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芸術鑑賞の備忘録

映画『ザリガニの鳴くところ』

映画『ザリガニの鳴くところ』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
125分。
監督は、オリビア・ニューマン(Olivia Newman)。
原作は、ディーリア・オーエンズ(Delia Owens)の小説『ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)』。
脚本は、ルーシー・アリバー(Lucy Alibar)。
撮影は、ポリー・モーガン(Polly Morgan)。
美術は、スー・チャン(Sue Chan)。
衣装は、ミレン・ゴードン=クロージャー(Mirren Gordon-Crozier)。
編集は、アラン・エドワード・ベル(Alan Edward Bell)。
音楽は、マイケル・ダナ(Mychael Danna)。
原題は、"Where the Crawdads Sing"。

 

繁茂する茅が風に靡き、波が寄せる。水辺のあちらこちらから鳥の鳴き声が聞こえる。1羽の鳥が草の中からゆっくりと舞い上がり、湿地の上空を羽ばたいていく。
湿地は沼地とは違う。湿地は光の空間、草が水の中で生長し、水は空へと流れ込んでいく。
海岸へ出た鳥は旋回し、鬱蒼とした樹木に覆われた水辺へと向かい、枝に降り立って羽を休める。
湿地の中には、所々に本当の沼地を抱えている。沼地は死を知っていて、必ずしも死と悲劇とを同じものだとは捉えない。
1969年10月30日。ノースカロライナ州バークリー・コーヴ。ベンジー(Wyatt Parker)とスティーヴン(Payne Bosarge)が湿地に広がる森の中を自転車で疾走する。火の見櫓まで来たとき、少年たちは沼に仰向けに倒れた死体を目撃する。
青いピックアップトラックに乗った保安官のジャクソン(Bill Kelly)が保安官補のパーデュー(Jayson Warner Smith)とともに現場を訪れる。チェイス・アンドリュース(    Harris Dickinson)は見識を備えた人物だと思ってたがな。この町で最高のクォーターバックだった。ジャクソンは遺体を確認する。パーデューは遺体の周辺の地面を注視し、少年たちに尋ねる。この足跡は君たちのもの? はい、そうです。保安官たちは泥濘んだ地面を眺める。チェイスの足跡はどこにあるんだ? 2人は火の見櫓の階段を昇っていく。おかしな事を思いついたり酔っ払って無敵だと思うガキもいるからな。チェイス・アンドリュースはもうガキじゃなかったさ。2人は見張り台に到達する。これを見てくれ。床の鉄格子の1枚が外されていて、そこから沼地の死体が見えた。彼は自分で開けたんだろうか? やはり事故だったんだろう。
監察医のオフィスをジャクソンとバーデューが訪れている。チェイス・アンドリュースの頭部レントゲン写真を前にコーン博士(Joe Chrest)が所見を述べる。死亡時刻は午前0時から午前2時。死因は高さ63フィートの位置からの落下による衝撃。あなた方が櫓の梁から血液と毛髪を採取したことから、それが第一次創傷の原因と推定します。簡単に言えば、見張り台からの落下中に後頭部を強打したということです。梁に後頭部をぶつけるためには後ろ向きに倒れなければなりませんね? その通り。だったら彼は押されたのかもしれない。手摺にも格子にも指紋がないんです。指紋が無い? チェイスのものも? 指紋も他の痕跡も一切。上着に赤い繊維があります。コーン博士がビニール袋をジャクソンに渡す。アトランタからの鑑識報告によれば、彼の衣類のものではありませんでした。ウールですか。セーターやスカーフの可能性がありますね。何でも構いやしない。見付けなきゃならん。
夜。ドッグゴーン食堂。カウンターでモーズリー(Charlie Talbert)が連れのレーン(Charley Vance)とチェイス・アンドリュースについて話しながら食事を取っている。美人のかみさん、仲良し家族、チェイスを殺したがる奴なんて思いつかねえよ。何言ってやがる、チェイスがどんな奴か分かってるだろ。盛りの付いた雄牛じゃねえか。フランク、死んだ奴を悪く言うもんじゃねえ。喋ってるだけさ。2人の隣に男(David Strathairn)が坐る。ミルトンさん。ウェイトレス(Grace Hinson)が声をかける。こんばんは、サンディー。いつものブランズウィック・シチュー? 別のカウンターに、ジャクソンとバーデューが坐り、客たちの会話に聞き耳を立てている。フランクがミルトンに尋ねる。チェイス・アンドリュースの事件をどう思う? 引退しましたから、もう私が関わることじゃありませんよ。持ち帰りの食事ができるのを待っていたパンジー(Sharon Landry)が首を突っ込む。湿地にいる女だったんじゃない? 精神病院送りにふさわしいもの。こんなこと企みそうじゃない。「湿地の少女」が謎を埋める鍵だって兄が言ってたわ。持ち返りの商品をパンジーに渡しながらサンディーも同調する。哀れなチェイス・アンドリュースが湿地で何してたって知ってるでしょ。チェイス・アンドリュースと「湿地の少女」のこと? 自業自得ってことじゃなければいいけどね。パンジーは紙袋を手に店を出て行く。本当のところ何があったと思う、フランク? 「湿地の少女」がチェイスを殺したって思うか? 分からねえよ。真相は明らかになるだろうさ。
