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芸術鑑賞の備忘録

映画『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』

映画『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のフランス映画。
105分。
監督は、エマニュエル・クールコル(Emmanuel Courcol)。
脚本は、エマニュエル・クールコル(Emmanuel Courcol)とティエリー・ド・カルボニエ(Thierry de Carbonnières)。
撮影は、ヤン・マリトー(Yann Maritaud)。
美術は、ラファエル・マテ(Rafael Mathé)。
衣装は、クリステル・ビロー(Christel Birot)。
編集は、ゲリック・カタラ(Guerric Catala)。
音楽は、フレッド・アヴリル(Fred Avril)。
原題は、"Un triomphe"。

 

エティエンヌ・カルボニ(Kad Merad)が刑務所を訪れる。通行証を受け取り、電話をロッカーに預け、手荷物を検査装置に通す。看守長(Yvon Martin)がやって来て扉を開け、敷地内を誘導する。扉を開けて建物の中へ。監獄ですか? いいえ、事務棟です。通行証を見えるようにしておいて下さい。看守長はスタッフと挨拶を交わしながら構内を進んでいく。厳重な扉を抜けていよいよ収容棟に入る。看守長は通りがかりに帽子を被っている受刑者を見咎めて脱がせる。ようやくエティエンヌは自分が担当する演劇のワークショップを行う部屋に到着する。
部屋の壁には小さなホワイトボードが取り付けられている。中央に出された机の片方ではペンを手に暗記に励んでいる男(David Ayala)、もう片方の机にはアラブ系の男(Saïd Benchnafa)が腰掛けて椅子に座るアフリカ系の男(Lamine Cissokho)と雑談している。エティエンヌが声をかける。私が新たな担当だ。他の人は? 自分の独房でしょ。来るかな? 来ないでしょ。ステファンにはうんざりさせられたからさ、寓話ってやつで。お笑いがやりたいよな。スタンダップでさ。そこへ遅れて現れたジョルダン(Pierre Lottin)を皆が茶化す。ハイだろ? あの目を見ろよ。エティエンヌが自己紹介する。俳優をやっている。テレビは? 時々。見たことねーな。売れてりゃこんなとこ来ねーだろ。俺たちはスタンダップをやりたい。私は寸劇には興味が無い。芝居をやる。お笑いは? それもやる。面白いヤツかい? 時にはね。だけど緊張してるよな。いいや。儲かるの? そんなわけねーだろ、靴を見ろよ。カバンのブランドは? 支給品じゃね? もう気が済んだかな? 怒るなよ、冗談言いたいだけだからさ。君たちのスタンダップを見せてくれ。一悶着あって、パトリック(David Ayala)が立ち上がってウサギとカメを語り出すが、暗記していた台詞がすぐに出て来なくなり、周りから座れと言われる。エティエンヌはジョルダンに何かやって見せるよう求めるが、前の講師にイライラさせられて覚えていないという。
エティエンヌはワークショップの成果を披露する公演について話し合うために所長のアリアヌ(Marina Hands)の執務室にいる。以前に刑務所で働いたことが? わずかですが。どちらです? ヴォー=アン=ヴランです。刑務所はありませんね。少年院でした。同じものではありません。良い公演をして下さいね。5回の集まりは十分ではありません。容易ではないですが準備して下さい。出資者なども訪れますから。成功させて下さい。やってみます。
エティエンヌがクロワ=ルース劇場に支配人のステファン(Laurent Stocker)を訪ねた。彼はエティエンヌの同期であり、刑務所のワークショップの前任者でもある。2人は階段を上りながら話している。絶望的だ。岩みたいな連中はスタンダップをやりたがってる。やる気にさせろよ。寓話で? 寓話は偉大だよ、道徳がある。上手くいってたけどな。どうだか。文句ばっかりだな。俺が演じるなら別だがな。ロパーヒンは俺だって言っただろ。5年前はな。諸行無常。オーディションがあるんだけどな、お前が望むなら諦める。俺のところに来ないでくれるか。ステファンをエティエンヌから離れて客席を下っていき、舞台上の役者と前方の座席に着いているスタッフに声をかけ、稽古に加わる。

 

俳優のエティエンヌ・カルボニ(Kad Merad)は3年間舞台に立っていない。同期でクロワ=ルース劇場の支配人を務めるステファン(Laurent Stocker)の後任として刑務所の演劇ワークショップの講師を務めることになった。参加者はジョルダン(Pierre Lottin)、パトリック(David Ayala)、ナビール(Saïd Benchnafa)、アレックス(Lamine Cissokho)の4人だけ。ステファンとは寓話のスタンダップに取り組んでいたらしいが、ほぼ何もできない状態だった。エティエンヌは腹式呼吸の発声法から改めて指導し始める。刑務所内で行われた細やかな発表会でウサギとカメの寓話は好評を博す。2週間の指導の成果に自信を持ったエティエンヌは、所長のアリアヌ(Marina Hands)やステファン(Laurent Stocker)を説得し、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をクロワ=ルース劇場で上演することにする。かつて「ゴドー」に出演したエティエンヌは、心から出所を待ち望む日々を過ごす受刑者たちなら役者には出来ない「ゴドー」が作れるはずだと思い至ったのだ。ブルキナファソ出身のムサ(Wabinlé Nabié)や清掃を引き受けているロシア出身のボイコ(Alexandre Medvedev)を加えた座組で半年後の公演を目指す。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

舞台俳優のエティエンヌ・カルボニ(Kad Merad)は、アントン・チェーホフの『桜の園』のロパーヒン役を任せようとクロワ=ルース劇場支配人のステファン(Laurent Stocker)に言われたことを忘れず、台詞を頭に入れている。稽古でステファンが忘れて言えなかった台詞を客席に潜り込んでいたエティエンヌが咄嗟に続けるシーンで、彼が努力家であることが描かれる。だが、エティエンヌは3年間も舞台に立てていない。娘ニーナ(Mathilde Courcol-Rozès)(チェーホフの『かもめ』に因んでいる?)との会話からは、別れた妻はポール・クローデル作品で主演を務めていることが仄めかされ、エティエンヌの不遇が際立つ。そして、自分が演出した受刑者たちの『ゴドーを待ちながら』に対しては公演依頼が途切れない。遂には自分が夢にまで見た劇場の舞台に彼らは立てることになる。現実の不条理がある。
他方、受刑者は舞台の成功によって出所の機会が早く訪れることを望んでいるが、その機会は一向に訪れない。公演を重ねても処遇についての決定権を持つ判事(Catherine Lascault)が劇場に姿を現わすことは1度もない。芝居がはねて刑務所に戻れば、全身裸にされて身体検査を受け、数々のプレゼントは目の前で廃棄される。公演を重ねて評価が高まれば高まるほど、その落差は大きくなる。
刑務官は刑務官で、淡々と刑務所・劇場間の護送に関わり、劇場では公演が終わるのをひたすら待つだけである。しかも、受刑者たちが俳優として評価されて観客から万雷の拍手を受け、意気揚々と引き上げるのを見せつけられる。「思ひ上がり給へる御方方、めざましきものにおとしめ嫉み給ふ」の心境となるのもやむをえない。
待つことを強いられる囚人によってリアルになることが目論まれた演劇(劇中劇)は、待つという忍耐の崇高さと、待つことに耐えきれず逃走する人間の現実との落差によって、大団円を迎える直前に失敗に帰す。だが、その失敗により、かえってリアリティは高まり、待つことの崇高性が高められる。ベケットが『ゴドーを待ちながら』を演じた囚人たちが脱走したという事件を評価したというエピソードを最後には、ベケットからチェーホフへの転調でもある。