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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ポーラ ミュージアム アネックス展2019 創生と技巧』

展覧会『ポーラ ミュージアム アネックス展2019 創生と技巧』を鑑賞しての備忘録
ポーラ ミュージアム アネックスにて、2019年3月20日~4月14日。

ポーラ美術振興財団による若手芸術家の在外研修助成制度に採択された作家を紹介する恒例企画(監修は木島俊介)。2019年後期は「創生と技巧」と題し、川久保ジョイ、池ヶ谷陸、木村恒介、柳井信乃の作品を展示。

柳井信乃《Happy and Glorious》について。

バッキンガム宮殿で"God Save The Queen"を独唱する作家の姿をとらえた映像に、本を囓るネズミの姿などを加えた映像作品《Happy and Glorious》と、映像に登場したネズミに囓られた本を展示している。

「動物の無言やナショナリズムといった他者性をテーマにして、社会に抑圧されている記憶―無意識の記憶にあるトラウマを、どのようにユーモアを使って解放できるかを探究し」た作品。

本を与えることでネズミとのコミュニケーションを図る。本を通じて、人と動物との間にある境界を乗り越えることが目論まれている。だが、本は読むものというルールの通用する人間と、本は囓るものというルールが支配するネズミとの境界は、本を媒介にすることでかえってクリアになり、その溝は深くなる。

イギリスにとって外部の存在である作者(「foreiner」と印刷されたTシャツを来ている)は、イギリス国歌を歌うことで、イギリスと自己との間にある境界を乗り越えようとする。イギリス国民にとって国民を統合するよう機能するはずの国歌は、外国人が歌うことによって(その発音によって)、その者の異質性を浮き彫りにしてしまう。国民連帯のツールは外国人を探知する装置へと変貌し、イギリスの国境がかえってクリアになってしまう。

文化が持つ排他的性格を明らかにするだけではない。2つの映像のアナロジーは、作者がネズミに与えられた本の役割を果たす結果、王宮の警備員を本をかじる(=作者を排除する)ネズミへと変えてしまうのだ。

展覧会『移植』

 

展覧会『移植』を鑑賞しての備忘録
無人島プロダクションにて、2019年3月28日~29日。

「死」と「再生」をテーマにしたグループ展。

ストレートに「死と再生」とを扱っているのは、風間サチコの木版作品《不死山トビ子》。噴火する富士山の前を駆け抜ける新幹線。列車にはねられたかのように舞う女子高校生・不死山トビ子。そして「GAMEOVER」の文字が。その下には上下を反転させた版木を置き、噴煙は「RESET」を描き、「GAMEOVER」はの文字も「WE LOVE」に置き換わっている(実際にはLOVEはハートマークで表されている)。カタストロフは再生となりうるが、死なくしては再生も難しい。

松田修4分33秒の間、カメラに向かって変な顔を作り続ける映像作品を上映。環境音から注意をそらさせることを目論むのか、鑑賞の笑いを作品に取り込もうと企むのか。無音の4分33秒は長く、顔の動きのヴァリエーションには限界がある。ジョン・ケージへのレクイエム(死)なのか、マッシュ・アップ(再生)は不明だ。

朝海陽子は街で見かけた忘れ物や落とし物を撮影した写真を展示。失われたもの(死)が帰ってくる(再生)という日本社会の特質を可視化した。

小泉明郎は自らの夢に出てくる(再生される)映像が幼時に見た特撮作品の映像であることに気が付いた。夢のイメージの断片を実際の特撮作品から切り取りつなぎ合わせ、そこに天皇明仁の即位礼の報道で流れた音声を加え、映像作品とした。文化の刷り込みがもたらす力を訴える。毒山凡太朗の《君之代》にもつながるテーマを扱っている。

八木良太エジソンが死者との交信を可能にする発明に取り組んでいたことに着目し、黒電話の受話器を用いた、非可聴域の音声受信機を出展している。過去の偉人の追求したテーマを自らの作品へと吸収することで、偉人の再生を図った。作者が関心を寄せるように、科学とオカルティズムとのつながりは面白い。インポッシブル・アーキテクチャー展(埼玉県立近代美術館)では、実現不可能な建築が新たな建築を生み出す土壌になったことが示されていたが、芸術における創造だけでなく、オカルティズムのような想像も、社会を変えていくきっかけとなっているのだろう。