早朝。薄暗い湿地の森に青いピックアップ・トラックが停まる。ジャクソンとバーデューが降りて「湿地の少女」の小屋に向かう。ポーチには紐で吊された貝や羽根が飾られている。この羽根やら何やらを見ろよ。バーデューが驚嘆する。彼女は科学者なのかそれとも魔女なのか? ジャクソンはドアをノックし、声を掛ける。クラークさん? 反応は無い。窓越しに中を覗いていたバーデューが何かを見付ける。令状を取れるぞ。緊急捜索差押えの要件は満たしてる。相当の理由も。鍵は掛ってないだろう。ジャクソンはドアを開けてバーデューを中に通す。バーデューは赤い毛糸の帽子を取って来る。近くの茂みに隠れていた「湿地の少女」カイア・クラーク(Daisy Edgar-Jones)は2人が立ち去るのを確認して一息つく。
霧のかかる湿地をカイアがボートで移動しているのを、ジャクソンが発見する。保安官たちの2艘のボートがカイアを追う。カイアはボートを降りて湿地を走り、さらに水に飛び込む。だがボートに先回りされて、カイアはジャクソンによって捕まる。
カイアを乗せたパトカーがサイレンを響かせ町の通りを走る。「湿地の少女」に気付いた人々がチェイス・アンドリュース殺しの犯人だと口々に罵声を浴びせる。
カイアは収監される。狭い独房の高い位置にある窓からは辛うじて空が見える。カイアがベッドの上で膝を抱え坐っていると、ネコの鳴き声がする。サンデー・ジャスティス、どこへ行ったんだ? 看守のジェイコブ(Ron Flagge)の声が聞こえる。ネコはカイアの独房にするりと入り込む。行かないで。カイアが囁くようにネコに声をかける。ネコはベッドに上がり込む。
カイアがベッドにネコと寝ていると、ジェイコブが白髪の紳士を伴って現れる。クラークさん? トム・ミルトン、弁護士です。入ってよろしいかな? チェイス・アンドリュー殺しで収監されているのはお分かりですね。私は自らあなたの弁護を申し出ました。あなたはこれまで裁判に巻き込まれることはなかったですから、法廷や裁判や訴訟関係者について説明しますよ。それで、連絡を取りたい家族はおありかな? 家族の話題を振られたカイアの表情は一段と悲痛の度を増す。クラークさん、なんと言ったらいいでしょうか…。私はあなたがキャサリン・ダニエル・クラークだと知っていますがね、バークリー・コーヴの人々はその名前で呼びません。「湿地の少女」と呼んでいます。審理が始まったら、そのようにしか知らないバークリー・コーヴの住人たちが陪審員として評決を下すんです。本当のあなたを知っているかどうかに拘わらずにね。私だってあなたのことを知らないままでは救うことはできません。少しでも…。トムはカイアが殻に閉じ籠もったままでいるので一旦説得を諦めることにする。暫くしたら再び訪れますから、ぜひ検討しておいて下さい。これは差し入れです。トムはカイアに青い表紙の本を差し出すと、看守を呼ぶ。カイアが開くと、それは貝類の図鑑だった。貝殻の中に閉じ籠もっている生き物の存在を人々は忘れます。私もかつては家族がいました。カイアと呼ばれてました。
1953年。幼いカイア(Jojo Regina)が水面に浮かぶ白い羽を拾う。鶏が放し飼いになっている小屋の前では、母親(Ahna O'Reilly)が周囲の風景を描いている。カイアも隣で拾ったばかりの白い羽を描き出す。夜。カウチで母親にペディキュアを塗ってもらい、母親に擽られてカイアは喜ぶ。昼間、カイアの兄ジョディ(Will Bundon)のもとにテイト(Luke David Blumm)が釣りに誘いに来る。あまり時間がねえんだ。母親が「ねえ」は正しいこと遣いじゃないわと指摘する。カイアがボート乗って揺らして遊んでいると、父親(Garret Dillahunt)がものすごい剣幕で出て来る。何度言ったら分かる、ボートで遊ぶなと行ったろ! まっすぐカイアのもとに向かった父親はカイアを叩いてボートから水面に落とし、引っ張り上げて無理矢理家に連れて行く。尊敬することを学べ、聞いてるのか! テイトが父親に体当たりして倒す。彼女を傷つけるな! カイアがテイトを押し止める。父さんのことは放っておいて! 慌てて駆け付けた母親を父親が渾身の力で殴り倒す。母親は顔から血を流して倒れる。夜、カイアが寝ていると、父親が暴れているのが聞こえてくる。翌朝、父親テーブルで酔いつぶれている隙に、母親が旅行鞄を抱えて静かに家を出て行った。カイアが後を追うが、母親は振り返ることは無かった。母親は2度と戻って来なかった。そして他のみんなも同じようにすぐに出て行った。兄のマーフ(Toby Nichols)が去り、数ヶ月後、姉のマンディ(Adeleine Whittle)とミッシー(Emma Kathryn Coleman)。そして最後にジョディーが。僕は行かなきゃ、カイア。もうここには住めない。ママがよく言っていたように、困ったことがあったら走って湿地の奥深くに隠れるんだ、ザリガニの鳴くところまでね。

