映画『ぼくのお日さま』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
90分。
監督・脚本・撮影は、奥山大史。
照明は、西ヶ谷弘樹。
録音は、柳田耕佑。
美術は、安宅紀史。
装飾は、松井今日子。
衣装は、纐纈春樹。
ヘアメイクは、寺沢ルミと杉山裕美子。
編集は、奥山大史とティナ・バス。
音楽は、佐藤良成。
リレコーディングミキサーは、浜田洋輔。
音響効果は、勝亦さくら。
野球場では少年野球団「イーグルス」のメンバーが練習に励んでいる。センターの背番号11、多田タクヤ(越山敬達)は舞い落ちる雪に気付き、空を見上げる。打球がタクヤの脇を抜けていく。背番号7、セカンドのコウセイ(潤浩)がボールを追いかける。何してんだよ、タク。雪。初雪。おい、また団長に怒られるぞ。タクは舞い落ちる雪に見蕩れる。
すっかり雪に覆われた町。アイスリンクではアイスホッケーの練習が行われている。集中集中! 追って! しっかり! 団長が選手たちを絶え間なく号令する。ゴーリーのタクヤはパックを1つも阻止できず、次々と得点される。痛烈なショットがタクヤの左脇に命中し、タクヤが崩れ落ちる。交代交代!
ロッカールーム。メンバーが愚痴る。こんなにボコボコ決められたら勝てる試合も勝てないよ。立ってるだけでももうちょっと止められるだろ。だったらお前がやれよ。コウセイがタクヤの肩を持つ。やだよ。罰ゲームじゃん。
アイスリンクでフィギュアスケートの生徒たちが滑っている。通りかかったタクヤが荷物を降ろし、リンクでブレードのエッジを使って氷を削り取り、痛めた脇腹に擦り付ける。タクヤは氷上で華麗に舞う三上さくら(中西希亜良)に目を奪われた。さくらしか目に入らない。
おーい、呼ばれてるの君じゃない? フィギュアスケートのコーチの荒川永士(池松壮亮)が突っ立っているタクヤに声をかける。コウセイがタクヤを呼び、大きく手を振っていた。タクヤ、帰るぞ! ごめん、ごめん。
荒川がさくらの滑りを見詰める。スパイラルの後、ステップ早く。スパイラルからもう1度行こうか。荒川の助言を受けたさくらが再び滑り始める。
タクヤとコウセイが雪道を帰宅する。早くさあ、雪溶けないかなあ。野球に戻れるじゃん。タクヤ、野球も下手じゃんか。タクヤさ、女の子見てた。見てないよ。見てたよ、絶対。ジロジロ。今見てないじゃん。今さっき。僕はそう思いません。僕はそう思います。
荒川が整氷車を運転してリンクの製氷をしている。その姿をロッカールームの窓から眺めるさくらとナツコ(佐々木告)。荒川先生ってよくない? そう? そうって…。さくらちゃんは慣れてるんだろうけどさ、この町、こういう人、全然いないよ。お母さん、テレビで見たことあったって。東京でも先生やってたらしいよ。なんでこんなところに引っ越してきたんだろうね。
さくらが車の助手席で母親の真歩(山田真歩)を待つ。真歩が荒川と交わす話が車内にも漏れ伝わる。どんどん上達してますよ。全然喋ってくれなくて。今、ダブルアクセルに挑戦しています。まだ時間がかかるとは思いますけどね。
荒川が車で長いトンネルを抜ける。カセットテープを取り出しプレイヤーにセットする。音楽が流れ始める。煙草を取り出し、火を点ける。
荒川がガソリンスタンドに立ち寄る。オーライ、オーライ、OKです! ハイオク満タンで。ハイオク満タン! 店員が機敏に対応する。荒川が軽くクラクションを鳴らすと、サーヴィス・ルームにいた五十嵐(若葉竜也)が荒川に気が付く。社長、お疲れ様です。ノズル治った? とっくのとっく。1週間前に治ったよ。五十嵐がフロントガラスを磨く。荒川が拭く場所を指示する。拭いてるでしょっ! 軽トラが入って来て、五十嵐がすぐさま応対する。いつ帰ってきたの? 半年くらい前です。お母さん、喜んだでしょ? 五十嵐が軽トラの運転手と話し込む。ハイオク54リッターです。店員に支払いをした荒川が車を発車させる。
