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芸術鑑賞の備忘録

映画『私は確信する』

映画『私は確信する』を鑑賞しての備忘録
2018年製作のフランス・ベルギー合作映画。110分。
監督は、アントワーヌ・ランボー(Antoine Raimbault)。
原案は、アントワーヌ・ランボー(Antoine Raimbault)とカリム・ドリディ(Karim Dridi)。
脚本は、アントワーヌ・ランボー(Antoine Raimbault)とイザベル・ラザール(Isabelle Lazard)。
撮影は、ピエール・コットロー(Pierre Cottereau)。
編集は、ジャン=パプティスト・ボーダン(Jean-Baptiste Beaudouin)
原題は、"Une intime conviction"。

 

2009年4月。トゥールーズの重罪院。2000年2月に3人の子供を残して失踪したダンス講師のスザンヌ・ヴィギエを殺害したとして家庭内別居していた夫で大学の法学教授ジャック・ヴィギエ(Laurent Lucas)が起訴された事件で、全ての弁論が終わり、裁判長が陪審員に評決のための退廷を促す。不安そうな表情を浮かべたジャックが被告人席で評決を待つ。評決は無罪であった。この事件はセンセーショナルな報道により世間の注目を集めており、検事長はすぐさま控訴した。
ノラ(Marina Foïs)が、ブラッスリー「レストラン・ピコタン」の厨房の外で1人煙草を吸いながら、ラジオから流れるヴィギエ事件の報道に接して悄然としていた。ノラは息子のフェリックス(Léo Labertrandie)をラグビークラブまで迎えに行き、家に連れて戻ると、家庭教師のクレマンス(Armande Boulanger)がドアの前で待っていた。クレマンスがフェリックスの指導を終えると、ノラは車でクレマンスを家まで送る。クレマンスの父ジャックの事件が控訴審に持ち込まれたことをノラが気遣うと、クレマンスは父が鬱になっていると告げる。ノラは裁判所を訪れて、弁護士デュポン=モレッティ(Olivier Gourmet)が姿を表すのを待っていた。ノラは彼を見つけると後を追い、ヴィギエ事件について尋ねる。デュポン=モレッティは彼女を記者だと思いあしらうが、ノラはヴィギエの弁護を依頼したいと食い下がる。ノラが娘の友人に過ぎない上、トゥールーズという地理的条件や審理開始までの時間的条件から断るが、ノラはデュポン=モレッティの自動車に乗り込んでまで第1審の資料を渡そうとする。ノラは車から追い払われたが、彼女が渡そうとした資料はデュポン=モレッティの車の中に置いたままになった。「ピコタン」の厨房にウェイトレスが注文を告げに来る。ノラが紙を乱暴に取り上げ、料理をすぐさま持っていくよう命じる。キツい対応だな。厨房を切り盛りしているブルノ(Steve Tientcheu)が思わず苦笑いする。ノラがブルノに尋ねる。時間はあるの? どれくらい? シャワー込みで2時間くらい。仕事を終えた2人はブルノの部屋で愛を交わすと、シャワーを浴びたノラはそそくさと家に戻る。テレビを見ているフェリックスに近づき戯れる。2人でしゃべりながら公園や川沿いをジョギングする。フェリックスのラグビーの試合を観戦していたノラの電話が鳴る。デュポン=モレッティからだった。ノラは、デュポン=モレッティの宿泊先のホテルで落ち合うことになった。「ピコタン」の厨房で仕込みをしているブルノに、ノラが新聞を差し出す。「ジャック・ヴィギエが弁護士を交代」という記事だった。デュポン=モレッティはノラから提供された資料の優秀さを褒め、彼女が料理人だと知って驚く。デュポン=モレッティは裁判所に提出された証拠の中から250時間分の通話音声データを請求し、その文字起こしをノラに依頼する。ノラはスザンヌの愛人であったオリヴィエ・デュランデ(Philippe Uchan)の通話内容に驚愕する。

 

失踪女性の夫が妻の殺害を疑われた実際にあった事件をもとにしたフィクション。
ノラ(Marina Foïs)は、実際の事件にモデルとなる人物のいない架空のキャラクター。彼女の事件にのめり込む、その過剰さに対しての十分な動機が示されていない。その結果、彼女が担う通話記録の文字起こしという作業も相俟って、彼女に「信用できない語り手」との印象が生まれる。彼女をして事件の動機(mobile)究明に駆り立てるのが本作のプロットであるが、鑑賞者をしてノラの動機の解明を促す、入れ籠の関係が成り立っている。ノラについて描かれていない部分は鑑賞者に対し示される解釈の余地であり、それを引き受けることができるかどうかが本作を楽しむための一つの鍵であるようだ。
重罪院は、10年以上の懲役・禁錮を最低刑が法定されている犯罪を専属管轄する裁判所で、2000年までは控訴が認められていなかったが、被告人の権利を保護するために控訴が可能となったという経緯があるらしい。本作がもとにしている事件では、無罪となった事件について(無罪評決に対する公訴権を独占する)検事長がすぐさま控訴しており、「疑わしきは被告人の利益に」という無罪推定の原則を脅かすものとなっている。しかも、失踪女性の遺体が発見されているわけではなく、訴因となる犯罪事実は、全て仮説で構築されているのだ。この事件は、サイバーリンチのアナロジーとも言えるが、現実の司法制度の運用が「サイバーリンチ」的になっていることの問題を訴えているのであろう。
邦題は「心の裡では~と確信している(J'ai l'intime conviction que...)」で用いられる"l'intime conviction"から直接は連想されたものだろう。それと同時に、かつてフランス社会を二分したドレフュス事件(Affaire Dreyfus)におけるエミール・ゾラ(Émile Zola)の「私は告発する(J'accuse… !)」も踏まえられているのかもしれない。ひょっとしたら原題には、(捜査当局やマスメディアの)内輪だけの(intime)確信(conviction)という意味合いも籠められているだろうか。
冒頭のクレマンス(Armande Boulanger)のフェリックス(Léo Labertrandie)に対するページに関する計算の指導や、ノラがフェリックスに対して(古典)ギリシャ語が役に立たないといった話題は、何を意味していたのだろうか。