可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 佐々木成美個展『As the Body』

展覧会『佐々木成美「As the Body」』を鑑賞しての備忘録
LOKO GALLERYにて、2024年3月15日~4月13日。

身体をモティーフとした絵画と焼き物で構成される、佐々木成美の個展。

展示作品のうち最大画面の《無題》(2273mm×1818mm)には、施釉により黒光りする楕円の陶板が画面上端の中央に、同じく黒光りする手を模した焼き物が画面左右の端の真ん中に取り付けられ、左右の手から褐色のオレンジ、淡い黄、紫の線が、さながら磁界観察実験の砂鉄のように、彎曲しながら放射しつつ伸びる。楕円の陶板はその形状と位置と両の手の存在と相俟って頭部であり、左右の放射状の描線は腕に、その重なりは胴となり、人形(ひとがた)が浮かび上がる。
なお、最大画面の《無題》と同じモティーフの表わされた無題作品が別に2点(各1620mm×1303mm)あり、それらには陶板が取り付けられていない。(1階に展示された)《無題》では画面中央附近の2つの中心から黄褐色の線がS字を描きながら放射状に伸びていく。その中途から外延に近付くに連れて周囲に紫が広がっていく。(2階に展示された)《無題》では画面右側から黄褐色の線が弧を描きながら放たれ、赤味を帯びた紫、そして紫の中に溶け込んでいく。画面下部では紫の描線がくるりと円を描く。

最大画面の《無題》の近くの床には、人物頭部を象った赤茶色の素焼き《月相》(180mm×230mm×150mm)と、指で円を作るように軽く握られた右手の焼き物《手》(250mm×150mm ×150mm)とが置かれている。《月相》の眼窩にはガラス製の眼球が取り付けられているために、素朴な作りに比してかなり強い生々しさを感じさせる。右側を床に着ける形で設置され、左側には耳などを黒い釉薬が覆っている。満月がかけ始めた状況を表わすようだ。《手》が軽く握られているのはピンホール効果を得るための仕草である。《月相》と相俟って《手》は天体観測を表わすことになる。

レベッカ》(1070mm×650mm×120mm)の黄褐色と紫により模糊とした画面の上部には、円形とその開口部のような楕円とが描かれている。楕円の周囲には毛のような細い線が表わされている。画面の左右の上端からそれぞれ両端がくるりと曲がるS字を模した大小の暗緑色の焼き物が引っ掛けられて連ねられ§状に垂らされている。《ソフィー》(630mm×1100mm×100mm)が同じモティーフを扱い、やはりS字の焼き物が両側に垂らされている。

《リオ》(350mm×320m×70mm)は黄褐色、白、黒で構成される。画面いっぱいに光と闇との楕円とその周囲を飾る∩字の白い線とが描き込まれている。画面の天には黒い釉薬を施された焼き物の5つのチューリップのような花が、それぞれ葉のないのたうつ茎の先に付いている。左隣の《ブライアー》(370mm×360mm×70mm)は画面が黄褐色、赤紫、白となり、楕円を囲う白はpに近い形状で描かれ、絵画の上に添えられた焼き物のチューリップの茎には赤褐色にベージュの斑が浮く。さらに左に並ぶ《キャス》(350mm×310mm×70mm)は画面の基調も、5本のチューリップも白である。《リオ》・《ブライアー》・《キャス》の画面の中心モティーフは穴であり、目であり、顔のである。曲がりくねるチューリップは蛇に見える。

両脚を揃え、両腕を真横に伸ばした女性の身体を表わした、小さな黒釉の陶器《Wearing Sculpture, As the Body》(60mm×50mm×5mm)は、隣に並んだ、同じモティーフを黄褐色で描いた《Drawing》(440mm×36mm×25mm)と併せ見ると、十字架にかけられた女性に見える。だが、黒で描かれた女性像《Drawing》(440mm×36mm×25mm)では、腕や脚がすっと伸ばした線が描き込まれ、飛翔しているようだ。翻って、十字架に打ち付けられていたかに見えた《Wearing Sculpture, As the Body》もまた、飛翔のイメージに変貌するのである。

ペインティング、ドローイング、焼き物といった種々の作品に共通するのは、対極にあるものが同時に存在することである。最大画面の《無題》に描かれるのは光と同時に闇である。《レベッカ》や《ソフィー》では混沌(≒闇)の中に開口部が設けられることで光が射す。《月相》は天体が人の顔として表わされることで(文字通り現実に)地に置かれ、地上の《手》は天体を眼差すことで宙に浮く。《Wearing Sculpture, As the Body》は拘束と解放、あるいは死と生とであるとともに、キリストを男性から女性へと変換しもする(なお、岡田温司『キリストと性 西洋美術の想像力と多様性』はキリストを女性として捉える伝統があったことを示す)。
女性の身体という観点から改めて最大画面の《無題》を眺めると、光と闇の交錯する人形(ひとがた)は誕生と死であり、秩序と混沌の象徴と解される。光と闇とを表わす黄と紫とは、黎明であり下舂の色である。渦巻くのは胎の形成であり、放散は死である。個物は全体からの拡散に過ぎず、収縮により全ては1つになる。宇宙は無限の周期で反復する(共形サイクリック宇宙論)。
作家はその指で小さな輪を作り、無限遠を覗こうとしている。