 

1969年10月30日。ノースカロライナ州バークリー・コーヴ。湿地でチェイス・アンドリュース(Harris Dickinson)の死体が発見された。火の見櫓からの転落事故とも思われたが、現場を調査した保安官のジャクソン(Bill Kelly)と保安官補のパーデュー(Jayson Warner Smith)は、足跡や指紋などが一切残されていないことから他殺の線で捜査を開始する。資産家の息子でアメリカンフットボールの選手としても知られていたチェイスの死は町を揺るがす事件となる。湿地に一人暮らしをしていて「湿地の少女」と呼ばれこれまでも様々な噂が取り沙汰されていたキャサリン・ダニエル・クラーク(Daisy Edgar-Jones)を人々はチェイスの死と結び付けた。ジャクソンとパーデューが「湿地の少女」の暮らす小屋に向かうと、赤い毛糸の帽子が見つかった。チェイスの遺体に残されていた赤い毛糸と一致するものだった。キャサリンは殺人容疑で逮捕され、収監される。弁護士を引退していたトム・ミルトン(David Strathairn)は、幼い頃から人々に差別されてきたキャサリンを救うため、自ら弁護を申し出る。接見に監獄を訪れたトムがキャサリンに貝類図鑑をプレゼントすると、キャサリンは、私にも家族がいたと、自らの生い立ちを語り始めた。

トム・ミルトンやメイベルに原作の複数のキャラクターを重ねるなどして、エピソードを圧縮し、2時間強の中にまとめ上げている。
母親や兄弟、さらには父親が去ってしまい、カイアは1人湿地に取り残される。母親がいつ戻ってきてもいいように甲斐甲斐しく家事に精を出す幼いカイアの姿が原作では印象的であった。また、年が近い兄ジョディーとは戦友のようであった。孤独を生き延びるために、母親やジョディーとの思い出と、何より鳥たちを始めとする湿地の生き物たちとの交感が心の支えとなっていた。物語を描ききろうと矢継ぎ早にエピソードを盛り込もうとしたために、カイアの孤独の深さが霞んでしまったのは残念である。底なしの孤独が、テイトの存在を輝かせ、また彼の裏切りによって孤独は一段と深められることになるのである。そこにこそチェイスが入り込む余地が生じる(但し、実はチェイスの存在は幼い頃からカイアを捉え続けている)。
詩や生物学についても端折られている。但し、生物学的な知識については会話の中に一部織り込まれている。
カイアを母親がお迎えに来るという表現は映画ならではだろう。
母親のドレスやカバンの青をカイアが引き継いで、青い衣装を身につけている。また、カイアが父からもらった緑色のカバンをずっと大切に使っているという設定も加えられていた。
嬉しかったのは、保安官補のパーデューに"She a scientist or a witch?"という原作にはないセリフが加えられていたこと。やはり魔女のイメージを作品に読み込む人はいるのだなと。