可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 福本健一郎個展『Fragments of Light』

展覧会『福本健一郎「Fragments of Light」』を鑑賞しての備忘録
KOMAGOME1-14casにて、2024年3月16日~25日。

絵画「Fragments of Light」シリーズ6点と、木彫と陶器とを組み合わせた立体作品「Fragments of the earth」シリーズ3点とで構成される、福本健一郎の個展。

受付の反対側の壁面に沿って、立体作品「Fragments of the earth(あめつちのかけら)」シリーズが3点並べられている。《Fragments of the earth #88》(880mm×240mm×210mm)は脊椎骨のようなものが骨盤状の台座の上に伸び、先端にはラフレシアを想起させる穴の開いた花のようなものがある。花の穴の中には球体があり、「脊椎骨」など人を想起させる形状との連想からも、「花」は眼に見える。《Fragments of the earth #86》(830mm×220mm×90mm)は平板だが肺を思わせる形から管ないし茎が伸びて先に花状の形が載る。《Fragments of the earth #87》(1260mm×110mm×140mm)は、管のようなものが途中で腰と腹のように前後に折れ曲がり、先端にはやはり花のようなものが付いている。3点の立体作品はいずれも人と植物とが一体化したような形状を持つと言える。これらは一見するとやきものに見えるが、木彫とやきものとが組み合わされている。素材の選択においても、一体化というモティーフが繰り返されるのだ。
絵画「Fragments of Light」シリーズは、様々な筆遣い、色、何であるとはっきりとは捉え難い形状により混沌とした世界が画面に表わされている。それでも花の形は比較的摑みやすい。出展されている中で最大画面の《Fragments of Light #16》(820mm×1020mm×40mm)は、ピンクや青の花、花に連なる茎ないし蔓のような形が見出せる。青、茶、灰といった色の塊は磯のようなイメージを引き寄せる。比較的暗い色が支配する画面の中で、明るい白で塗り込められた部分が明るく浮き立つ。光(light)をテーマにした作品であったことが想起される。そして、人と植物とが一体化した「Fragments of the earth」シリーズとの連関から、作家の表現する光とは生命であることに気が付くのである。

 すべての生きものはある意味で、形態から形態、主体から主体、実存から実存へとうつろい続けるような1つの同じ身体、同じ生、同じ自己である。この同じ生とは惑星を生気づける生であり。惑星もまた生まれ、既存のコール(身体=天体)――太陽――から逃れ、45億年前に物質的なメタモルフォーゼによって生み出された。わたしたちはみなその小片であり、閃光である。先行する数えきれぬ存在のなかで生がなしたこととは別の仕方で生きようとする、天体的物質であり、エネルギーである。しかしながら、この共通の起源――より適切に言えば、わたしたちが地球の肉と太陽の光、つまり「わたし」と言う新しい仕方を再発明する肉と光であるということ――は、わたしたちにただ1つの同一性を強いるわけではない。反対に、より深くて親密な親縁性(わたしたちは地球と太陽であり、それらの身体、生である)のゆえにこそ、わたしたちは絶えず自分の本性と同一性とを否認するよう定められており、それらを新たなものへと手を加えるよう強いられている。差異はけっして自然ではなく、運命と責務である。わたしたちは互いに異なったものになる義務を、自分をメタモルフォーゼする義務を負っているのである。(エマヌエーレ・コッチャ〔松葉類・宇佐美達朗〕『メタモルフォーゼの哲学』勁草書房/2022/p.22)

全ての生命は同じ根を持ちながら、それぞれが常に他とは異なる在り方であろうとする責務を負った光の断片である。それが絵画「Fragments of Light」シリーズのテーマであった。なお、出展されている多くの絵画が敢てキャンヴァスの上に別の布に描いたイメージを貼り付けることにより、生のはかなさが強調されている。