可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』

ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』早川書房(2020)を読了しての備忘録
Delia Owens, 2018, "Where the Crawdads Sing"
友廣純訳

1969年10月30日の朝、バークリー・コーヴの村の保安官エド・ジャクソンのもとに地元の少年ベンジー・メイスンとスティーヴ・ロングが駆け込んでくる。立ち入り禁止の火の見櫓に遊びに出かけたところ、沼地にチェイス・アンドルーズの死体が横たわっているのを発見したという。エドは医師のトクタ・ヴァーン・マーフィーとともに現場に向かうと、果たして少年たちが訴えた通りであった。チェイスは火の見櫓から転落し、死後10時間は経過していることが分かった。問題は、チェイスのものも含め、発見者以外の足跡が1つも残っていないことだった。

 湿地は、沼地とは違う。湿地には光が溢れ、水が草を育み、水蒸気が空に立ち昇っていく。緩やかに流れる川は曲がりくねって進み、その水面に陽光の輝きを乗せて海へと至る。いっせいに鳴きだした無数のハクガンの声に驚いて、脚の長い鳥たちが――まるで飛ぶことは苦手だとでもいうように――ゆったりとした優雅な動きで舞い上がる。
 そして、その湿地のあちこちに、本当に沼地と呼べるものがある。じめじめした木立に覆い隠され、低地に流れ込んだ水が泥沼を作っている。泥だらけの口が日差しを丸呑みにするせいで、沼地の水は暗く淀んでいる。夜に活動する大ミミズでさえ、この隠れ家では昼のあいだも動きまわる。もちろん無音というわけではないが、沼地は湿地と比べて静かでもある。分解は細胞レベルの現象だからだ。生命が朽ち、悪臭を放ち、腐った土くれに還っていく。そこは再生へとつながる死に満ちた、酸鼻なる泥の世界なのだ。(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.7)

物語は、1952年、湿地で暮らす6歳の少女カイアの母親が蒸発するところから始まる。1度だってドアを乱暴に閉めたことのなかった母親が、力任せに玄関の網戸を閉めて出て行った。珍しくワニの靴を履き、旅行鞄を持った母親は、小屋から延びる小道が通りにぶつかるところでいつものように振り返って手を振ることもしなかった。数週間経つと、一番上の兄と2人の姉たちもいつの間にか姿を消した。一家は第二次世界大戦に従軍して負傷した父の障害者手当を頼りに生活していたが、酔っ払っては暴力を振う父親に耐えられなくなったのだ。年が近く一番親しい兄ジョディ――彼は湿地に関する様々な知識を授けてくれた――も、別れこそ告げてくれたもののカイアを連れず立ち去ってしまった。父親と湿地に取り残されたカイアは、父と接触しないよう細心の注意を払いながら自活する。

 母さんはいつも、カイアの誕生日には秋の満月がお祝いにやって来ると言っていた。だから、自分が生まれた日付は思い出せなくても、潟湖から真ん丸に膨らんだ金色の月が昇ったある晩、カイアはこうつぶやいた。「わたしは7歳になったはず」父さんはまったくそのことに触れなかった。もちろんケーキもなかった。学校に通うことについても、何かを口にする気配はなかった。学校のことはよく知らなかったが、カイアはその話題が出ることを恐れていた。
 母さんもカイアの誕生日にはきっと戻ってくるはずなので、収穫期のその月が出た翌朝、カイアはキャラコの生地のワンピースをまとい、家の小道に視線を定めた。心のなかでは懸命にこう願っていた。母さんが小屋に向かって歩いてきますように。ロングスカートにワニの靴を履いたあの姿が、また現れますように。やがて、誰もやって来ないと悟ったころカイアはトウモロコシ粉の入った鍋を手にして林の先の海岸へ行った。口に両手をあて、頭をのけぞらせて呼びかけた。「キーヨ、キーヨ、キーヨ」頭上高く、浜辺の空に、波の向こうに、銀色の輝く小さな点が現れた。「ほら来た。あんなに高く、あんなにたくさん飛んでちゃとても数えられないけど」カイアはひとりつぶやいた。
 高く低く鳴き声を響かせ、カモメたちが輪を描くように降下してきた。そして、カイアの目の前を飛び交い、トウモロコシ粉を放ってやると浜に降り立った。それからしばらくすると、鳥たちは静かにその場で羽を繕うようになった。カイアも膝を横に崩して浜辺に坐った。傍らに大きなカモメが寄ってきて、そこに居場所を定めた。
 「今日はわたしの誕生日なの」カイアは鳥にささやきかけた。(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.31-32)

