echoes | フューチャーエコー』を鑑賞しての備忘録
nca | nichido contemporary artにて、2025年7月26日~9月13日。
ブスイ・アジョウ[บู้ซือ อาจอ/Busui Ajaw]、井上亜美、クリスタル・ルパ[Crystal Lupa/呂紹瑜]、ワンゲシ・ムトゥ[Wangechi Mutu]、しまうちみかの5名の女性作家たちが表わす、この世ならぬ者の存在を介して、世界を見つめ直す試み。
【クリスタル・ルパ[Crystal Lupa/呂紹瑜]】
《マウイ島の夏の夜》は、下から上へ緑、白、赤、黒の4層からなる空間の白の層に、燭台か、火を灯した皿を胸の前に掲げ佇む女性を表わす。此岸と彼岸との境界にいる彼女の炎を映して金色に輝く眼は、冥界からの視線を獲得したかのようだ。《フロンティア》(400mm×500mm)において、水面に浮かぶ装飾を施された犬(?)もまた此岸と彼岸との境界に漂う。
《下から運ぶ》(180mm×240)の楕円の画面には、夕空の下、色鮮やかな浜(?)に切り立つ崖の上に佇む人物を描いた作品。白、赤、青などが点じられた「浜」が画面下半分を占め、画面中央に白い切り株のような崖が立つ。断崖の頂部には小さな人物の姿がある。彼女は何かを運んでいる。重要なのは、運ぶ対象ではないだろう。運ばれて位置を違えることでもたらされる異化効果である。
不定形の画面を岩を模した縁で覆い、潮の満ちた磯の岩場に人魚のように腰掛ける女性の後ろ姿を捉えた《ライラックリボン》(300mm×410mm)や、壁際の床や天井に植物の生える赤茶色の壁に囲まれた空間で、光の射し込む出入り口に向かう女性を表わした《出戸》(300mm×235)、左右にナツメヤシが立ち並ぶ森の中の開けた場所を歩く女性を描いた《ナツメヤシの森》(800mm×1000mm)では、女性達の小さな姿が画面に点じられている。《劇場》(300mm×410mm)は、数枚の花弁の赤い花、白い糸状の花弁を密集させた花、赤い球を連ねた花、黄色い穂のような花など7種の花が茎や葉を胴や腕・脚として擬人化された作品であるが、1輪の花にいる小さな女性は金の粒を掲げ、周囲に撒き散らしている。彼女は妖精であろう。スケールが変われば、世界は異なる相貌を見せる。世界の異貌を垣間見せるためにこそ「妖精」のような小さなサイズの人物を配しているのである。
《テラ》(410mm×300mm?)は葉の蔭で花々を胸に抱えて坐る、白く長い縮れた髪を腹まで垂らした女性を描いた作品。鮮やかな地面に腰を降ろした女性を包んでしまうほど大きな葉は、画面左からやや右に曲がりながら茎を伸ばし、大きな葉が旗のように女性の背後を覆う。周囲も植物が覆い尽くす。女性はあらゆるものを抱き留める大地の化身である。《蛇女》(350mm×240mm?)は、アブラヤシ(?)など熱帯植物の林で蛇とともに佇む女性を表わす。腰蓑を身に付けた彼女はやや俯いて膝を地面に着く。腕を身体にそわせ、線状になり、地面に倒れ込もうとしている。その傍らを黒い蛇が這う。彼女は蛇に擬態する。変身は世界の異貌を捉えるためにこそ行われる。
《杖を持った少年》(300mm×400mm)は、高台に上がり、森を見渡しながら杖を高く掲げる。高い位置から世界を眼差し、杖により老人の知恵を手に入れる。その身体が白く輝くのは、フロンティアにおいて、この世ならぬものを感知する鏡と化しているからに他ならない。
【ワンゲシ・ムトゥ[Wangechi Mutu]】
《さまざまな種類の子宮腫瘍の組織学[Histology of the Different Classes of Uterine Tumors]》は、12点組みのコラージュ作品(各584mm×432mm)。そのうちの1点は、ビクトリア朝時代に刊行された医学書の"Adult Female Sexual Organs"の図版を台紙に、ファション誌などから切り抜いた黒人女性の顔や白人女性の身体などをガムテープで無理矢理繋ぎ併せ、大きな唇が印象的な女性の横顔を構成したもの。医療図譜の女性器はコラージュによりほとんど何も見えないが、白人女性のオレンジ色のコートは陰核や陰唇を、白い毛は陰毛を暗示する。また別の1点は、"Complete Prolapse of the Uterus"は、子宮脱の図版と年配の白人女性の貌とを上下に組み合わせ、眼や縮毛の頭髪などを付け足して顔を表わしている。彼女の鼻の穴の辺りにはアフリカ系女性の豊かな乳房が重ねられている。白人と黒人のイメージの接合は、子宮脱の定位置からのズレと相俟って、アフリカ起源の人類の歴史を呼び起こす。医療図版に黒い骸骨のような顔を表わした作品では、頭部に頭蓋骨を手に取り見比べる白人男性がコラージュされるとともに、顎の周囲には女性の脚が4本、蜘蛛の脚をイメージさせるように貼り付けられている。"Tumors of the Uters"の図版に、眼、ピアスをした舌を出した口、噴火のイメージを組み合わせ造型された顔は、お岩の姿を提灯に重ねた、北斎の《百物語 お岩さん》を髣髴とさせる。奇怪な顔は社会の病理を映す鏡だ。
