可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』

映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のアメリカ映画。120分。
監督は、ジョー・タルボット(Joe Talbot)。
原案は、ジミー・フェイルズ(Jimmie Fails)とジョー・タルボット(Joe Talbot)。
脚本は、ジョー・タルボット(Joe Talbot)とロブ・リチャート(Rob Richert)。
撮影は、アダム・ニューポート=ベラ(Adam Newport-Berra)。
編集は、デビッド・マークス(David Marks)。
原題は、"The Last Black Man in San Francisco"。

 

サンフランシスコのハンターズポイント。少女が化学防護服を着用した人物を不思議そうに見上げている。親に繰り返し呼ばれた少女はキャンディを手に通りを駆けていく。防護服の人々が湾岸の清掃に当たる中、演壇用の箱に立つ説教師が(Willie Hen)が声を張り上げている。なぜ防護服を身につけるのか。この海は50年来、悪魔の口以上に汚染されている。斜面でバスを待っていたジミー・フェイルズ(Jimmie Fails)は、モントゴメリー・アレン(Jonathan Majors)に声を掛ける。行こう。ジミーがスケートボードに乗り地面を蹴る。モントゴメリーはその後を追い、ジミーのスケートボードに飛び乗る。2人が向かうのはフィルモア地区にあるビクトリアン様式の瀟洒な邸宅。それは戦後直後にジミーの祖父が建てた建物だった。太平洋戦争の勃発に伴いこの辺りに住んでいた日系人強制収容所に送られると、黒人が多く移り住むようになったが、その後、さらに富裕層が住む街区へと変貌を遂げていた。人気の無いことを確認すると、門から敷地に入っていく。手入れが行き届いていないことに不満なジミー。モントゴメリーに見張りを頼んで、いつも着ているシャツの色と同じ茜色で窓枠を塗り始める。作業に没頭していたジミーに、また来たのと悲鳴のような声があがり果物が投げつけられた。家の持ち主である老夫婦、メアリー(Maximilienne Ewalt)とテリー(Michael O'Brien)が帰ってきたのだ。もう少しで終わるというジミーに、さらにモノを投げつけ今回こそは通報すると喚くメアリー。テリーはメアリーを宥めつつ、通報はしないがすぐ出て行くようにジミーを諭す。ジミーは道の向かいでノートに絵を描くのに夢中になっているモントゴメリーに声をかけ、ともにその場を後にする。モントゴメリーは魚介の販売をしつつ、仕事以外の時間は脚本のための取材に余念が無い。小さな赤いノートを肌身離さず持ち歩いて、何か気になったことがあると、右耳に挟んだ鉛筆を取り出して、メモをとったりスケッチを描いたりしている。ジミーは、施設に入所していたことや車で生活をしていたこともあり、住まいを転々としてきた。父ジェームズ(Rob Morgan)と折り合いが悪く、母(LaShay Starks)とは音信不通で、今は目の見えないモントゴメリーの祖父(Danny Glover)と同居するモントゴメリーの部屋に居候している。モントゴメリーの家の近くには、いつもニティ(Antoine Redus)、ガンナ(Isiain Lalime)、ジョーダン(Jordan Gomes)、コフィ(Jamal Trulove)が屯していて、顔を合わせるたびにちょっとしたやり取りをするのが日常になっている。ジミーとモントゴメリーが再びフィルモア地区の邸宅を訪れると運送業者のトラックが停まっていて、作業が行われている。テリーの傍で嘆き悲しんでいるメアリーの姿もあった。

 

祖父が建てた住まいを取り戻そうと奔走するジミー・フェイルズ(Jimmie Fails)の姿を描く。建物とジミーとの類比を映し出すとともに、ジミーが修繕を加えて建物と一体化を図る姿を描く一方、常に街路を滑るスケートボードとともにあるジミーの根無し草的な性格も強調される。
台詞ではなく、街並みや通行人、そして作業する人々の映像に語らせようという姿勢が明瞭。スローモーションや遠距離からの撮影などが効果的に挟まれる。音楽も利いている。