無断欠席補導員のサリー・カルペッパーに連れられて学校に向かったが、1日で笑いものにされる屈辱に打ちひしがれた。ふだん口にできない類の食べ物が供される給食でさえカイアを学校に足を向けさせる力は微塵も無かった。カイアが学校に通うことは二度と無かった。

父親の不在の隙に、父親のボートに乗る。ジョディの言葉を頼りに操舵したが、帰りのルートが分からなくなってしまう。帰れなくなって困っているとボートに乗って釣りをしている少年に遭遇する。男には注意しろと姉たちに言い聞かせていた母の言葉が脳裡によぎる。

「やあ」彼が言った。
「こんにちは」カイアは少年の肩越しに葦の茂みを見詰めていた。
「ところでどこへ行ってたの?」彼が訊いた。「海に出たんじゃないかと心配したよ。嵐が近づいているからね」
「出てない」視線を水面に落として答えた。
「大丈夫?」
 泣きたい衝動が喉にこみ上げてきて、必死でそれを抑えた。黙って頷くことしかできなかった。
「迷ったの?」
また首を縦に振った。女の子ぶって涙を見せるつもりはなかった。
「そうか。ぼくもしょっちゅう迷うんだよ」そう口にして、彼が微笑んだ。「ねえ、きみのことを知ってるよ。ジョディ・クラークの妹だろ」
「まえはね。兄さんは出てったの」
「それでも、きみはジョディの……」彼はその先を続けるのをやめたようだった。
「なぜわたしのことを知ってるの?」カイアはちらりと目を動かし、少年に鋭い視線を向けた。
「ジョディと釣りをしたことがあるからね。きみにも何度か会ったことがあるよ。まだ小さかったけど。きみはカイアだろ?」
 自分の名前を知っている人がいる。カイアはあっけに取られた。何かにつなぎ止められたような、何かから解き放たれたような感じがした。(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.64-65)

釣りをきっかけに情愛ある父娘関係が成り立った時期が束の間あった。だが間もなく父親は酒浸りになって家を空ける時間が長くなり、カイアが10歳の時、遂に家に戻らなくなった。収入の道を断たれたカイアを救ったのは、船着き場の燃料店「ガス&ベイト」の店主ジャンピン。彼はカイアを娘のように扱い、貝を買い取って、ボートの燃料の他、食料や日用品を買えるようにしてやった。また、ジャンピンの妻メイベルも衣類や靴などをカイアに援助してくれた。

14歳になったカイアは、いつものようにジャンピンに売るための魚を釣ろうとしていて、辺りにいつか道に迷ったカイアを導いてくれた年上の男の子を気配を感じた。カイアは身を潜め、彼の追跡を躱す。

「あの男の子がこそこそ嗅ぎまわるせいで、燻製用の魚が1匹も釣れなかったじゃない」
 空き地の真ん中には朽ちて倒れた木の株があり、苔に厚く覆われたその姿は、マントの下に隠れているお爺さんを連想させた。カイアはそちらに近づいていったが、途中ではたと足を止めた。株のなかに、長さ15センチほどの黒くて細い羽根がまっすぐ立っていたからだ。たいていの人にとって、それはありふれたカラスの羽根が何かに見えるだろう。けれどカイアは、その羽根がとても素晴らしいもので、オオアオサギの“眉”だということに気が付いた。目の上で緩やかな曲線を描いて立ち上がり、優雅な頭部のうしろまですらりと伸びている羽根だ。この海岸湿地で見つかる落とし物のなかで、いちばん魅力的なものと言ってもいい。カイアはまだ1度も発見したことがなかったが、それでもひと目で正体がわかったのは、これまでずっとサギたちに目線を合わせて生きてきたからだった。
 (略)
「なぜ羽根が木の株にまっすぐ立ってるの?」そうささやきながら、カイアはあたりを見渡した。「きっとあの男の子が置いたんだ。いまもこっちを見てるのかも」息を詰めて立っていると、また鼓動が大きくなってきた。羽根には手も触れずにその場を離れ、小屋まで走って帰った。そして、たいして身を守る効果はないと知りつつも、久しぶりにポーチの網戸に鍵をかけた。
 けれど、木々のあいだに夜明けの気配が漂いはじめたころには、カイアの頭は羽根のことでいっぱいになっていた。せめてもう1度見てみたい。カイアは朝日が出るのを待って空き地に走り、周囲をじっくり確かめたところで、木の株に近づいて羽根を手に取った。すべすべとして、ヴェルヴェットのように滑らかだった。小屋にも戻ったあと、カイアはそれを飾るべき特別な場所を見付つけた。翼のように広げて壁に留めてある羽根のコレクション――小さなハチドリの羽根から大きなワシの尾羽まである――その真ん中がふさわしい。ただ、なぜ男の子が自分に羽根をもってくるのかはよくわからなかった。(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.123-124)

