可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『パーム・スプリングス』

映画『パーム・スプリングス』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のアメリカ・香港合作映画。90分。
監督は、マックス・バーバコウ(Max Barbakow)。
原案は、マックス・バーバコウ(Max Barbakow)とアンディ・シアラ(Andy Siara)。
脚本は、アンディ・シアラ(Andy Siara)。
撮影は、クィエン・トラン(Quyen Tran)。
編集は、マシュー・フリードマン(Matthew Friedman)とアンドリュー・ディックラー(Andrew Dickler)。
原題は、"Palm Springs"。

 

カリフォルニアのコロラド沙漠。ビッグホーンの姿が見られる。トランスフォーム断層の影響か、突然轟音とともに地面が割れていく。

ナイルズ(Andy Samberg)は恋人のミスティ(Meredith Hagner)の声で目を覚ます。彼女は脚にエアーストッキングをスプレーしている。綺麗な脚だ。2人は対面座位で行為に及ぶが、汗をかきたくないミスティはナイルズから体を離す。私を見て自分でやって。私で逝かないのはあなたくらい。11月9日。パームスプリングスのリゾートホテル。タラ(Camila Mendes)とエイブ(Tyler Hoechlin)の結婚式当日の朝。ミスティはブライズメイドとして結婚式に出席するため忙しい。ナイルズはプールに入り、浮き輪に乗って1人ビールを飲んでいる。プールに飛び込んだジェリー(Tongayi Chirisa)にビールを渡す。どんな一日だった? まだ始まったばっかりだから、夜に聞いてくれよ。何が起こるか分からないだろ。結婚式がトレヴァー(Chris Pang)の司会でスタートする。タラの父ハワード(Peter Gallagher)や母ピア(Jacqueline Obradors)を始めとした列席者が見守る中、恙無く進行していく。気が滅入っているサラ(Cristin Milioti)はバーに向かうと、デイジー(Jena Friedman)にワインを頼み、グラスになみなみとつがせる。ブライズメイドのミスティはスピーチを終えると、新婦の姉でありメイド・オブ・オナーであるサラを呼ぶ。サラは酩酊していてスピーチができる状態ではない。ボンソワール、ミ・ファミーリア・エ・タミーチ! アロハシャツ姿のナイルズが大声を上げて現れ、嫌がるミスティからマイクを取り上げる。エイブが隣のタラに尋ねる。誰? ミスティの彼氏。僕たちは生まれ落ちて途方に暮れてる、で、見出されるんだ。ナイルズのスピーチに会場は静まる。それでも、新婦のタラが骨髄移植のドナーになったことを挙げてその献身を讃えると、会場に拍手がわき起こる。続いてナイルズは、僕たちの時間を君に捧げようと、サラに語りかけるように話し始める。信じられないことだらけだろうけど、1人じゃないってことを忘れないで。僕たちは生まれ落ちて途方に暮れてる、で、見出されると再び語ったナイルズは、最後に皆に乾杯を促す。人々がダンスに興じる中、ナイルズはサラに積極的にアプローチする。ナイルズには恋人のミスティがいるためにサラは躊躇するが、ナイルズからミスティの浮気現場を見せられて誘いに応じる。沙漠の岩陰で2人が交わろうとして、ナイルズがアロハシャツを脱ぎ捨てると、背中に矢が刺さる。悲鳴を上げるサラ。ナイルズは逃げ出し、弓を持った男(J.K. Simmons)が彼を追跡する。逃走中、脚にも矢を受けたナイルズは、岩山の中にある、中から光が漏れる洞窟へと這って向かう。その姿に気が付いたサラは、ナイルズの制止を聞かずに後を追う。サラは光に包まれる。
サラが目を覚ますと、タラとエイブの結婚式当日の朝だった。

 

サラ(Cristin Milioti)は、ナイルズ(Andy Samberg)とともに、パームスプリングスのリゾートホテルで過ごす11月9日を繰り返すことになってしまった顚末を描く。
同じ日がまたやって来るのだからと、サラやナイルズは、大胆な行動を取ったり、他人に気前よく振る舞うことに躊躇がない。しかも、繰り返されるのは、リゾート地での安楽な1日。行動パターンを変えれば、何度でも楽しく過ごすことは不可能ではない。それでも、明日を明日として迎えたいという欲求が募っていくのは、サラやナイルズの記憶はリセットされることなく蓄積されていくからだ。
冒頭の結婚式において、新婦の姉であり、メイド・オブ・オナーであるサラが鬱屈している原因や、ナイルズが結婚式のスピーチとして不自然な内容を語り、またサラにだけ語りかけるように振る舞っている理由は、物語の進行によって明らかにされていく。
コメディであり、ごく気軽に見られる作品でありながら、自らの生活について内省を促され、また、積み重ねの大切さを噛み締めないわけにはいかない。

