可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 天野雛子個展『COLOR and STORY』

展覧会『天野雛子「COLOR and STORY」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2024年4月8日~13日。

人物、動物、植物をモティーフとした絵画16点で構成される、天野雛子の個展。

最初に目に入るのは、女性と彼女に耳打ちするもう1人の女性の上半身を描いた《ウワサ好き》(910mm×727mm)。耳打ちされる女性の髪は青く、緑がかった白色のスリップ(あるいはキャミソール)を身に付け、正面を向いている。影の表現か顔の右側(向かって左側)は黒く、なおかつ右側(向かって左側)の目からはマスカラが落ちたために(?)黒い涙を流している。耳打ちする女性は茶色い髪で、ピンクのキャミソールを身に付けている身体は相手に、顔は正面に向けられている。声が漏れないよう左手を耳元近くに寄せている。目の表現により描き分けた純粋さと狡猾さとを、寒色と暖色との対照によって強調している。
メイン・ヴィジュアルに採用されている《積もったね》(652mm×530mm)は、下側3分の2を雪が覆い、上の3分の1は青空を背に並ぶ2人の子供の顔が覗く。顔は朱とクリームとでそれぞれ塗りつぶされ、目だけがはっきりと表現されている。ほぼ正面を向けた顔の目だけがアイコンタクトをとるように相手に向けられている。

紫のボンネットを被り歯を見せて笑う女性の顔を画面一杯に描いた《Untitled》(652mm×530mm)の右側には、オランウータンの顔だけを捉えた《とびきりの笑顔》(455mm×380mm)が並ぶ。頭部の毛は燃え立つように逆立ち、レモン色の背景と相俟って、向日葵のイメージを呼び込む。オランウータンを笑顔に見せるのは下に凸の円弧として表わされた結んだ口が作る線である。頭髪と口の線は、《Untitled》の女性の被るボンネットと彼女の顔に沿った紐と相似する。《ウワサ好き》や《積もったね》では画面に2人の人物を配することで物語を表わしていたが、《Untitled》と《とびきりの笑顔》では別個を並列することで物語を呼び込もうとしているようだ。

《Eating》(1620mm×1330mm)には、しゃがんでリンゴ(?)を食べようとする、オランウータンだけが描かれる。オランウータンは黄とオレンジの毛で覆われていて、青や水色などで塗られた顔と、口元近くで「リンゴ」を手にする紫の爪とに鑑賞者の目は自然と引き寄せられる。激しいタッチと燃え立つような色の体に比して、寒色による顔や爪は冷静さや繊細さを感じさせる。

《Blooming Ⅰ》(910mm×1167mm)と《Blooming Ⅱ》(910mm×1167mm)とはいずれも赤い花が画面を埋め尽くす。《Blooming Ⅱ》では茶の枝や緑の茎、背景の草の緑やペールオレンジの光などにより円形などに単純化された赤い花が引き立てられるが、《Blooming Ⅰ》では赤やピンクの花がより高い密度で画面を覆い、赤やピンクが背景を占める割合も高いために、渾然一体としている。フォーヴィスム(Fauvisme)を思わせるのは、近くにオランウータンの絵画が並ぶせいではなく、花が咲く、その息吹を画面に表わそうとしているためである。
作家のフォーヴィズムが遺憾なく発揮されている作品に《藤の花》(910mm×727mm)がある。藤の花は光の粒と背景化した紫の色彩とに分離していて、タイトルを知らなければとても藤を描いたものだとは分からないだろう。だが、ほとんどインスタレーションと化した吉村芳生《無数の輝く生命に捧ぐ》の精密描写による凄みとは真っ向から対立する、得体の知れ無さが魅力である。
主に緑と紫の落ち着いた色彩でタッチは穏やかであるものの、地学で学ぶ地層の断面図のような《ベジタブル》(652mm×530mm)。何の野菜を描くのかは窺い得ないが、その某かの野菜の向こうに大地=地球(the earth)を見通そうとしていることだけは間違いない(その証左に、《土の中》(273mm×220mm)という作品も展示されている)。