カイアは株に羽根のお返しをすることで、年上の男の子――兄ジョディの友人テイト――との中を少しずつ深めていく。

 (略)一方がそこに何かモノを置き、退く。そこへ他方がやって来て確認し、気に入ればそれを持っていって、別のモノを置いて去る。いっさいの言語的コミュニケーションも身体的接触も欠いたこの交換行為は、しかし、モノの有用性や経済的価値が交換条件にはなく、むしろ、交換による暗黙のコミュニケーションへの信頼が前提とされている、という点で、等価交換の展開としての近代市場経済の原理が成立する地平とは、別種の認識の地平を指向している。何か異なるものが、自らのテリトリーに寄りつく。その偶然と必然を、1つの「信」の構造へと変換してゆこうとする心意が、こうした沈黙交易の根幹にある原理だとすれば、それはむしろ贈与行為の延長線上にある、すぐれて反市場主義的な実践であるというべきだろう。(今福龍太『群島-世界論[パルティータⅡ]』水声社/2017/p.56-57)

沈黙交易を介して信頼を置いたテイトから、カイアは読み書きを教わることになる。

 やがて、彼が言った。「アルファベットの練習をたくさんすることだ。覚えるまでちょっと時間がかかるだろうけど、少しならもう読めるはずだよ。試してみよう」テイトは文法の読本をもっていなかったので、カイアが初めて読む本は、彼の父親の蔵書であるアルドレオポルドの『野生のうたが聞こえる』になった。彼が冒頭の1文を指し示し、声に出して読んでみるように言った。最初の単語は"There"で、カイアは何度もアルファベットを確かめてそれぞれの音を練習しなければならなかった。それでも彼は根気強くそれに付き合い、"th"の発音は特殊だということを説明した。ついにその音を出せたとき、カイアは思わずばんざいをして声を立てて笑った。テイトもにこやかな顔でその様子を見守っていた。
 少しずつではあるが、その文に含まれる言葉が明らかになっていった――「世のなかには野生から離れて生きられる者もいれば、生きられれない者もいる」
「わぁ」カイアの口から驚きの声が漏れた。「すごい」
「ほら、読めるじゃないか、カイア。文字が読めないころのきみはもういないよ」
「それだけじゃないの」カイアの声はささやきに近かった。「気づかなかった。言葉がこんなにたくさんのことを表せるなんて。ひとつの文に、こんなにいっぱい意味が詰まっているなんて」
 テイトは微笑んだ。この文章がいいんだ。それほど意味が込められていない言葉だってあるよ」(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.144-145)

学校や図書館の本を教材にカイアの読書能力は急速な成長を遂げる。とりわけ生物学の知見はカイアの実地の体験から抜きん出ていた。もっとも、生物学が「なぜ母親が子を置き去りにすることがあるのか」との疑問に答えてはくれなかった。
4歳年上のテイトとの関係も師弟から次第に変化していく。だが、15歳の少女に対してテイトが一線を越えることは無かった。大学進学準備のためテイトはカイアのもとを離れる。1ヶ月後の独立記念日に必ず戻るとカイアに告げたテイトだったが、彼がその約束を守ることはなかった。

 虚ろな頭で、自分の何が原因でみんなが離れていってしまうのだろうと考えた。母親も、姉たちも、家族みんなが去った。ジョディも消え、今度はテイトまで。いちばん心に焼きついているのは、日付はわからなくとも、家族が小道の向こうに消えた日のことだった。木の葉のすき間に揺れていた白いスカーフ。ポーチのマットレスに置かれていたわずかな靴下。
 テイトと生活と愛は、もはやひとつになっていた。けれど、そのテイトももういない。
「どうしてなの、テイト? なぜ?」カイアはシーツに顔を埋めてうめいた。「あなたは違うはずだったじゃない。そばにいてくれるはずだった。愛してると言ったのに。そんなものは存在しないのね。信用していい人なんて、子の世にはひとりもいないんだわ」カイアは心のどこかずっと奥のところで、もう二度と誰かを信じたり愛したりしないと自分に誓った。(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.200-201)

