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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 クリスティーナ・バンバン個展『FIGURA』

展覧会『クリスティーナ・バンバン「FIGURA」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリーペロタン東京にて、2023年7月5日~8月19日。

肉感的な女性群像「Figura」シリーズ6点を中心に、女性をモティーフとした10点の絵画で構成される、クリスティーナ・バンバン(Cristina BanBan)の個展。

《Figuras Ⅱ》(2007mm×1600mm)は、胸を露出した横向きの女性(ピンクがかった肌を持つ)を中心に、その右側に水色のキャミソールに黄緑のショーツの正面向きの女性(部分的に黄色が差され全体に明るめの肌を持つ)、左側赤いキャミソールの背面を見せる女性(部分的に茶色が差されやや褐色の肌を持つ)を描く。3人の女性たちは部分的に重なり合い、半ば一体化するように配されている。例えば、トップレス女性の左腕は青いキャミソールの女性の右胸を隠す一方、青いキャミソールの女性の下半身がトップレスの女性の下半身を隠してしまう。しかも中央の女性の左腕の作る僅かに彎曲して降りる線が右の女性の腹部(キャミソールとショーツの境界線)あるいはショーツの右側へと連続し、あるいは中央の女性の乳房の下を左側の女性の右手がカットするような形となっている。また、抽象化された背景において赤紫の絵の具が3人の頭部の周囲を覆い、あるいは左側の女性の臀部と右側の女性の右太腿を赤いラインが接続していることも、三者を結び合わせる。画面にひしめく女性たちは実寸よりも大きく描かれ、なおかつ腕、腰、太腿などが太く表わされているのが印象的である。パブロ・ピカソ新古典主義の絵画の女性たちを連想させるのは、大きな手の表現のためだろう。右側の女性の腹に当てられた左手、あるいは腰に添えられた右手、また、左側の女性の左側から覗く中央の女性の右手(意外な場所に現れるように思える手は舟越桂の彫刻を連想させる)が力強いイメージを形作っている。これらの大きな手の向きに加え、V字型に並ぶ頭部(中央の女性は他の2人に比べ背が低い)の(目を描き入れられていない達磨のような)虚ろな目の向き(中央の女性の目は消去するように彼女の肌の色に近い絵具で刷かれている)が、激しい絵具の塗りと伴って女性群像に動きをもたらしている。

《Figuras Ⅰ》(2007mm×1600mm)は、トップレスの女性3人を描く。中央の女性は、豊かな乳房、二段になった腹部、肉付きのいい腰(太腿)が、比較的ほっそりした顔に対して裾が拡がる山のような形態を取る。そして、この女性は坐っているらしいが、太腿から下は黒い闇の広がりによって判然としない。
《Figuras Ⅵ》(2007mm×1600mm)は、やはりトップレスの女性3人を描く作品であるが、中央の女性は膝頭の辺りまで描かれており、本展に展示されている「Figura」シリーズの中では脚が一番多く描かれている。
「Figura」シリーズでは豊かな胸や腰、巨大な手を持つ虚ろな女性たちに目を奪われる。だが表現されていない脚にこそ注目すべきなのかもしれない。「見」ることに「儿」(脚)が伴わなくなり、対象との距離を詰めないまま、「目」だけで見るようになっている状況が映し出されているのだ。女性たちが正面を向かずにあちらこちらに視線を投げ掛けるのは、見ることに見詰め返されることが伴っていないことを表わすのではないか。見ることの不完全さ。それがな彼女たちの目が虚ろに表わされてる理由であろう。
無論、画面に現れる巨大な手は触覚の象徴である。対象に触れるという距離ゼロの対極を設定することで、見ることの意義の再考を迫っている。肉感的な女性の身体は、その誘因となる。