展覧会『若林奮 自刻像‐わたし』を鑑賞しての備忘録
YOKOTA TOKYOにて、2023年6月19日~7月14日。
若林奮の立体作品の「自刻像」シリーズ43点と「マスク」シリーズ5点に、銅版画の「1989」シリーズ3点を併せて展観する企画。
「自刻像」シリーズは、ばらつきはあるがいずれも高さ20cmほどの両脚を揃えて立つ人物の木彫作品。壁面に設えた棚3箇所に11点ずつ、展示空間の中央の台の上に残りの10点が設置されている。それぞれガーゼのような白い布を巻き付け、作品によって糸で縛るか、縫い付けるかされ、ミイラのような観を呈している。ごく簡単に目鼻を刻んだ頭部と揃えられた足と台座はほとんどが白く塗られている(一部灰色のものもある)。布は着彩のないものが多いが、緑や青緑の絵具が施されている作品もある。
銅版画《1989-4》(755mm×540mm)では、の右上から左下の対角線の右側に配された手の周囲を点線が囲み、あるいは手首の辺りから波線が周囲に延びる。手が発する振動が、空間(の振動)を表わす規則的に配列された円と相互に影響し合う様子が描かれる。そして、銅版画《1989-6》(755mm×540mm)では、《1989-4》の手の主と思しき人物が、画面中央に直立する。人物の周囲を囲む点線による振動は、右手の辺りで強くなる。画面上部には空間の振動を表わす規則的な円が並ぶ。
ところで、若林奮の彫刻作品に「振動尺」シリーズがある。
1977年に初めて発表された《振動尺》は、若林によって想定された自らと対象との距離を測定するための物差しであり、その作品である。ただしその際、若林は空間を客観的で計測可能な物理的距離としてではなく、「振動」として捉えようとする。それは薄い皮膜のような垂直の層をなして、水平方向に伝わる振動である。
(略)時として、《振動尺》の手前の断面に作家の手の痕跡が残されていることは留意してよいだろう。《スプリング蒐集・右手の先》、《振動尺(手許)》に見られるように、いわば、遠近法における支店の位置に手のひらがあるのだ。手という触覚器官が、支線に代わって振動を感受し、空間を把握しようとしている。若林にとって空間は、対象と自身の、それぞれとの一部を含んだ振動する中間領域であるというが、それは物と物との間にある空虚な間隔ではなく、また抽象的な関係概念でもない。触覚という身体感覚を含んだ空間であり、彫刻はその中間領域に存在するという。
振動という概念を含む作品は数多くあるし、その概念は《振動尺》以後の作品を特徴づける極めて重要な要素となっている。若林は、対象たる自然に対して徹底して誠実であったが、《振動尺》はその誠実さと同じ意味で、「正しい」距離を測るための物差しであった。それが測ろうとするのは客観的な距離や時間ではなく、作家のうちに内面化された自然や世界との距離である。その意味では《振動尺》は、それが測定原器であるにもかかわらず、計測不能な不可知なものに対する試みであるとも言えよう。(森田一「振動尺」名古屋市美術館他編『若林奮 飛葉と振動』読売新聞社他/2015/p.49)
「振動尺」シリーズの形態は様々であるが、その試作は、円柱(石棒?)や「なると」のようであった。とりわけ《1989-6》と併せて眺めるとき、ミイラのように布でぐるぐる巻きにされて手の動きを封じられた「自刻像」は、円柱ないし石棒状の「振動尺」(の試作)に極めて近接しているのが分かる。「振動尺」の媒介を要することなく、「自刻像」が「振動尺」となったのである。「自らと対象との距離を測定する」必要が失われたのは、「自刻像」=作家が対象との距離を喪失した(距離が0になった)から、すなわち作家が死して環境と一体化してしまったからであろうか。
生命はエネルギーを消費し、電磁波=光を放射する。そのエネルギーが高ければ、より波長の長い光を発する。ミイラの死に着目するなら、それは光の消失となる。しかし、ミイラが再生のための装置であるなら、振動≒光が再び生じることになる。
《緑の森の一角獣座》は1995年に構想を始めた庭である。(略)この庭は東京都のゴミ処分場建設予定地内に作られたことから、都によって2000年、土地ごと強制収容され取り壊されたため現存しない。こうした経緯から、この庭については環境問題、社会における作品、作家のあり方など、多岐にわたる見方がある。筆者が 《緑の森の一角獣座》を作品として考察しようと試みるのは、とりわけそこに「残り、…」をめぐる若林の芸術観の根幹がみられるからだ。撤去される前の「作品は、今後も常に変貌する現在として継続することになる」という作家の言に注目するならば、たとえ姿が消滅しても作品としての庭は「残る」という核心があったと思われる。(朝木由香「『「緑の森の一角獣座」は残る。』について」名古屋市美術館他編『若林奮 飛葉と振動』読売新聞社他/2015/p.177)
「自刻像」はやはり再生のための装置であり、泉下の作家が「今後も常に変貌する現在として継続する」光を発するのである。