展覧会 佐々木成美個展『As the Body』

展覧会『佐々木成美「As the Body」』を鑑賞しての備忘録
LOKO GALLERYにて、2024年3月15日~4月13日。

身体をモティーフとした絵画と焼き物で構成される、佐々木成美の個展。

展示作品のうち最大画面の《無題》(2273mm×1818mm)には、施釉により黒光りする楕円の陶板が画面上端の中央に、同じく黒光りする手を模した焼き物が画面左右の端の真ん中に取り付けられ、左右の手から褐色のオレンジ、淡い黄、紫の線が、さながら磁界観察実験の砂鉄のように、彎曲しながら放射しつつ伸びる。楕円の陶板はその形状と位置と両の手の存在と相俟って頭部であり、左右の放射状の描線は腕に、その重なりは胴となり、人形(ひとがた)が浮かび上がる。
なお、最大画面の《無題》と同じモティーフの表わされた無題作品が別に2点(各1620mm×1303mm)あり、それらには陶板が取り付けられていない。(1階に展示された)《無題》では画面中央附近の2つの中心から黄褐色の線がS字を描きながら放射状に伸びていく。その中途から外延に近付くに連れて周囲に紫が広がっていく。(2階に展示された)《無題》では画面右側から黄褐色の線が弧を描きながら放たれ、赤味を帯びた紫、そして紫の中に溶け込んでいく。画面下部では紫の描線がくるりと円を描く。

最大画面の《無題》の近くの床には、人物頭部を象った赤茶色の素焼き《月相》(180mm×230mm×150mm)と、指で円を作るように軽く握られた右手の焼き物《手》(250mm×150mm ×150mm)とが置かれている。《月相》の眼窩にはガラス製の眼球が取り付けられているために、素朴な作りに比してかなり強い生々しさを感じさせる。右側を床に着ける形で設置され、左側には耳などを黒い釉薬が覆っている。満月がかけ始めた状況を表わすようだ。《手》が軽く握られているのはピンホール効果を得るための仕草である。《月相》と相俟って《手》は天体観測を表わすことになる。

レベッカ》(1070mm×650mm×120mm)の黄褐色と紫により模糊とした画面の上部には、円形とその開口部のような楕円とが描かれている。楕円の周囲には毛のような細い線が表わされている。画面の左右の上端からそれぞれ両端がくるりと曲がるS字を模した大小の暗緑色の焼き物が引っ掛けられて連ねられ§状に垂らされている。《ソフィー》(630mm×1100mm×100mm)が同じモティーフを扱い、やはりS字の焼き物が両側に垂らされている。

《リオ》(350mm×320m×70mm)は黄褐色、白、黒で構成される。画面いっぱいに光と闇との楕円とその周囲を飾る∩字の白い線とが描き込まれている。画面の天には黒い釉薬を施された焼き物の5つのチューリップのような花が、それぞれ葉のないのたうつ茎の先に付いている。左隣の《ブライアー》(370mm×360mm×70mm)は画面が黄褐色、赤紫、白となり、楕円を囲う白はpに近い形状で描かれ、絵画の上に添えられた焼き物のチューリップの茎には赤褐色にベージュの斑が浮く。さらに左に並ぶ《キャス》(350mm×310mm×70mm)は画面の基調も、5本のチューリップも白である。《リオ》・《ブライアー》・《キャス》の画面の中心モティーフは穴であり、目であり、顔のである。曲がりくねるチューリップは蛇に見える。

両脚を揃え、両腕を真横に伸ばした女性の身体を表わした、小さな黒釉の陶器《Wearing Sculpture, As the Body》(60mm×50mm×5mm)は、隣に並んだ、同じモティーフを黄褐色で描いた《Drawing》(440mm×36mm×25mm)と併せ見ると、十字架にかけられた女性に見える。だが、黒で描かれた女性像《Drawing》(440mm×36mm×25mm)では、腕や脚がすっと伸ばした線が描き込まれ、飛翔しているようだ。翻って、十字架に打ち付けられていたかに見えた《Wearing Sculpture, As the Body》もまた、飛翔のイメージに変貌するのである。

