映画『スペンサー ダイアナの決意』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のドイツ・イギリス合作映画。
117分。
監督は、パブロ・ラライン(Pablo Larraín)。
脚本は、スティーブン・ナイト(Steven Knight)。
撮影は、クレール・マトン(Claire Mathon)。
美術は、ガイ・ヘンドリックス・ディアス(Guy Hendrix Dyas)。
衣装は、ジャクリーン・デュラン(Jacqueline Durran)。
ヘアメイクは、吉原若菜。
編集は、セバスティアン・セプルベダ(Sebastián Sepúlveda)。
音楽は、ジョニー・グリーンウッド(Jonny Greenwood)。
原題は、"Spencer"。
イングランド、ノーフォーク。農場地帯を抜ける道の並木はすっかり葉を落としている。軍のトラックが列を成してゆっくり通り抜けていく。道には車に轢かれたキジの死骸が落ちている。
クリスマス・イブ。サンドリンガム・ハウスの巨大な厨房。入ってきた軍曹が懐中電灯で室内を照らし、異常がないことを目視で確認する。運び込め。トラックから降ろしたケースを兵士たちが隊列を組んで厨房へ運び込む。
赤と緑のタータンチェックのジャケットのダイアナ(Kristen Stewart)がオープンカーで農村地帯の並木道を疾走する。
兵士たちが厨房を出て行くと、交代にコックコートの一団が厨房へ向かう。料理長のダレン・マグラディー(Sean Harris)の合図で、料理人たちは兵士が運び込んだケースから食材を取り出していく。
ダイアナは運転しながら地図を広げる。ロードサイドのカフェの駐車場にダイアナが車を乗り入れる。車を降り、ルーフを閉じると、カフェに入っていく。客もスタッフも突然のダイアナの登場に驚く。すいません。どこにいるのか分からなくなってしまいました。標識も全く見当たりません。私はどこにいるのでしょうか?
サンドリンガム・ハウスに到着したアン王女(Elizabeth Berrington)が計量のための椅子に腰掛ける。私の重量の半分は宝飾品でと彼女が言ったのを覚えていますか? 私はここにおりませんでしたが、聞いたことはございます。アリスター・グレゴリー少佐(Timothy Spall)が応じる。彼女はもう到着しましたか? まだでございます。では遅刻ですね、彼の方は早いですけど。少佐がノートにアン王女の体重を書き留める。少佐はゆっくりと窓辺に向かう。3台の黒塗りの車が入ってくるところだった。それぞれの車から降りて来たチャールズ皇太子(Jack Farthing)、ウィリアム王子(Jack Nielen)、ハリー王子(Freddie Spry)が迎え入れられる。
農道脇に車を停めたダイアナがトラクターに向かって声を挙げる。だがトラクターは通り過ぎてしまった。そこへダレンを乗せた車が到着する。ここで何をなさっているのですか? 道に迷いました。なぜご自分で運転をなさっているのですか? 車は自ら運転しませんから。運転手や警護の者はどこにいるのですか? 知りません。私はただ運転しただけです。皆さんはお揃い? 女王陛下を別とすれば。ご覧なさい。ダイアナが農場にぽつんと立っている案山子を示す。今、私はどこにいるか分かります。私たちは彼をバーティと呼んでいました。案山子の着ているのは父のコートだと思います。私たちはあの丘の向こうに住んでいました。父は農夫に古着を与えたものです。昔遊んでいた場所で道に迷ってしまうなんて。私たちは行かなければなりません。私のことを殺してしまう、そう思って? 私は確かめに行きます。何をですか? 15分でサンドイッチを出します。絶対に父の古着、間違いないわ。ダイアナは柵を越えて農場の中に入り、案山子に向かって走って行く。ダイアナは案山子に着せられていた赤いコートを脱がす。
サンドリンガム・ハウスにエリザベス女王(Stella Gonet)とフィリップ王配(Richard Sammel)が到着する。女王と王配が飼い犬とともに館内に向かう。少佐が時計を確認する。
