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芸術鑑賞の備忘録

映画『どん底作家の人生に幸あれ!』

映画『どん底作家の人生に幸あれ!』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のイギリス・アメリカ合作映画。120分。
監督は、アーマンド・イアヌッチ(Armando Iannucci)。
原作は、チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の小説『デイヴィッド・コパフィールド(David Copperfield)』。
脚本は、アーマンド・イアヌッチ(Armando Iannucci)とサイモン・ブラックウェル(Simon Blackwell)。
撮影は、ザック・ニコルソン(Zac Nicholson)。
編集は、ミック・オーズリー(Mick Audsley)とピーター・ランバート(Peter Lambert)。
原題は、"The Personal History of David Copperfield"。

 

デイヴィッド・コパフィールド(Dev Patel)が舞台に立ち、聴衆に語りかける。私の伝記とも言うべき物語です。私が主人公のままでいられるか、あるいは他の者に取って代わられるか。誕生の場面から始めましょう。彼の背後にかかる緞帳に、デイヴィッドの生地が映し出される。デイヴィッドが振り返り、映像の中へと入り込んでいく。
生家のリビングの椅子には身重のクララ(Morfydd Clark)が座っている。陣痛が始まり、クララは女中のペゴティ(Daisy May Cooper)を呼ぶ。ほんのちょっとだけお待ち下さいまし。ペゴティがタオルを用意しようとあたふたしている。そこへ、鼻を潰すほどガラス窓に顔を押しつけて、クララのいる部屋の中を外から覗く女性(Tilda Swinton)の姿が。部屋に入って来るなり、クララに声をかける。デイヴィッド・コパフィールド夫人ね。デイヴィッドの伯母のベッツィ・トロットウッドだった。カラス邸なんて奇妙な名前ね、カラスなんていないのに。ベッツィが上着を掛けながら指摘する。クララに呼ばれたペゴティには、くしゃみみたいな名前でよく受洗できたものねと一言。ペゴティは、あなたも似たようなものでしょとやり返す。ベッツィはクララに向かい宣言する。あなたの娘の名付け親になりますわ。男の子のような気がするんですとのクララの言葉には少しも耳を貸すことなく、ベッツィは続ける。名前は、ベッツィ・トロットウッド・コパフィールド。決して私のような過ちを犯させないわ。つまらない男に気を許しなんてさせるものですか。医師(Divian Ladwa)が到着し、クララが2階にある寝室に運ばれる。無事にお産を終えた医師にベッツィが尋ねる。あの娘の様子は? これ以上ないくらい経過は順調です。生まれてきた娘の話をしているのよ! 生まれたのは男の子です。ベッツィは赤子の姿を見ることもなくカラス邸を後にする。
数年後。少年デイヴィッド(Ranveer Jaiswal)はカラス邸の庭にある大きなトピアリーに向かって棒を振り回す。おばけウサギめ! 部屋の中では、ベゴティに、本に描かれているクロコダイルについて説明する。アメリカやオーストラリアにいるんだ。そりゃ野菜だね。爬虫類だよ。デイヴィッドはペゴティの放つ印象的な言葉を記憶していった。ある日、クララの元を大男のエドワード・マードストン(Darren Boyd)が訪ねてくる。エドワードは握手しようとデイヴィッドに右手を差し出すが、デイヴィッドは左手を差し出す。それから程なくして、デイヴィッドはペゴティの地元であるヤーマスにしばし滞在することになる。ペゴティーとその兄ダニエル(Paul Whitehouse)と馬車に乗り込むと、途中、どこまでも続くような平原に通りかかる。デイヴィッドは地球は丸いと本に書いてあったのに実際には真っ平らじゃないかと思う。港では、ダニエルの養子ハム(Anthony Welsh)と落ち合う。デイヴィッドはハムに負ぶってもらい海岸へ。ペゴティの兄の住まいは、浜辺に立つ、船をひっくり返して作られた建物だった。デイヴィッドは、今まで見た中で一番の部屋だと大満足。もう一人の養子エミリー(Aimée Kelly)は、魚の腸取りの作業をしたくないために、デイヴィッドを浜辺に連れ出す。デイヴィッドとペゴティがヤーマスでの滞在を終えてカラス邸に戻ると、クララからエドワードが新しい父親だと紹介される。

 

チャールズ・ディケンズの半自伝的小説『デイヴィッド・コパフィールド』の映像化。
デイヴィッド・コパフィールド(Dev Patel)が舞台に立ち、自らの半生を紹介する映像を観客に見せるという形で始まる。とりわけ冒頭では、デイヴィッドが身重の母クララ(Morfydd Clark)の脇に立つなど、語り手=作家が画面に登場することで、作家が自らの生い立ちを紹介するという構造が視覚的に強調されている。
インド系のDev Patelが主人公であるデイヴィッド・コパフィールドを演じることで、『デイヴィッド・コパフィールド』を演劇的に映像化しようとの意図が明快に示されている。そのため、次々と現れる登場人物の配役もすんなりと受け容れられる。
ドーラ・スペンローを、母クララを演じるMorfydd Clarkが演じることで、デイヴィッドがドーラを母親の生き写しだと思ったことが伝わる。しかも、ドーラは、飼い犬が話す体を装う(初対面の際には、ドーラに合わせるように、デイヴィッドも自分ではなくリンゴの木が話すふりをする)。ドーラが母の魂の依代であることを、ドーラが犬に「乗り移る」ことで明らかにしているのだ。クライマックスのシーンに登場したドーラが、自らを「場違い」として、デイヴィッドにそのシーンから消すよう求めるなど、その描きぶりは徹底している。この演出によって、デイヴィッドが(死に目にも会えなかった)母を強く慕う気持ちが印象づけられる。
ペゴティ(Daisy May Cooper)、ベッツィ・トロットウッド(Tilda Swinton)、ユライア・ヒープ(Ben Whishaw)など魅力的なあくの強いキャラクターが沢山登場するが、とりわけ貧しくも強かに明るく生きるミコーバー(Peter Capaldi)の一家が良い。夫婦の漫才のようなやり取りとか、債権者にドアの外から絨毯を引っ張られて赤ん坊が移動するシーンとか。
デイヴィッドは、マードストン(Darren Boyd)(=お化けウサギ)から、態(the voice)について問われる。「能動(active)」を答えることはできるが、もう一つの「受動(passive)」を答えることができない。続けて朗読を求められるが、見られていては文字が浮いてしまって朗読できない。言葉にならない「受動(passive)」をこそ描く意図が窺える。"excited"にしろ"moved"にしろ、出来事に触れて心は動かされる。あるいは、「受け身」の立場の者たちへの眼差しを描こうという姿勢の表明だろう。「受難(passion)」。"passive"と"passion"と。