ペインティング、ドローイング、焼き物といった種々の作品に共通するのは、対極にあるものが同時に存在することである。最大画面の《無題》に描かれるのは光と同時に闇である。《レベッカ》や《ソフィー》では混沌(≒闇)の中に開口部が設けられることで光が射す。《月相》は天体が人の顔として表わされることで(文字通り現実に)地に置かれ、地上の《手》は天体を眼差すことで宙に浮く。《Wearing Sculpture, As the Body》は拘束と解放、あるいは死と生とであるとともに、キリストを男性から女性へと変換しもする(なお、岡田温司『キリストと性 西洋美術の想像力と多様性』はキリストを女性として捉える伝統があったことを示す)。
女性の身体という観点から改めて最大画面の《無題》を眺めると、光と闇の交錯する人形(ひとがた)は誕生と死であり、秩序と混沌の象徴と解される。光と闇とを表わす黄と紫とは、黎明であり下舂の色である。渦巻くのは胎の形成であり、放散は死である。個物は全体からの拡散に過ぎず、収縮により全ては1つになる。宇宙は無限の周期で反復する(共形サイクリック宇宙論)。
作家はその指で小さな輪を作り、無限遠を覗こうとしている。

展覧会 カワイハルナ個展『反復のすき間』

展覧会『カワイハルナ「反復のすき間」』を鑑賞しての備忘録
銀座 蔦屋書店〔インフォメーションカウンター前〕にて、 2024年3月30日~4月26日。

幾何学的形態を何かの装置のように描き出した絵画6点(キャンヴァスを支持体とした3作品と紙に描いた3作品)で構成される、カワイハルナの絵画展。

キャンヴァスに描いた《円形パターン》(720mm×910mm)はごく淡い青味のある緑の画面に、レモン色の八角形の枠に収められた12個の白い球が描かれる。8つの角ごとにあるくすんだ藍色の薄い板が白い球を2つと1つと交互に仕切っている。白い球のそれぞれの下側には三日月状の薄い灰色の部分があり、八角形の枠のレモン色は面により濃いものと薄いものとに塗り分けてある。何より、斜め横から描き出したように見える角度の付け方によって、立体的に表現される。上側の8つの球はぎっしり詰められることで落ちないように見える。他方、下の4つの球は両脇に隙間があるために、自重で下に寄ってきたようだ。球、枠、板が力学の法則に従っているように見えるために、作品は冷たい幾何学的抽象画から遊離して、具体的な装置を描いた絵画として姿を現わす。遠目に見るとコンピューターで描き出力したかのようだが、実は手書きで塗り斑や筆触が表情となっているのも人肌を感じさせる作品となる所以である。
同じくキャンヴァス作品《反復》(450mm×330mm)にもレモン色の枠に収められた白い球が描かれている。灰色の画面に描かれるレモン色の枠は直方体である。2つの白い球体が茶色い細い棒により縦に串刺しになって連ねられ、その間にもう1本の棒が挟まれている。
キャンヴァス作品《間を遮る》(910mm×720mm)には2枚の衝立のような枠が並び、その間を遮る白い板や、それら全てを結び付ける、重しで支えられる白い帯が描かれる。レモン色の画面に、窓のように大きく穿たれた部分を持つ衝立が2枚、黄色と黄褐色のものが前後に並ぶ。その間にワ冠状の白い板が、2枚の衝立から垂らされた白い帯によって浮かされている。白い帯が2枚の衝立の前後で暗いオレンジ色の三角柱状の重しで引っ張られることで、白い板の重みを支えているらしい。《円形パターン》と《反復》とがいずれも白い球の間を遮る作品であったのに対し、《間を遮る》では白い板と白い帯によって衝立の大きな開口部が遮られ、視界に対する干渉の程度が増すことで「間を遮る」感覚が前面に出ている。同時に、遮蔽の白い板を支える白い帯が重しで引っ張られている点に、装置としての印象が強められている。
役に立たない装置、あるいは目的を持たない装置というのは、装置が何らかの目的の手段となっていないということである。そのような装置を繰り返し描き出す作家は、イマヌエル・カント(Immanuel Kant)の「目的の国(Reich der Zwecke)」を作品に出現させようとしているのかもしれない。

映画『パスト ライブス 再会』

映画『パスト ライブス 再会』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ・韓国合作映画。
106分。
監督・脚本は、セリーヌ・ソン(Celine Song)。
撮影は、シャビアー・カークナー(Shabier Kirchner)。
美術は、グレイス・ユン(Grace Yun)。
衣装は、カティナ・ダナバシス(Katina Danabassis)。
編集は、キース・フラース(Keith Fraase)。
音楽は、クリストファー・ベアー(Christopher Bear)とダニエル・ロッセン(Daniel Rossen)。
原題は、"Past Lives"。