ようやく姿を現わしたダイアナが体重を量るのを躊躇している。ゲイリーは見逃してくれました。ゲイリーとは、女王陛下のことでございますか? 少佐が尋ねる。侍従です。私はふだん体重を量るようなことはしません。私の半分は宝飾品ですから。そのように私はいつも言っています。違いますけどね。冗談です。陛下ご自身がほんの少し前までこの体重計に乗っていらっしゃいました。陛下は皆が計量するよう強く望まれております。以前にあなたに会ったことがないと思う。今回が初めてのサンドリンガムの勤務でございます。全員が計量するように取り計らいます。分かりました。ダイアナが計量のために椅子に腰を降ろす。ここを離れる前に体重が3ポンド増やさなければいけないわ、クリスマスを楽しんだ証として。それが伝統でございます。始められたのは1847年のアルバート公でございます。できることをします。約束はできないけれど。いつでも追いつこうとしているわ。
王室一家はクリスマスをノーフォークにあるサンドリンガム・ハウスで過ごすのが恒例となっている。アン王女(Elizabeth Berrington)、チャールズ皇太子(Jack Farthing)、ウィリアム王子(Jack Nielen)、ハリー王子(Freddie Spry)ら王族が次々とサンドリンガム・ハウスに集まる中、ダイアナ(Kristen Stewart)が姿を現わさないことに、3日間のクリスマス行事を差配するアリスター・グレゴリー少佐(Timothy Spall)が気を揉んでいた。ダイアナは警護を付けず1人車でロンドンからサンドリンガム・ハウスに向かい、附近で迷子になっていた。探しに出た料理長のダレン・マグラディー(Sean Harris)は、ダイアナの生家であるスペンサー家の地所で彼女を発見する。ダイアナは農地に立つ案山子を見て、そこにかかっていた赤いジャケットが父の古着であると取りに向かう。ダイアナはエリザベス女王(Stella Gonet)とフィリップ王配(Richard Sammel)よりも遅れてサンドリンガム・ハウスに到着することになった。。計量を終え、息子たちに再会する。軽食を取る時間だと促されるが、ダイアナは息子たちを先に向かわせ、自らは洗面所に閉じこもり、吐瀉する。ダイアナは通路で唯一心を許せる、衣装係マギー(Sally Hawkins)に出会し、喜ぶ。ダイアナは赤いジャケットを繕うようマギーに頼む。
クリスマスの3日間のエピソードを描くことで、ダイアナにとっての王室生活が耐え難いものであり、そこから解放されようと藻搔く姿が、様々なメタファーや、幻覚や妄想の表現も用いて説得的に描かれる。
運転していて迷いどこにいるか分からなくなったダイアナは、王室に嫁しアイデンティティーを喪失した彼女の姿である。案山子が象徴するスペンサー家という出自が、彼女の道標となる。
冒頭に登場する、車に轢かれたキジの死骸は、交通事故で亡くなったダイアナの行く末を象徴する。のみならず、王室の狩猟行事のために飼われたキジは、王室のために撮影(shoot)の標的とされるダイアナその人であり、彼女は王家から飛び立つ選択をすることになる。
夫のチャールズ皇太子がカミラ・パーカー・ボウルズ(Emma Darwall-Smith)と不倫していることが、窮屈な王室の生活を耐え忍ぶダイアナの神経に障っている。とりわけチャールズがカミラに贈ったものと同じ真珠のネックレスがクリスマス・プレゼントとして渡されたことがダイアナには耐え難い。ネックレスは首輪ないし首枷としてダイアナを縛り、ダイアナはそれを引き千切ろうと必死になる。
サンドリンガム・ハウスのダイアナの寝室の鏡台には、アン・ブーリン(Anne Boleyn)の伝記(Phillip W. Margateの"Anne Boleyn: Life and Death of a Martyr"。架空の書籍か。)が置かれている。ダイアナとチャールズの関係を、アン・ブーリンとヘンリー8世に擬えるものである。
ダイアナはアン・ブーリン(Amy Manson)の幽霊(specter)に悩まされることになる。おそらくSpencer(スペンサー家)とspecter(幽霊)とがかけられている(荒廃したスペンサー家の屋敷が「幽霊」屋敷として描かれることから間違いない)。
子供の頃に過ごしたスペンサー家の地所に立つ案山子(scarecrow)には、父の古着の赤いジャケットが着せられている。ダイアナは赤いジャケットを取り、マギーに繕わせる。孤立する案山子はダイアナの姿そのものである。サンドリンガム・ハウスに入る際に計量する伝統を描き、あるいは衣装係にダイアナが痩せたと語らせるのは、痩せて見窄らしい人(scarecrow)として、ダイアナと案山子との重なりを強調するためだろう。
暖房の無い、寒いサンドリンガム・ハウスは、ダイアナにとっての王室を象徴する。
Kristen Stewartが精神的に追い詰められたダイアナを演じて魅力的かつ説得的で、間違いなくKristen Stewartあっての作品である。