展覧会 竹内公太個展『Parallel, Body, Possession』

展覧会『竹内公太「Parallel, Body, Possession」』を鑑賞しての備忘録
SNOW Contemporaryにて、2021年3月19日~4月17日。

竹内公太の過去10年の活動を、ドローイングや写真など24件の資料で振り返る企画。

《四ツ倉の洞穴》は、洞穴の中に存在した穴(!)から、洞穴の入口へ向けてシャッターを切った写真。穴に入るために用いられた梯子と外に広がる景色が暗い空間の奥に円形に切り取られている。洞穴は「暗い部屋(camera obscura)」であり、写真機(camera)のアナロジーである。作品制作のために写真や映像を撮影してきた作家自らが記録装置として機能していることを思えば、《四ツ倉の洞穴》は作家の自画像と言えよう。
エノラ・ゲイでのセルフィー》は、スミソニアン航空宇宙博物館で撮影した、広島に原爆を投下した爆撃機の写真。作家は、正面から見た爆撃機に目玉の存在を捉えたという(本展と同時期に無人島プロダクションで開催されている八谷和彦の個展「秋水とM-02J」の冒頭には、B-29の正面が輝く目玉であるとの評価が首肯される写真が展示されている)。カメラ(≒レンズ)である作家が、爆撃機のコックピットという目玉(≒レンズ)に対峙したのだ。それは反射(reflection)であり、作家が自らを省み(reflect)たのだろう。これを証するかのように、作家の思考の跡をたどることのできるドローイング群(木製のテーブルで展示)の中に、反射や反転といった言葉が散見される。
カメラでありレンズである作家は、視覚偏重に対して反省する態度を示す。《東京電力福島第一原発スケッチ02》では、会場から1Fを眺める機会を得た作家が写真を撮影するのではなく、敢えて「手を動かして」スケッチしたもの。対象を目にしたときの感覚を表現するのに「手描き」は適しているという。《Re:手の目のためのドローイング》では、シリコンで型取りした掌にLEDを仕込んで装着し、手から発せられる光が照らし出した光景を描写している。妖怪「手の目」のように、手で対象を捉えているのだ。現下のコロナ禍において接触が忌避される事態は、視覚偏重社会のデフォルメないしカリカチュアのようでもある。作家は、炭鉱(坑=穴)のカナリアとして、コロナ禍前から触覚の危機を察知し、触覚の回復の必要を訴えていたのではないか。危機を先んじて捉える能力は、ドローイング群の中にある、竹箒の柄にビデオカメラを取り付けたイメージにも表れている。竹箒が掃くことで進む消去をカメラが同時進行で記録するアイデアは、公文書破棄問題の予兆であった。
風船爆弾跡地でのセルフィー》は、アジア・太平洋戦争末期、日本がアメリカに向けて飛ばした風船爆弾をテーマとした《盲目の爆弾、コウモリの方法》という映像作品の関連作品。風船爆弾が「盲目」(=無差別攻撃)であるがゆえに、風船爆弾を飛ばした者たちに落下・炸裂したという事実を踏まえ、カメラを取り付けて飛ばした風船が落下する際にカメラが撮影した写真から成る。視覚を偏重することだけでなく、視覚を無視することもまた危険であることは論を俟たない。なお、作家は探知できない形をとる「ステルス化」にも注目している(ドローイング群参照)。見えなくされていることを捉えて見せる「対ステルス」的作品の御目見得が期待される。

展覧会『第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)』

展覧会『第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)』を鑑賞しての備忘録
川崎市岡本太郎美術館にて、2021年2月20日~4月11日。

「自由な視点と発想で、現代社会に鋭いメッセージを突きつける作家を顕彰する」岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)。第24回の応募作品616点から入選作家24名の作品を展示。

