可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 小泉圭理個展『しゃくとり虫』

展覧会『小泉圭理「しゃくとり虫」』を鑑賞しての備忘録
KOMAGOME1-14casにて、2024年9月11日~23日。

いずれも「しゃくとり虫」と題した絵画で構成される、小泉圭理の個展。
《しゃくとり虫(Reference: Le Corbusier, Modulor)》(1800mm×900mm)は、頭に腕を載せた人物の姿を描き、その右側に、中央に1辺10cmの正方形の穴の開いた1辺30cmの正方形のタイルが縦に6枚並ぶ、キャンヴァスを支持体とする油彩画。但し、画面は方形ではなく、身体や「タイル」(内部の穴も)の輪郭線に沿って切り出した形である。画題にある通り、人体の寸法と黄金比とを組み合わせた建築の寸法である、ル・コルビュジエ(Le Corbusier)モデュロール(Modulor)のイメージが参照されている。人物は石膏像を連想させるような灰白色で、腕は頭上に伸ばされることなく頭に載せられ、また正面向きではなく横向きである。右側の肘・胸・腹・膝の作る波線に黄褐色(外側)と水色(内側)がなぞるように着彩されているのが、落ち着いた画面の中で目を引く。「タイル」もまた淡い灰色で、葉状の文様とレンチ状の文様のタイルが交互に並ぶ。
《しゃくとり虫》(600mm×450mm)は、生地の色味を活かした画面に、それぞれ植物の蔦らしきもの、窓と波、女性のトルソ、方眼と文様を白で描いたもの(わずかに水色や黄土色が挿される)が4点並ぶ。いずれも作品もモティーフに合わせて方形の画面の一部が切り取られ、あるいは穴が穿たれている。
紙に親指と中指とを伸ばした右手を描いた《しゃくとり虫》(120mm×155mm)は、シャクトリムシの姿を右手で模しているのだろう。シャクトリムシのように中指を中指の先に移動させ、中指をもう1度伸ばせば、1尺に近い長さとなるだろう。手は、作家自身であり、画技である。その手をシャクトリムシのように動かすことは、作家が独自の価値基準で世界をなぞり、捉えることのメタファーである。絵画とは作家が世界を計測することに他ならない。
ところで、現実の単位(の基準)は、人の手を遠く離れてしまった。長さの単位であるメートルは、一定時間(1秒の299792458分の1)に光が真空中を伝わる長さである。作家の作品に登場する穴と波とは、真空と光(電磁「波」)であった。技術の発達によって客観的な基準はますます捉え難くなり、ブラックボックス化している。肌感覚に基づいて世界を認識することは、人間が身体という限界を有する以上、変わらず重要である。それを訴えるのが、「しゃくとり虫」なる絵画群とも言えそうである。
しかし、「しゃくとり虫」には人間が登場せず、あるいは姿を見せてもオブジェのようである。人間の住み処を象徴し、絵画のメタファーでもある窓に入り込んでくる海、あるいは画面を覆い尽くす植物的文様。「不自然」な長方形(直方体)のキャンヴァスの解体は、ヒューマニズムに対する反省というエコクリティシズムの観点が反映されているとは言えまいか。「しゃくとり虫」には人間以外のステークホルダーが仮託され、人間の主体性の相対化が企図されているとも解されるのである。