可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 ケイト・ニュービー個展『Very active weather』

展覧会『ケイト・ニュービー「Very active weather」』を鑑賞しての備忘録
KAYOKOYUKIにて、2024年2月17日~3月24日。

陶板や小さな器など焼き物と、ロープを用いたインスタレーションで構成される、ケイト・ニュービー(Kate Newby)の個展。

 しかし、〔引用者補記:世界は、安定した領域ではなく、変転する大気と流動する大地とが雲のように入り交じり、相互作用するものと捉える〕ウェザー・ワールド、あるいは海洋惑星こそが、私たちが住む生態学的環境のリアリティである。観測技術が発達した今日でも天気の予測が難しいのは、大気の運動は典型的な複雑系だからである。地震の予測も難しい。大地も流体だからである。私たちが生きている地表面はその2つの流動の界面である。空気と水は、相互に働きあって、複雑な波形を作り出す。私たちは、その力を利用しながら、同時にその力に翻弄されてもいるセイラー、あるいはサーファーなのである。(河野哲也『境界の現象学 始原の海から流体の存在論へ』筑摩書房〔筑摩選書〕/2014/p.116)

《My question》(580mm×740mm×60mm)は、主に赤ないし朱を呈した複雑な起伏のある陶板で、縦2本、横1本の線で6つに分割されている。なぜこの陶板が"My question"なのだろうか。
陶板が世界を表わすと解するのは飛躍に過ぎようか。それは混沌として掴み所がない。全ては絡み合い繋がっている。世界全てに対処することはとてもできないため、人は世界を切り分けていく。それは言葉を用いることでもある。キリスト教の世界観において、神は言葉である。6つの分割は、神が天地創造に6日間を当てたことに擬えられる。
展示室の向かい合う壁の双方にいくつもの青い輪が取り付けられ、羊毛や綿を素材とする色取り取りのロープが何本も渡されている。赤、オレンジ、黄、茶、濃い青、淡い青、白などのロープは、同じ色同士、あるいは違う色と結ばれていて、結び目が目立つように残されている。空に懸かる虹のような作品は《Before AND after》である。
仮に《My question》が世界の分割なら、《Before AND after》は分割された世界を再び繋ぎ合わせる営みではなかろか。

 哲学は、新しい行為の理論を必要としている。それは能動的でもなければ受動的でもなく、その両方の妥協的な中間物〔中動態〕でもないが、この理論のおかげで私たちは、グローバルな温暖化とネオリベラリズムのような物理的に巨大な存在の下から抜け出すことができ、その下方に揺動できる余地を見出すことになる。そうすることで、ハイパーオブジェクトからの抜け道を揺動したり振動したりすることができるようになる。(略)
 愛はストレートではない。なぜなら現実がストレートではないからだ。あらゆるところにカーブと湾曲があり、事物は変転する。倒錯を意味する英単語(Per-ver-sion)にも、環境を意味する英単語(En-vir-onment)にも、変転を意味する単語(veer)が含まれている。変転し、逸脱していく。私はそうすることを選択しているのか、それとも引っ張られているのか。自由意志は過大に評価されている。私は宇宙の外側で決定し、それからオリンピックの飛び込み選手のようにそこへと沈んでいくのでもない。私はすでに宇宙の内にいる。私は人魚のようなもので、いつも引っ張られては引っ張り、押されては押し、はじかれてははじき、ひっくり返されて開かれ、流れとともに動き、私に結集することのできる力で流れを押しのける。環境はニュートラルで空虚な箱ではなく、流れとうねりで満たされた海である。(ティモシー・モートン〔篠原雅武〕『ヒューマンカインド 人間ならざるものとの連帯』岩波書店/2022/p.288-289)

入口には作者が制作したテラゾーが設置されていて、鑑賞者はそれを踏み展示空間へと入る。そこは「事物が変転する」「海」である。「ニュートラルで空虚な箱ではなく、流れとうねりで満たされた海」である。鑑賞者は人魚のように「引っ張られては引っ張り、押されては押し、はじかれてははじき、ひっくり返されて開かれ、流れとともに動き、私に結集することのできる力で流れを押しのけ」、作家によるウェザー・ワールドを游泳する。

表題作の《Very active weather》は、茶やクリームなどの様々な色味の小さな器で構成される作品で、展示室隅の床に集められて置かれている。それぞれの器には透明、青、緑などの釉薬が溜まっている。それは水のようである。そして、地に溜まった水が木々の緑を、あるいは空の青を映し出している。ここにも「倒錯」がある。"active"は"weather"を形容する形で用いられているのであるから、「能動態(active)」ではなく「(変化の)進行している(active)」様を表わすものと解すべきであろう。