 

ニューヨーク。バーのカウンターに1人の女性(Greta Lee)を挟んでアジア系の男性(Teo Yoo)とヨーロッパ系の男性(John Magaro)が坐るのを離れたテーブルにいるカップルが話題にする。どういう関係だと思う? さあ、さっぱり。分からないわよね。白人男性とアジア人女性がカップルで、アジア系の男性は彼女の兄弟じゃないか。アジア系の男女がカップルで白人男性が2人の友人なのよ。アジア系の2人は白人の男と口を利かないな。2人は観光客で白人の男がガイドなのかも。朝の4時まで飲むか? たしかにあり得ないわね。職場の同僚だろう。分からないわ。
24年前。ソウル。住宅街の狭く長い階段を泣きながら登るムン・ナヨン(Seung Ah Moon)の後をバスケットボールを手にしたチョン・ヘソン(Seung Min Yim)が付いて来る。何で泣いてるの? 試験で2番だったから泣いてるの? 僕が1番だったから怒ってるの? うん。ねえ! 僕はいつも2番だったけど泣かなかったよ。初めて君に代わって1位になったのに君に泣かれたら僕がどんな気持ちになると思う? ヘソンが階段を降りていく。
ナヨンが妹のシヨン(Seo Yeon-Woo)とともに両親の仕事部屋に顔を出す。中央には向かい合う机に父親(Choi Won-young)と母親(Ji-Hye Yoon)がいて、煙草を吸っていた。周囲には本や映画フィルムの缶やヴィデオカセットなどが積まれ、段ボールに梱包されるのを待っている。ステレオからはレナード・コーエンの柔らかな歌声が響く。決めたよ。何を? 私がミシェル、シヨンはメアリー。シヨンがミシェルにしたいって言ってたでしょ。なぜ妹の名前をとるの? いいのがないんだもん。でもシヨンの名前は使っては駄目。もう少し考えて。レオノーラはどうだ? 約めてノラ。ノラ・ムンか。
居間で移住のための必要書類を準備している母親からナヨンは誰が好きか尋ねられる。ヘソン。何で? 男らしいから。男らしいか。多分彼と結婚する。本当に? 彼も結婚したいって? 私のことが好きだから、私が言ったら結婚するわ。デートする? ナヨンが微笑んで頷く。
ソウル近郊、ソウル国立現代美術館の屋外彫刻公園。巨大な人物の立像の周りでナヨンとヘソンが燥いでいるのをナヨンの母親とヘソンの母親(Ahn Min-yeong)が見守っている。お似合いの2人ね。ヘソンはよくナヨンの話をするの。ナヨンはヘソンのことが好きだって言ったわ。もうすぐカナダに渡ります。だからナヨンに思い出を作ってやりたかったの。移住するの? そう。なぜ移住するの? 旦那さんは映画監督であなたは作家でしょう。それを抛ってしまうの? 何かを捨てれば、何か得るものがあるの。
目や鼻や口を表わした口がズレて組み合わさった2つの顔の石彫作品でヘソンとナヨンが遊ぶ。
帰りの車。後部座席でナヨンがヘソンに凭れ掛って眠る。ヘソンは流れゆく景色を見詰める。
小学校の教室。カナダに移住するナヨンが級友たちに質問されているのをヘソンが黙って聞いている。本当に出てっちゃうの? うん。戻ってこないわけ? うん。何で出てくの? だって韓国人じゃノーベル文学賞取れないでしょ。
ヘソンが校舎を出て来る。待っていたナヨンがヘソンの隣を歩く。2人は黙って家に向かって歩いて行く。三叉路に辿り着いてしまう。ねえ! 何? さよなら。ヘソンは左へ曲がる道に向かい、ナヨンは右の階段を登っていく。
ナヨンの一家が飛行機に乗りカナダへ向かう。機内でナヨンはシヨンと英会話を練習する。トロントの空港に到着。移民局で移住の手続きを取る。
ノラに改名したナヨンが校舎の壁に凭れ掛り、皆が遊ぶ様子をぼんやり眺めている。始業のベルが鳴る。
12年後。ヘソン(Teo Yoo)は韓国で兵役に就いていた。劇作家のノラ(Greta Lee)はトロントからニューヨークに渡った。

 