北海道にある小さな町。多田タクヤ(越山敬達)は少し吃音のある小学生。短い夏は野球、雪に閉ざされる冬はアイスホッケーに勤しんでいた。タクヤはそれほど運動が得意でない。その上、すぐに何かに心を奪われてしまう。いつも一緒のコウセイ(潤浩)がタクヤを支える。6年生の冬、ゴーリーを押し付けられたタクヤは鋭いショットを左胸に受ける。帰りにリンクの氷を削り患部を冷やしていたところ、フィギュアスケート三上さくら(中西希亜良)の華麗な姿に目を奪われる。タクヤはすっかりさくらに夢中になり、見よう見まねでスピンを試みる。フィギュアスケーターを引退した荒川永士(池松壮亮)は、さくらのコーチを務めていた。実家のガソリンスタンドを継いだ五十嵐(若葉竜也)と同棲し、細やかな幸せを噛み締めていた。さくらに惚れてスピンを練習するタクヤの愚直さに心を打たれた荒川は、ホッケー用のシューズを履くタクヤに自らのスケート靴を貸し、フィギュアスケートのスケーティングの稽古をつけてやる。タクヤの上達に気を良くした荒川は、シングルのスケーティングの向上にも資するからと、さくらにタクヤとアイスダンスに挑戦するよう求める。荒川に恋心を抱くさくらは、これまで自分だけに向けられてきた荒川の眼差しがタクヤにも向けられることに嫉妬せざるを得なかった。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
軽度の吃音があり、何事にも不器用なタクヤは、さくらに惚れ込んでフィギュアスケートを始める。さくらはタクヤに春(思春期)の到来を告げる「お日さま」である(アイスホッケーで胸を痛めるのは初恋の前兆であった)。荒川の目には、タクヤの純真さもまた眩しい「お日さま」と映る。さくらにとっては荒川が自らを導く眩しい「お日さま」である。
タクヤが受ける国語の授業では、黒田三郎の詩「支度」が扱われる。タクヤは先生から第四連(最終連)を朗読するように求められる(先生はゆっくりでいいからと付け加えた)。「ごったがえす/人いきれのさなかで/だけどちょっぴり/気がかりです/心の支度は」。ここまでどうにか読めていたタクヤだが、続く部分を、「どどどどと」とどもってしまう。
「支度」は「何の臭いでしょう/これは」と倒置で始まる。第二連で「これは」が繰り返され受け取られる。「これは春の匂い/真新しい着地の匂い/真新しい革の匂い/新しいものの/新しい匂い」。第二連は「(真)新しい」「匂い」が繰り返される。そして、第三連は第二連の「新しい匂い」を受けて「匂いのなかに」と始められる。反復法とは、どもることなのかもしれない。流暢な言葉が表面を滑っていくのではなくて、思いを載せた言葉を届けようと必死に足掻くこと。
「支度」は「お日さま」という言葉こそ現われないが、春の訪れがテーマとなっている。「お日さま」の「匂いのなかに/希望も/夢も/幸福も/うっとりと/浮かんでくるようです」。一言で言えば、そんな映画だ。だから「支度」の最後にあるように、本作は「心の支度は/どうでしょう/もうできましたか」と問うのである。この問いにタクヤが、あるいは荒川が、またさくらが、それぞれどう答えるか。
荒川の自動車や携帯電話はアナクロニスムだ。とりわけ、映画『PERFECT DAYS』(2023)の主人公・平山よろしく、荒川はカセットテープを愛用する。カセットテープには表・裏がある。荒川にも表と裏とがある。昼と夜であり、お日さまとお月さまでもある。荒川がフィギュアスケーター時代に愛用していたのがクロード・ドビュッシー(Claude Debussy)の「月の光(Clair de lune)」であった。荒川はスポットライトを浴びていた時分にも、自らがお天道様の当たる世界ではなく、夜に属していたことを自覚していた。
荒川がコーチとして「昼」の仕事を終える。自動車で長いトンネルを通ると、そこは「夜」のガソリンスタンドであった。そこにいるのが同棲相手の五十嵐だ。
荒川はスケートリンクで滑走した後も、自ら「川」として流れ続ける。ノマドたる荒川の立ち寄る津=港が五十嵐なのだ。2人の世界は夜に属する。ところが荒川の「昼」が長くなると、五十嵐の出る幕は短くなっていく。五十嵐の声は荒川に届かず、ラーメンはのびてしまう。
荒川1人で啜るカップ麵。荒川とタクヤとが啜るカップ麵。荒川とタクヤとさくらで啜るカップ麵。3つの流れが合わさって1つの川となる。川が流れ込む湖に3人の大きな夢が湛えられていく。氷の張る湖でアイスダンスの練習をする3人は、3人が同じ世界を共有する束の間の夢だ。それは失われてしまうからこそ、より強く心に焼き付けられる。
雪によって白一色に染まった世界。雪が溶けると、再びそれぞれが独自の色を見せ始める。
美しい世界を背景に美しい人たちが織り成す美しい物語。至福の鑑賞体験である。