可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 黒瀧藍玖個展『From 0 to 1』

展覧会『黒瀧藍玖「From 0 to 1」』を鑑賞しての備忘録
SOM GALLERYにて、2024年4月24日~5月5日。

経糸緯糸の交差により造型する織物の構造を用いた作品で構成される、黒瀧藍玖の個展。

《Human 0》は、直方体の鉄枠(1900mm×780mm×780mm)の上下の底面に鋼線を格子状に張り、上下の鋼線の交点を縦に結んだナイロン糸に、輪を描くように引っ掛けた透明ヴィニルチューブによって人形(ひとがた)を表わした作品。会場の照明は最小限に留められており、スポットライトにより後方上部から照らし出された身体は、天気雨に出現した亡霊さながらに浮かび上がる。この後方からの光は文字通り「後光」として作品に聖性を賦与する。鉄枠は鋼線とナイロン糸の張力によって撓んでいる。その膨らみや凹みは、亡霊を幻視する鑑賞者を現実へ引き戻す力となって働くようだ。
《Human 0》と向かい合わせに設置されているのが、《Human 1》である。直方体(1050mm×890mm×670mm)の鉄枠の上下の底面に鋼線を格子状に張り、その上下の鋼線の交点を縦に綿糸で結んだものが2つ、上下に重ねてある。上側には上半身が、下側には下半身が、それぞれ毛糸を綿糸に巻き付けることで表わされている。綿糸も毛糸も染色されていないクリーム色で、近くから見るよりも離れて見るときの方が、人の姿がはっきりと捉えらえる。その姿は背後からの光により影となる。
『From 0 to 1』との展示タイトルは、0の表わす無から1の表わす有へ、すなわち開闢を表わすのであろう。透明な《Human 0》と有色の《Human 1》がその象徴である。そして《Human 0》と《Human 1》との人物が経糸(ナイロン糸・綿糸)と横糸(ヴィニルチューブ・毛糸)という織物の構造により構成されていることに着目すれば、経糸を黒、横糸を白とした組織図(織り図)が導かれる。そこには黒を"off"、白を"on"とすれば、全てが0と1との二進数で表わされるコンピュータで処理される世界が姿を見せる。これは、物質の根本的な性質が「測定可能性」によって成り立つ、物理学の世界観に通じる。

 (略)私たちの現在の最良の理解によれば、そこからほかのすべての性質が派生する物質の根本的な性質は、次の3つである。
 質量
 チャージ
 スピン
 これですべてである。
 哲学的な観点から見ると、ここから得られる最も重要な結論は、主要な性質はきわめて少なく、それらは正確に定義し、測定することができるということだ。さらに、デモクリトスが予測したように、主要な性質――実在の根底にある構造――と日常的な物事の姿との結びつきは、きわめて希薄だというのも、もう1つの重要な結論である。甘い、苦い、熱い、冷たいという性質、そして色が「慣習」だというのは私にとっては強すぎる言い方だが、これらの物事――そして、より全般的に日常的経験の世界――から、それらが生まれててくる源の、質量、チャージ、スピンまでたどるには、かなりの努力が必要なのは確かだ。(フランク・ウィルチェック〔吉田三知世〕『すべては量子でできている 宇宙を動かす10の根本原理』筑摩書房〔筑摩選書〕/2022/p.109-110)

測定可能とは、数値化可能ということである。世界はデータに置き換えられるのだ。《Human 0》と《Human 1》は鉄や糸という日常的に手に触れる素材を用いて日常的な経験世界を表わしつつ、組織図(織り図)を介して世界が二進数で構成されていることを表現していたのである。《Human 0》の鉄枠の歪みは、質量・チャージ・スピンという物質の根本的性質を直観する困難さを伝えるようである。もっとも、テキスタイルに携わるものはその直観を容易くたぐり寄せることができるのかもしれない。スピン(spin)とは素粒子角運動量である前に、糸を紡ぐことでもあるからだ。