2000年。ソウルに住む初等学校6年のムン・ナヨン(Seung Ah Moon)は映画監督の父親(Choi Won-young)と作家の母親(Ji-Hye Yoon)、そして妹のシヨン(Seo Yeon-Woo)とともにトロントに移住することになった。ナヨンの母親がナヨンの思い出作りにとナヨンと両思いの同級生チョン・ヘソン(Seung Min Yim)を誘って屋外彫刻公園に遊びに出かけた。ナヨンの最終登校日、ナヨンはヘソンとともに下校する。2人は一言も発さずに分かれ道まで来ると、ヘソンが一言さよならと言って、2人はそれぞれの道を行く。
12年後。劇作家のノラ・ムン(Greta Lee)はニューヨークに渡る。母親とのヴィデオ通話で話題に上った幼馴染みのチョン・ヘソンの名を検索してみると、父親のフェイスブックに「ナヨン」を探しているとの投稿を見付けた。早速ノラはヘソンに連絡を取る。工学部の大学生になっていたヘソンはノラという心当たりのない女性からのメッセージに戸惑うが、写真を見て必死に探していたナヨンだと気付く。2人はネット通話で12年ぶりの再会を果す。すぐに打ち解けた2人は頻繁に連絡を取り合い、実際に対面する日を待ち焦がれるのだった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

幼馴染みのムン・ナヨンとチョン・ヘソンが離れ離れになり、12年後にネット上の再会をきっかけにお互いに恋心を募らせるが、劇作家として成功を収めたいナヨンがヘソンとの距離を取ったことから2人は再び離れ離れになる。
袖振り合うも多生の縁。人との出会いには前世の因縁がある。タイトル『パスト ライブス(Past Lives)』は1つには前世が表わされている。同時に、24年前のナヨンとヘソンがともに過した日々、12年前の2人それぞれの生活とネット上で見つめ合った日々など、作品が描く過去の生活を指す。
幼いナヨンとヘソンが胸がいっぱいで言葉も見つからず、一緒に歩いて下校するシーン。一緒に歩くこと、その豊かさよ。三叉路で一言さよならとナヨンに声をかけて立ち去るヘソン。それは、24年後に変奏されて繰り返される。そのとき、現世を前世とした来世への期待が披瀝されるだろう。

映画『インフィニティ・プール』

映画『インフィニティ・プール』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のカナダ・クロアチアハンガリー合作映画。
118分。
監督・脚本は、ブランドン・クローネンバーグ(Brandon Cronenberg)。
撮影は、カリム・ハッセン(Karim Hussain)。
美術は、ゾーシャ・マッケンジー(Zosia Mackenzie)。
編集は、ジェームズ・バンデウォーター(James Vandewater)。
音楽は、ティム・ヘッカー(Tim Hecker)。
原題は、"Infinity Pool"。

 