さとうくみ子《家中ピクニック装置》
展示区画の中央に、籠のような目の粗い屋根を持つ狭小だが高さのある東屋。3本ある柱のうち2本には何かを抽出している(様子を表す)装置が取り付けられている。「東屋」の脇には、ガラスの器物がご神体のように収められた祭壇然としたものが鎮座し、その台座から茣蓙のような敷物が手前に向かって広げられている。手を伸ばす子供の人形が取り付けられた装置、米粒を模した装飾が取り囲む台座付の装置、何かを祀る小祠のようなもの。茶色と白を基調とした落ち着いた色味で統一されている、得体の知れないオブジェの群れ。これらはタイトルにある通り、屋内でピクニックを行うための装置らしい。「自然、食事、遊びなどのセットが積み込んであり、自由に展開させ、ピクニックを楽しむことができる」と作者は謳っているが、「のほほ~ん」とピクニックを楽しむどころか、奇怪な装置を前に「なんだ、これは!」と途方に暮れるしかない。装置を取り囲む三方の壁には、方眼用紙に描かれた装置の「設計図や取扱説明書のようなモノ」が7列3段ずつ貼られている。おにぎりなど食事を制作する装置や、屋内に自然を導入するシステムなどの図解には矢印が描き込まれ、仕様書や説明書らしさを演出している。もっとも、力士など人物と建材のようなものを組み合わせたコラージュなど、マックス・エルンストヤン・シュヴァンクマイエルの系譜に連なるような、設計や使用法の説明になっていない図面がほとんどだ。《家中ピクニック装置》の名宛人は、必ずしも人間ではないのかもしれない。人類無き世界におけるピクニックを幻視させる装置として、より良く機能する作品に見えて仕方がないのだ。ところで、本作品には、屋内でピクニックを実現する実益に基づいた合理主義と、材料の選択と接合の脈絡の無さに見られる非合理主義とが、世阿弥の「有文を極め過ぎたる無文」のように、重ね合わされている。両者の重ね合わせにより生まれるスパークを作品に見るなら、岡本太郎の主張した対極主義との親和性も高いと言えよう。

小野環《再編街》(特別賞受賞作品)
「高度経済成長期、中流家庭のステータスシンボル」であった百科事典や美術全集などを利用して作られた団地、美術館、書棚(?)の模型が、3つの展示台に分けて展示されている。上から見るとY字型の「スターハウス」3棟を含めた7棟で構成される団地は、屋上の給水塔とベランダが印象的で、書割のように建物の表側だけ作られている。美術館は、ピロティや中庭のイサム・ノグチの彫刻から「カマキン」を再現したものと分かる。美術館の隣には、井の頭自然文化園のアトリエ館の内部を思わせるような彫刻作品の展示スペースが広がっている。書棚の展示台には、高く積み上げた書棚を始め、様々な本が棚やテーブルに乱雑に置かれている。左手にある本が右手に向かって本や本棚のミニチュアへと形を変じていくような構成となっている。否、団地から彫刻のアトリエへ、アトリエから美術館へ、美術館から書棚へ、書棚から本へと、時間を遡るが如く反時計回りに規模を次第に小さくすることで、元の書籍の姿へと戻る過程を見せる構成なのであった。

唐仁原希《虹のふもとには宝物があるの》(特別賞受賞作品)
4枚の絵画で構成。左の壁面の左側に金髪の少年を抱えるシロクマ、その右側に白いドレスを着た少女、中央の壁面にはマトリョーシカが並ぶ森の中の群像、右の壁面には黒い髪の少年と一角獣。巨大なマトリョーシカが7体並ぶ森の中。2人の少年や半人半獣の姉妹、妖精やシロクマ、仔ヤギが集まる。赤い絨毯の敷かれた上に置かれた1体のマトリョーシカが割れ、中から魔法使いが姿を現す。人の上半身と鹿の下半身を持つ少女は、鹿の下半身を忌み嫌って捨て去ることを魔法使いに願った。彼女は下半身を無くす代わりに蝶の力を手に入れた。彼女の纏うドレスのスカートは、クリノリンを身につけることで大きく広がっているが、中には闇があるだけだ。脚の悪い少年は松葉杖を忌み嫌って捨て去ることを魔法使いに願った。彼は松葉杖を突く代わりに、虹に捕まって歩くことになった。寝間着姿の少年。全ては彼が見る夢なのだ。彼が寝ている間に家は火に包まれた。彼は夢の中で大きな熊に救われる。大熊は巨大な柄杓(北斗七星)を持っているからだ。だが、彼は沢山の蝶によって空へと連れ去られた。今は星となって輝いている。