【しまうちみか】
《ようこそ! わたしたちの土地へ!》(727mm×1167mm)は、UFOから降りて来る異星人と、異星人を出迎える少年やお化けたちとを描いた作品。満天の星空にUFOが飛来し、黄色い光が放たれる中、猫と軟体動物とを組み合わせたような赤い異星人が地上に降り立とうとする。ヤシの木の立つ熱帯の地では、コモドオオトカゲのTシャツを着た少年が異星人にスマートフォンを向ける。彼の背後には、パンダや天狗や青鬼のような異形の者たちの姿もある。地球人もまた宇宙人に他ならない。いつ異星からの来訪者があるかは分からない。
《リリーちゃんの世界》(727mm×1167mm)もまた、満天の星空とヤシの木の生える地が舞台。ネコやネズミやカエル、あるいは鼻や雪だるま、吹き流しのような頭部の人物など、異形の者たちが居並ぶ。リリーちゃんが10数えて振り返ったときに、視界に姿を現わしたイマジナリーフレンドたちだ。夢を見た人が夢に影響されるなら、夢もまた現実を構成する。夢と現実との間に境はない。
《おばけだぞ~》(1620mm×1300mm)は、暗闇の中に、白い布を被った西洋風のお化け、ハンバーガーの頭部を持った怪人、なまはげなどに交じって、懐中電灯の光りを下から浴びた男の顔が描かれる。闇の中には何が存在していてもおかしくはない。浜辺が海との境にあるように、地球が宇宙の片隅にあるように、この世とあの世とは繋がっている。
【井上亜美】
《猟犬の肖像(はつ・斑・サンタ)》は、猪猟の猟犬「はつ」、「斑」、「サンタ」の思い出をモノクロームの写真とテキストとを交互に組み合わせた無声映画のような映像作品。優れた猟犬「銀牙」の血を引く「はつ」は生後間もなく猪に立ち向かい、やがて自由に野山を駈け廻って猪を捕った。突然死を迎える前には、駆け戻っての報告を怠ったり、獲物のいない木の廻りをうろついたりしていたという。「はつ」の妹「みらい」は大人しい性格で、「はつ」に比べ猟に出る時期も遅れたが、今はペットとして余生を過ごしている。「斑」は鹿と見間違えて撃ち抜いてしまった、作家の痛恨事に纏わる犬である。猟犬の姿と音声(ナレーション)ではなく文字(テキスト)を写真の間に挿入する構成自体が、言葉を発しない猟犬に言葉で指示する飼主の姿が暗示される。また、言葉には感情を記さないものの、実際の狩猟の場面だけでなく、記憶の再現のための写真がセンチメンタルに働き、闇に猟犬の姿が浮かび上がる写真(ティンタイプ)10点から成る《夢に犬が出てきてくれた》と相俟って、記録からズレてハードボイルド的な作品となっている。
【ブスイ・アジョウ[บู้ซือ อาจอ/Busui Ajaw]】
《マザースー、母、異なる世界》(2000mm×2000mm)は、子供を抱えて坐る2人の母親を背中合わせに荒々しい筆致で描いた作品。右側の母親は、赤い頭巾を被り、腹に子供を抱えて、右向きに坐る。左側の母親は、胸に子供を抱える姿を左手前側から捉えられている。眼の円、鼻のL字、葉の覗く口などが半ば抽象的に描かれ、脚は極端に小さい。赤味のある肌を持つ右側の母親に対してモノクロームの母親は亡者のようである。画面全体に赤い絵具を飛び散ら
《おじいちゃん、おばあちゃん》(1000mm×800mm)は、青緑の画面に白い線で2人の人物を描いた作品。白や黄が光のように覗く斑のある青緑の背景は中央附近で2つに分割され、左上に太陽が配された上側が空、下側が海ないし大地(山)と思しい。2人の人物は手前に並んで立ち、白い線で輪郭を中心に身体が透き通るように描かれる一方、顔は目鼻を中心に赤味のある肌で描かれる。幽霊のような表現により追憶を表現するのだろう。
《霊》(500mm×600mm)は黒い画面いっぱいに女性の顔を2つ横に並べて描いた作品。左側にはペールオレンジの肌にピンクの唇の女性を、右側には黒い肌に山吹色の唇の女性を配している。死者の存在を常に感じているということか、あるいは守護霊であろうか。
《友達》(600mm×500mm)には、花の香りを嗅ぐ女性と彼女の肩にしがみつくこの世ならぬ存在とを描く。右側に白とピンクの花をつけた植物を、中央に左手で白い花を掴んで鼻先に寄せているピンクのワンピースの女性を、左側に彼女の肩に熊手のような黒い手をかける頭蓋骨のような頭部を持つ存在、亡霊を表わす。花に対して死者を対置する、メメント・モリ[memento mori]の表現と言えよう。
《庭にいる男》(500mm×600mm)は、青い池と緑の木々とを背に、赤いコートの人物を描いた作品。緑と赤との対照が鮮烈である。赤いコートの人物は黒い顔で、その眼は穿たれた穴のようである。この人物もまた死者・亡霊である可能性は高い。
いずれの作品においても、死者が象徴する彼岸からの眼差しが表わされ、世界を相対化する意図が明白である。