深い孤独に沈み1人湿地に暮らすカイアは、いつしか極めて魅力的な19歳の女性へと変貌していた。バークリー・コーヴではホワイト・トラッシュ(貧乏白人)の「湿地の少女」と蔑まれてきたが、村1番のプレイボーイ、チェイス・アンドルーズは美しいカイアを目にすると、彼女に触手を伸ばさずにいられなかった。途方もない寂しさを抱えるカイアに彼からのアプローチに抗う術は無かった。

湿地はカイアそのものである。美しい彼女には孤独という深い深い沼地が存在する。孤独の闇が濃いほどに美は輝きを増すのである。
カイアの暮らす小屋は木に覆われた暗い沼地であった。その沼地に、カイアが鳥の羽根などのコレクションを飾り付けることで、空を持ち込み光をもたらす。いつしかカイアの小屋は湿地となる。だがそこには沼地もまた存在するだろう。

「湿地の少女」は明らかに魔女である。例えば、次の箇所は明らかに魔女のイメージを呼び込んでいる。

 学校へ行った日から数週間が過ぎたある朝、ぎらぎらと白い日差しが照りつける浜で兄さんたちの基地によじ上ったカイアは、どこかに髑髏の旗を垂らした帆船はないかと視線を巡らせた。想像力は孤独という土に育つと言うが、それを裏付けるかのように、カイアは大声で叫んだ。「おーい! 海賊が来たぞ、おーい!」それから剣を振りまわし、攻撃を仕掛けるべく木から飛び降りた。その瞬間、激痛がカイアの右足を撃ち抜き、燃え広がる火のように脚を駆け上がってきた。膝が崩れて横倒しになり、たまらずカイアは金切り声を上げた。見ると、脚の裏に深々と錆びた長い釘が刺さっていた。(略)
 “どうにかしなくちゃ。黙って父さんを待っていたんじゃ、絶対に口が固まっちゃう”顔に大粒の汗をかきながらよろよろと浜辺を横切り、小屋の裏手にあるオークの林に入ると、いくらか暑さが和らいだ。
 母さんはいつも傷口を塩水に浸し、薬になるものを色々と混ぜ込んだ泥でそこを覆っていた。だが、キッチンには塩がなかったので、そのまま足を引きずって林を進み、海水と淡水が混じった泥の小川があるところへ行った。そこの水は干潮時にはとても塩辛くなり、川べりには白い結晶がぎらぎらと光った。地面に腰を下ろすと、カイアはその水に足を浸けた(略)(ディーリア・オーエンズ〔友廣純〕『ザリガニの鳴くところ』早川書房/2020/p.47-48)

高い位置からジャンプするという飛翔行為、自然の力を利用して怪我に対処する治療行為などは容易に魔女を連想させる。のみならず、魔女とは、権威や権力に盲従しない者である。とりわけ男性(の支配)に膝を屈しようとしない女性のことである。バークリー・コーヴの村(村人たち)の権力を象徴する学校に登校せず、「兄さんたち」の基地に陣取るカイアは、まさに男性の支配に抗っているのである。無論、彼女の足に刺さる釘は、魔女狩り魔女裁判による処断)のメタファーに他ならない。バークリー・コーヴの村人たちは彼女を捕え死刑を宣告すべく法廷に引っ立てることになるだろう。

謎を冒頭に配し最後の最後まで宙吊りにする(suspend)サスペンス。科学的知見を織り込みながら語られる自然についての巧みな描写と所々に織り込まれた詩篇は単に作品を彩るものではなく、それ自体が作品に不可欠の骨格となっている。それがベストセラーたる所以なのだ。

湿地に落ちている羽根や海岸で拾う界は言葉のメタファーである。彼女が小屋に飾る羽根や貝のコレクションは、拾い集めた美しい言葉を組み合わせた詩に他ならない。カイアは言葉を知らずして既に詩人であった。

本作に関心を持たれた向きには、是非、アンソニー・ドーア(Anthony Doerr)の『すべての見えない光(All the Light We Cannot See)』をお薦めしたい。同作の主人公マリー=ロール・ルブランと本作のカイアとの共通点に気付くだろう。