可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『JKエレジー』

映画『JKエレジー』を鑑賞しての備忘録
2018年の日本映画。
監督は、松上元太。
脚本は、香水義貴と松上元太。

天気の良い昼下がり、人気の無い渡良瀬川の河川敷。高校の制服を着た梅田ココア(希代彩)が地面に散乱する空き缶やおもちゃをひたすら踏み潰している。その様子をカズオ(猪野広樹)がビデオカメラで足下からスカートの辺りまで足を中心に捉えている。撮影が終わり、こんな映像に需要があるのかと訝るココアに、カズオは踏みつけられたがっているマニアの存在を諭すとともに、虫を踏み潰すよりハードな内容の作品の制作に挑戦してみないかと誘う。ココアは撮影でハードになるのは自分なのだと拒絶し、謝礼を手にして帰宅する。ココアは高校3年生。推薦で大学進学を狙えるくらい成績は優秀。だが、母が亡くなって後、父のシゲル(川瀬陽太)は病気を理由に生活保護を受給し、競艇通いで憂さを晴らす日々。兄のトキオ(前原滉)は、カズオに誘われて漫才コンビを結成して東京に出たものの、3年で実家に舞い戻り、今は「研究」と称してテレビを見るだけの毎日を過ごしている。ココアは友人のサクラ(芋生悠)とともに遊園地で売り子をしているが、進学費用はとても賄えない。卒業後は就職するほかないと諦めていたが、クラス担任の教師から奨学金の貸与を受けて国立大学を目指してはどうかと促されたココアは、今の生活から脱するためにも、何としても大学に進学することを決意する。

 

貧困を生きる女子高校生を描く作品だが、暗澹たる雰囲気に陥る一歩手前でしっかりと踏み留まっている印象。作中のマニア向け映像に即して喩えるなら、空き缶や風船は踏み潰しても、芋虫は踏み潰さないのだ。主演の希代彩が放つ質実な魅力が、エロスや陰湿さを稀釈して清涼感を作品に与えるとともに、社会問題を描きつつ微かなファンタジーへと昇華させていることが大きく寄与しているだろう。

ココアの乱視は二重性の象徴か。眼鏡をかけることが「普通」の世界へと像を結ばせる。眼鏡を外すと、自らの生きる、普通ではない世界が「普通」の世界と重なりつつ、立ち現れる。
祭りの夜に家の電気が止められる。闇はどん底を意味する。祭りの舞台で繰り広げられる華やかな群舞を、観客からも離れて暗い場所で涙を流しながら見つめるココア。「普通」の世界との惜別。だが、闇の一番深いところまで降りていったココアはそこでターンする。明るい河川敷での友人たちとの再開は、「普通」の世界への復帰であろう。

父親役の川瀬陽太と兄役の前原滉がコメディ要素を加えながら駄目家族ぶりを遺憾なく発揮して、主人公の置かれた境遇を浮き彫りにした。

カズオ役の猪野広樹の「舎弟」ぶりが凄い(舎弟の役ではないのだが)。