映画『ビリーブ 未来への大逆転』

映画『ビリーブ 未来への大逆転』を鑑賞しての備忘録
2018年のアメリカ映画。
監督はミミ・レダー(Mimi Leder)。
脚本はダニエル・スティープルマン(Daniel Stiepleman)。
原題は"On the Basis of Sex"。

1956年、ルース・ギンズバーグ(Felicity Jones)は、ハーバード大学ロースクールに入学した。既に10年前に女性にも門戸が開かれていたものの女性は9人のみで、女性専用の化粧室も未だ整備されていなかった。夫マーティン(Armie Hammer)も同時に同校に復学し、二人は前年に授かった娘の世話をしながら学業に励んでいた。ある日異変を訴えたマーティンが精巣癌であることが判明すると、ルースは夫の履修する講義にも出席しノートをとり、夫の療養と学業をも支えた。2年後、快復したマーティンはニューヨークの法律事務所に採用された。ルースは夫と暮らすため、学部長アーウィン・グリスウォルド(Sam Waterston)の反対を押し切り、コロンビア大学ロースクールへ転校する。ルースは主席でロースクールを卒業するが、どの法律事務所にも採用してもらえない。やむを得ず、ラトガース大学のロースクールに教授職を得ることにし、「性差別と法」を研究することになった。折しもヴェトナム反戦運動が盛んになり、体制に対する懐疑が社会に拡がっていた。1970年、ルースは、税法を専門とするマーティンから、性差別に関わる租税事件についての情報を得る。チャールズ・モーリッツ(Chris Mulkey)は高齢の母親の介護のため看護師を雇ったが、独身のモーリッツはその費用の控除を受けることができないとされた。内国歳入法214条により控除対象が女性や離婚者、妻に介護能力が認められない場合などに限定されていたためである。男性は働きに出て、女性は家庭で家事・育児を行うべきであるという、法律の中にある性差別の枠組みを解消したいルースは、内国歳入法214条の不当性を裁判所に認めさせること決意する。

性的役割分担を原始から繰り返されてきた自然の摂理ととらえ、女性の権利・平等の主張が家庭の崩壊や急進的社会変革として排斥される。それを打ち破ろうともがく1970年代初頭のルースの姿が描かれる。

超優秀なルースに引け目を感じる娘ジェーン(Cailee Spaeny)は、議論よりも行動すべきとルースに反発していた。マーティンは、母親からあらゆることに疑問を抱くよう育てられてきたルースは、その教えをジェーンに伝えたいのだと諭す。ある日、女性の権利を訴えてきた、ルースにとっては英雄とも言える弁護士ドロシー・ケニオン(Kathy Bates)のもとを母娘で訪ねる。その帰り道、建設作業員から卑猥な言葉を投げかけられると、すかさずジェーンが言い返し、ルースがその姿に"the climate of the era"の変化を読み取り感動する。そのシーンが一番印象に残った。

展覧会『ピエール セルネ & 春画』

展覧会『ピエール セルネ & 春画』を鑑賞しての備忘録
シャネル・ネクサス・ホールにて、2019年3月13日~4月7日(前期は27日まで。後期は29日から)。

 

写真家ピエール・セルネの《Synonyms》シリーズと、春画とを合わせて展示する企画。

 

ピエール・セルネの《Synonyms》シリーズは、抽象的な形が白と黒とでシャープに表された画面。サイズは区々だが、縦横がそれぞれ1メートルを超えるものもある。一見して何が被写体になっているのかは全く分からない。タイトルに示された人物のヌードやセックスをスクリーン越しに撮影したものだという。作者はロールシャッハ・テストを引き合いに、「何が認識されるかは、それを見る人の心のあり様に左右され」ると述べている。女性の胸の形など比較的認識しやすい形もあれば、全く体の形に結びつかないものまで様々だ。「Synonyms」には、「さまざまな文化的背景を持つ人たちの肉体を二次元のはかないイメージに還元することで、鑑賞者には物理的な表象を超えて自分自身のイメージとの類似点を発見してもらいたい」という意味が込められているという。