映画『ビバリウム』

映画『ビバリウム』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のベルギー・デンマークアイルランド合作映画。98分。
監督は、ロルカン・フィネガン(Lorcan Finnegan)。
原案は、ギャレット・シャンリー(Garret Shanley)とロルカン・フィネガン(Lorcan Finnegan)。
脚本は、ギャレット・シャンリー(Garret Shanley)。
撮影は、マクレガー(MacGregor)。
編集は、トニー・クランストゥーン(Tony Cranstoun)。
原題は、"Vivarium"。

 

鳥の巣から、雛の背に押された卵が1つ落ちる。雛の背に押し出された別の雛が1羽巣の外へ落とされる。餌を運んできた「親鳥」よりも大きいカッコウの雛が、「親鳥」を食べるほどに大きな口を開く。

小学校の低学年の教室。ジェマ(Imogen Poots)が生徒たちを前に立ち、お遊戯を始める。背の高い木になろう。綺麗な緑の葉を茂らせています。ジェマを真似て体を動かす生徒たち。何の音かな? そう、風が吹いているよ。あ、嵐が来た!
放課後、生徒たちが下校する中、ジェマも校舎から出てくる。顔見知りの保護者(Danielle Ryan)がジェマに声をかける。住まいは見つかったの? まだよ。値段が上がるみたい。これから見に行くの。ジェマは高い木下で一人佇んでいる少女(Molly McCann)に気が付く。どうしたの? 彼女の足元には雛が落ちていた。巣から落とされたちゃったのね。自然の世界にはこういうこともあるのよ。ジェマに宥められた少女は立ち去る。すると木の枝が揺れて「樹」がジェマに語りかける。梯子を使って樹の上でジェマを待っていた恋人のトム(Jesse Eisenberg)だった。トムは樹から降りてくると、雛に土を被せてやり、怪しげな祈祷を行う。ほら、一緒に祈ろう。
トムがジェマの車のルーフに梯子を固定すると、二人は不動産屋を目指す。二人が入った店は、両側の壁に全く同じ形の緑色の家が4つずつ並んでいた。雲が浮かんだ青空のパネルも1つ1つの模型に取り付けられている。奥のデスクに座っていた店員(Jonathan Aris)が二人のもとにやって来る。ちょっと見てるだけなの。で、あなたは? 店員が手を差し出す。ジェマよ。握手をしながら答える。彼は恋人のトム。手を差し出されたトムは握手しようとしない。お会いできて光栄ですよ、ジェマ、トム。貼りついたような笑顔を浮かべて見せる。ジェマは店員の胸の名札に目をやる。こちらこそ、マーティン。ヨンダーはすばらしい団地です。必要なものは何でも手に入ります。購入希望者が我先にと殺到ですよ。引き笑いするマーティン。何だコイツはという表情を浮かべるトム。マーティンは続ける。郊外なんてとお思いでしょう。素敵な方々が移ってくる予定で、多様なコミュニティーになりますよ。どこにあるの? 遠すぎもせず近すぎもせず、丁度よいところです。お望みならお連れします。お車は? あいにく、とトムが言いかけたところで、ジェマが外に停めてると答える。私の車に付いて来て下さい。後日をお望みなら調整いたしますが、ヨンダーの物件はいつまでもご用意できるわけではございません。家を探してはいるんだけれど…。結構ですよ、見るだけでも。行きましょう。
マーティンの車を追って車を走らせるジェマ。ルーディー、ア・メシッジ・トゥ・ーユー、ルーディー、と歌いながら、車は森を抜け郊外へ。店で見た模型と同じ住宅が道沿いにびっしりと並んでいる。マーティンが車を停める。ようこそヨンダーへ。9番へどうぞ。扉に9と表示された家へと入る。多くの家は理想的に見えるだけですが、ヨンダーの家は理想そのものです。イマ(今)いる部屋がイマ(居間)です。2つの壁の間には十分な空間があります。一人笑うマーティン。冷蔵庫からシャンパンを取り出し二人に勧める。運転しなきゃいけないから、とジェマ。イチゴはいかがです? 運転しなきゃ、とトム。2階には男の子向けの部屋があった。ずっとお住まい頂ける、若い家族にぴったりの家です。お子さんは? いいえ、まだ。マーティンがジェマの声音そっくりに、いいえ、まだと繰り返す。呆気にとられ、顔を見合わせる2人。続いて案内された寝室には、2人分の着替えも置いてあった。階下に降りて裏庭を案内された2人。皆さんはいつ移っていらっしゃるのとジェマが尋ねるが、マーティンの姿がない。家の中に戻って名前を呼んでも反応がない。ドアを開けると、マーティンの車はなくなっていた。2人は立ち去ることにして車を走らせる。ところが、車は9番の家の前に戻っていた。