マリンリゾートの観光業で成り立つ島国リ・トルカ。プライヴェート・ビーチ、スポーツ施設、インフィニティ・プールなどを具えた瀟洒なリゾートホテル「パ・クルカ」の一室。朝を迎えたもののカーテンが締め切られ真っ暗なまま。ベッドでエム・フォスター(Cleopatra Coleman)が夫のジェイムズ・フォスター(Alexander Skarsgård)に呟く。自分に白砂の死んだ脳なんてやれないって言ってたわ。何? 自分に白砂の死んだ脳なんてやれないって言ったの。何を言っているんだ? そんなこと言ってないだろ。言ってたの。ひょっとしたら寝言かもしれないわ。起きて朝食を取るかどうか尋ねたんじゃないか。聞いたもの。私たち、何でここにいるのかしら。意味無いわ。起きてるのか寝てるのか分からないくらい無気力じゃ。朝食を取りましょうよ。いらないよ。ビュッフェを逃したくないの。エムがカーテンを開ける。眩しさにジェイムズが呻く。行きましょう。オムレツを目の前で調理してもらえるかもしれないわ。
紳士淑女の皆様、ご注目下さい。にこやかな男性従業員(Adam Boncz)がビュッフェに集った宿泊客に声をかける。彼の後ろには奇怪な仮面を被った楽団が控えている。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、リ・トルカは間もなく雨季を迎えます。地元では嵐の襲来前の期間を召喚を意味するウンブラマクと呼びます。伝統的な音楽や料理で親しい仲間と祝います。そこで皆さんをウンブラマクに招待し、皆が友情で結ばれ乾季を締めくくるため目元に化粧を施したいと思います。エキの仮面をお望みでしたらギフトショップでお求め頂けます。楽団の演奏が始まる。料理を取ったジェイムズがエムのテーブルへ戻って来る。なんて所だ。あなたが来たいって言ったくせに。何か書ける気はしてる? 今日の午後、トラクラ島を巡る船のツアーがあるの。その後街で夕食を取ろうと思うんだけど。中華でもどう? また街で食事を取る気はしないよ。あんなのは街なんかじゃない。なぜ中華料理店があるんだろう。もう行くわ。ビーチで会いましょう。
ジェイムズがビーチに向かうと、辺りにエンジン音が響き、悲鳴が上がっていた。人々が不安そうに見詰める向こうにバンダナで口を覆った男がバギーを砂浜に乗り入れて砂を撒き散らしていた。警備員がやって来たために男は走り去った。何なんだ一体? 思わずジェイムズが溢す。意思表示してるの。地元の人よ。近くにいた女性(Mia Goth)が説明する。何を訴えてると思います? ナイフを突き刺したいんです。彼女がジェイムズの首に触れる。殺した後、観光客を恐怖に陥れるために空港に遺体を吊すの。ちょっと過激だな。島民は芝居がかってるの。彼女が微笑んでジェイムズを見詰めて少しの間言いあぐねる。あなたの本が好き。何て言いました? ジェイムズ・フォスターでしょ。あなたの本が好き。戸惑うジェイムズ。不躾でした? そうじゃなくて、僕の本を読む人なんていないから。ギャビー・バウアーです。ギャビーが近くにいた夫(Jalil Lespert)に声をかけ、作家を紹介する。初めまして、アルバン・バウアーです。私が好きな『変わりやすい鞘』を書いた人。ああ覚えてるよ。素晴らしい作品だわ。今晩一緒に夕食はいかが? 数日前から是非お近づきになりたいって思っていたの。中華料理店で予約をしてあるの。
中華料理店。ジェイムズとエムはバウアー夫妻とともにテーブルを囲む。ここはガイドに多文化食事体験として載っているの。確かに体験ではあるかな。それでアルバン、あなたのお仕事は? 建築ですよ、もう引退同然ですがね。ロサンゼルスで雑誌を発行しています。フランスのご出身? いいえ、ジュネーヴです。パリに出て、ロサンゼルスへ。私はロンドン出身でパリへ。そこで出会ったんだよな。でも仕事がなくてアルバンと移ったの。あなたは何を? 女優よ。コマーシャル専門。ロサンゼルスの会社と契約してるの。自然な失敗ができる女優に養成してもらったわ。自然な失敗って何なの? 何をするにしても自然に失敗してしまうように演じるの。出演するコマーシャルで、その製品がなければどうにもならないって。見せてやれよ。嫌よ。見せるべきだ。見てみたいね。ギャビーがパンをテーブルに置いてナイフで切ろうとする。何度やっても切れない。できない。無理よ。ナイフなんかじゃパンはきれないわ。パンチョップが必要だわ。パンチョップが必要になったろう? 確かに。どんな失敗も精神的で物理的な難題なの。あなたの次回作を6年も待ってるのよ。もうすぐ出ます? どうかな。何か変なことを言ったかしら。いいえ、ずっと書いてないのよ。書こうとはしてるんです。スランプに陥ってる? 才能がないんじゃないかと思い始めているところです。そんなこと言うなよ。実は何か着想が得られないかと期待してこのリゾートに来たんです。情けない話ですが。どうやって生活を? 教壇に立ってるとか? お金持ちと結婚したのよ。そりゃいい。芸術家にはパトロンがいないとね。このままじゃ私は慈善団体になりそう。

 