合わせて展示される春画は、鈴木春信、喜多川歌麿、鳥居清長、鳥文斎栄之葛飾北斎による浮世絵版画と肉筆浮世絵。
鳥居清長の《袖の巻》はやたらと横に長い画面になっている。男女の姿態はその横長の画面にトリミングされて、結合部と顔(表情)とが強調される。鳥文斎栄之の《源氏物語春画巻》は江戸時代の多様な女性との情事を華やかな画面の中に描き出している。糊を塗って雲母粉をふりかけた(?)愛液の表現が光る。

 

肉体を黒い影で覆うことと性器を露骨に描き出すこと、大きな画面と小さな画面、モデルの顕名と匿名といった対照的な作品が、セックスでつながる。陰と陽との結合だ。ココ・シャネルもまた、喪服の色として忌避された黒をファッションに取り入れ、陰と陽とを結合させたのであった。

映画『サンセット』

映画『サンセット』を鑑賞しての備忘録
2018年のハンガリー・フランス合作映画。
監督はネメシュ・ラースロー(Nemes Jeles László)
脚本はクララ・ロワイエ(Clara Royer)、マシュー・タポニエ(Matthieu Taponier)、ネメシュ・ラースロー
原題は"Napszallta"。

1913年夏。オーストリア・ハンガリー帝国の第二の首都ブダペスト。創業30年を迎える高級帽子店「ライター」に若い女性客(Jakab Juli)が訪れる。古いデザインの帽子ばかりいくつか試着すると、彼女は仕事を求めて来店したと告げる。主任のゼルマ(Dobos Evelin)が引き取ると、彼女はトリエステの帽子店で働いていたが、ライターの募集を知って、退職して応募したという。名前を聞いたゼルマは慌ててオーナーのブリル・オスカル(Vlad Ivanov)に連絡する。彼女は先代のオーナーで創業者であるライター夫妻の娘イリスであった。ブリルは母親と瓜二つのイリスに驚きつつ、トリエステへ戻り復職するよう勧める。その晩、ライターに宿泊したイリスは部屋に侵入してきたシャンドル(Marcin Czarnik)に襲われ、兄の存在を知らされる。翌日、ブリルに弟について尋ねるもあしらわれ、汽船のチケットを渡されてトリエステへ戻るよう促される。イリスは汽船に乗らずに孤児院へと足を向ける。2歳で両親を失ったイリスは12歳まで孤児院で暮らし、その後トリエステへ向かったのだった。孤児院でめぼしい情報が得られなかったイリスは、ライター30周年のイヴェント会場でブリルを見つける。ブリルはイリスの兄カルマンは伯爵を殺して行方をくらましたこと、カルマンによって着せられた汚名を払拭するのに苦労したことを告げると、今も喪服でいる伯爵夫人(Julia Jakubowska)の姿に目を向けさせるのだった。イリスは兄を探そうと、ライターのそばに設置された仮設テントの舞踏会場を訪れる。そこで、シャンドルの姿を見かけ、その後を追うのだった。

イリスはブリルやゼルマの話に聞く耳を持たず、危険も顧みずにブダペストを兄の姿を求めて嗅ぎ回る。「暴走」という表現がふさわしい。イリスの肩越しにとらえた映像が多用されることで、事情がよく分からないまま兄の謎を追うイリスの心境を味わわせる趣向になっている。その上、発話主体の姿をあえて映さず声だけが聞こえてくる箇所が複数ある。それらが、あたかもアドベンチャー・ゲームのような効果を生んでいる。

兄を追ううちに、ライター帽子店が栄えている裏の事情が明らかにされていく。そのことが作品に妖しさを添えている。

エンディングがなぜあのようなシーンなのか。その謎が余韻を残す。

ハンガリー語、ドイツ語、フランス語以外にどれくらい言語が登場したのだろうか。