 

ジェマ(Imogen Poots)とトム(Jesse Eisenberg)が、不動産開発業者「プロスペクト・プロパティー」のマーティン(Jonathan Aris)に案内されて内見に訪れた「ヨンダー」団地の分譲住宅。そこで起きた顚末を描く。

以下では、上述した冒頭以外の内容についても触れる。

特段残酷な描写があるわけではないが、ジェマとトムの置かれた状況は極めて過酷で恐ろしい。書割のような空の下、味や臭いのない清潔すぎる世界に監禁されている。2人のもとに赤子が送られ、彼を育て上げるまでは「解放」されることがない。急速に成長を遂げた少年は2人を常に監視し、2人の口ぶりを真似る。その上、満たされない欲求があれば、それが満たされるまで喚き続ける。これが地獄でなくて何であろう。
ジェマとトムがヨンダーに向かう車で"Rudy, A Message to You"という曲を歌う。その歌詞が伏線となっている。
マーティン役のJonathan Arisのつくる表情が、得体の知れなさや薄気味悪さを生んでいる。ヨンダーへの案内人というだけでなく、ヨンダーそのものを体現している。
不動産開発業者の"prospect property"は、「将来性ある不動産」ではなく、「顧客を探す、不動産」なのかもしれない。
雛の死を1人悲しむ少女を演じるMolly McCannは、映画『サンドラの小さな家』(2020)で主人公サンドラの娘「モリー」を演じて素晴らしい。

映画『サンドラの小さな家』

映画『サンドラの小さな家』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のアイルランド・イギリス合作映画。97分。
監督は、フィリダ・ロイド(Phyllida Lloyd)。
原案は、クレア・ダン(Clare Dunne)。
脚本は、クレア・ダン(Clare Dunne)とマルコム・キャンベル(Malcolm Campbell)。
撮影は、トム・コマーフォード(Tom Comerford)。
編集は、レベッカ・ロイド(Rebecca Lloyd)。
原題は、"Herself"。

 