小説家ジェイムズ・フォスター(Alexander Skarsgård)が『変わりやすい鞘』を上梓してから既に6年が経過していた。ジェイムズが暮らせるのは、出版社のオーナーを父に持つ裕福な妻エム・フォスター(Cleopatra Coleman)のお蔭だった。ジェイムズが着想を得ることを期待して夫婦で南洋の島国リ・トルカにあるリゾートホテル「パ・クルカ」を訪れる。ところがジェイムズは部屋に引き籠もり、エムが気を遣ってツアーに連れ出そうとしてもつれない態度をとる。ジェイムズは愛読者だと言う女優のギャビー・バウアー(Mia Goth)とその夫で建築家のアルバン・バウアー(Jalil Lespert)と知り合う。ジェイムズはエムとともにバウアー夫妻と夕食を囲み、翌日はバウアー夫妻の遠出に付き合うことにする。外国人はリゾート地区外に出ることを禁じられていたがバウアー夫妻は馴染みのホテル従業員スレッシュ(Zijad Gracic)から車を借り受けていた。4人は誰もいない美しい入り江を満喫。帰りは酩酊したアルバンに代ってジェイムズがハンドルを握った。街灯の無い道を走行中、ヘッドライトの不調のため歩行者に気付かず轢いてしまう。動顚するジェイムズ。エムはすぐ通報しようとするが、地元警察の腐敗を知るギャビーはこのままホテルに戻ることを強く訴える。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

小説家のジェイムズは着想を得ようと妻エムとともに南洋の島国リ・トルカを訪れる。だがジェイムズは塞ぎ込んだままでリゾートを満喫するどころではない。ところが自著『変わりやすい鞘』の愛読者だという女優ギャビーに出会い、ジェイムズは久方ぶりに気分を高揚させる。ギャビーとその夫アルバンとともにジェイムズとエムは外国人には禁じられているリゾート地区外に出る。美しい入り江で過した帰り、アルバンに代ってハンドルを握ったジェイムズはヘッドライトの不調から通行人を撥ねてしまう。ギャビーは腐敗した地元警察に何をされるか分からないと被害者を放置してホテルに戻るよう強く訴える。翌朝、部屋に警察官がやって来る。エムとともに警察署に連行されたジェイムズはエムと引き離され、刑事(Thomas Kretschmann)の取調を受ける。ジェイムズが運転した車は刑事の叔父のもので、刑事から叔父が車を貸したことを否定して欲しいと頼まれた。ジェイムズが言われたとおり否定すると、バウアー夫妻はジェイムズが車を盗んだ上酒酔い運転で通行人を轢き逃げしたと供述し、エムも認めていると言った。
リ・トルカでは過失でも人を殺せば死刑に処せられる――その執行は被害者の遺族による――が、外国人には協定により特別措置が講じられている。その独創的な特別措置が富裕な外国人観光客によって濫用されるのがポイントである。
リゾートホテル「パ・クルカ」のプライヴェート・ビーチを始めとする施設はリ・トルカの景観に連なる。だがリゾートホテルは有刺鉄線で囲われている。外国人観光客はリゾート地区の範囲内に限定されつつリ・トルカの自然を満喫する。ホテルないしリゾートエリアと周囲の環境とインフィニティ・プールとがアナロジーとなっている。そして、ジェイムズは、1つの作品『変わりやすい鞘』によって、また、エムによって保護されることによって、小説家たらんとしている点で、やはりインフィニティ・プールと同様の構造が認められる。さらにジェイムズは、外国人観光客が外交上の特権により極刑を回避できる仕組みを濫用して犯罪行為に及ぶのもまたインフィニティ・プール的である。たとえどんな衝撃的な事態が起ころうとも必ず乳飲み子のように保護される環境――インフィニティ・プール――に浸ってしまったジェイムズは、もはやそこから外界――インフィニティ・プールの外――へ出て行くことはできなくなる。
富裕層が超法規的特権を濫用して享楽的に過す退廃した世界に引き摺り込まれる小説家。それは、Brandon Cronenberg監督のおぞましく魅力的な世界に取り込まれる鑑賞者の似姿でもある。
Brandon Cronenberg監督の映画『ポゼッサー(Possessor)』(2020)は、別人の意識に入り込むことが可能になるという設定があった。意識を移す側からすれば、様々な外見を手に入れることになり、「変わりやすい鞘(The Variable Sheath)」の物語だったとも言えよう(但し、『インフィニティ・プール』でジェイムズの小説の内容について言及はない)。
Alexander Skarsgårdは映画『ノースマン 導かれし復讐者(The Northman)』(2022)、Mia Gothは映画『X エックス(X)』(2022)やその続篇(前日譚)『Pearl パール(Pearl)』など、Thomas Kretschmannは『タクシー運転手 約束は海を越えて(택시운전사)』(2017)が印象的。