エマ(Ruby Rose O'Hara)とモリー(Molly McCann)が母親のサンドラ(Clare Dunne)に口紅を塗っている。アイシャドウを塗ろうとして、モリーが尋ねる。どうして目の周りに痣があるの? 生まれつきよ。神様が印を付けてくれたの。だってサンドラってたくさんいて区別できないでしょ。3人はダイニングキッチンで、1、2、3、ドリンク、1、2、3、ドリンク、とシーアの「シャンデリア」を歌いながら、楽しく踊っている。突然、音楽が途切れる。帰宅したゲリー(Ian Lloyd Anderson)がプレイヤーの電源を切ったのだ。娘たちが一緒に遊ぼうと父親に駆け寄るが、ゲリーは娘たちに外で遊んできなと言い渡す。外は寒いじゃない。コートを着りゃいいだろ。パパはママに話があるんだ。夫に不穏なものを察知したサンドラは娘たちを外に出す。サンドラはエマに「ブラックウィドウ」と囁く。本気なの? 頷くサンドラ。非常事態に備え二人の間で予め決めてあった暗号だった。モリーが子供用の小屋に潜り込み、エマは箱を手にすると全速力で駆け出す。何だこの金は。お前は俺から逃げ出そうってのか。激昂したゲリーは、サンドラの言い分を聞くこともなく殴りつける。床に倒れ込んだサンドラは、這って逃げようとする。ゲリーは扉に向かって伸ばされたサンドラの左手を思い切り踏みつける。エマは空き地を横切り、道路を疾走し、最寄りの商店に飛び込む。カウンターに着くやいなや叫ぶ。警察呼んで! ママが大変! 箱を開いて蓋の裏に貼っておいたメッセージを店員に見せる。
3人はゲリーの家を離れ、当面、市に宛がわれたホテルの一室で暮らすことになった。エマを学校に送り、モリーを託児所に預け、自らはペギー(Harriet Walter)の家に向かい、清掃作業を始める。寝室からペギー怨嗟の叫び声がする。ペギーはパンツを穿くのに難儀していた。サンドラが手伝う。昨日来たのは介助スタッフの代理で、早くに寝かしつけようとしたのよ。部屋から出るのを手伝って。日が暮れちゃう。サンドラが立ち上がり補助手摺りを差し出す。私が腰を痛めたのはね、スーパーで転んだのとは訳が違う。アフリカの戦地で医療活動に従事していたからなのよ。サンドラは市の児童家庭福祉担当のジョー(Cathy Belton)のもとを訪れた。転居や家賃補助などの相談や申請のためだった。学校まで車で30分もかかるのどうにかならない? それはどうにもならないけれど、公営住宅でいい物件が空いたから当たってみて。書類にサインする暇もなく、サンドラは午後の仕事場であるパブへ。若いのが便所を汚しやがってな、そっちもな。オーナー(Art Kearns)がサンドラに言い放つ。今日は早く上がっていいっていう話じゃなかったですか? 仕事が終わったらの話だ。たまには言い返してやんなよ。同僚のエイミー(Ericka Roe)が、サンドラに声をかける。それより、住むところはどうしてるの? 仲間と不法占拠って感じ。仕事を終えて滞在先のホテルに戻ると、ロビーでスタッフ(Donking Rongavilla)に呼び止められる。ロビーは使わないで頂けますか? 他のお客様がいらっしゃいますから。サンドラはエレベーターを使わせてもらえず、非常階段で自室へと向かう。週末は、ゲリーの実家へエマとモリーを連れていく。ゲリーには娘たちとの面会権があるのだ。エマとモリーを迎えたゲリーはサンドラを批難する。こんなのおかしいだろ。一緒に住みゃいいんだ。唖然とするサンドラ。義父のマイコー(Lorcan Cranitch)がやって来て、これ以上の恥曝しをするな、喧嘩は家の中でやれと二人に向かって言い放つ。義母のティナ(Tina Kellegher)は気まずそうな表情で孫娘を家の中へ招き入れる。ジョーに紹介された公営住宅には入居希望者が殺到し、サンドラも行列に並びはしたものの、内見すらできないまま借り手が決まってしまった。夜、寝ようとしているサンドラにエマが物語を語って聞かせるという。王様からマントの大きさの土地を手に入れる女性の物語だった。サンドラはエマの語りを聞き、娘たちのブロックでできた家を見ているうちに、セルフビルドのアイデアを思いつく。

 

夫ゲリー(Ian Lloyd Anderson)の暴力に耐えられなくなったサンドラ(Clare Dunne)が幼い娘のエマ(Ruby Rose O'Hara)とモリー(Molly McCann)とを連れて家を出るが、子育てをしながらできる清掃の仕事だけでは、自分たちの住居を手に入れることが難しかった。エマが語ってくれた物語をきっかけに、サンドラは自ら家を建てるというアイデアを思いつき、その実現のために行動を始める。
サンドラが娘たちとともに暴力を振るう夫から逃れようとするが、食べさせたり、風呂に入れたり、寝かしつけたり、学校に通わせたりなどといった子育てをしながら、短時間の仕事をするだけでは、貧困から抜け出すことはできない。しかも夫が持つ娘たちに対する面会交流権のために、娘たちを夫の実家へと毎週連れて行かなければならず、そのたびに夫から受けた暴力がフラッシュバックしてサンドラを苦しめる。制度(法)がサンドラに重くのし掛かるのだ。
娘のために必死な「シングルマザー」サンドラをClare Dunneが、友だちと遊びたいといって忙しい母親を困らせたり、ママがいなくなったらフライドポテトが食べられないなどという子供らしい側面を持つ娘たちをRuby Rose O'HaraとMolly McCannが、それぞれ実在の母娘のように見せている。そして、Ian Lloyd Andersonが演じる、何をしでかすか分からない夫であり父親のゲリーが、彼女たちの平穏を脅かす存在として作品に緊張感を与え続けて見事。
ダウン症の俳優Daniel Ryanが、Conleth Hill演じるエイドの息子フランシスとして出演しており、サンドラと出会う冒頭からポイントとなるところで格好いい役回りで魅せる。