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芸術鑑賞の備忘録

映画『ロストケア』

映画『ロストケア』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
114分。
監督は、前田哲。
原作は、葉真中顕の小説『ロスト・ケア』。
脚本は、龍居由佳里と前田哲。
撮影は、板倉陽子。
照明は、緑川雅範。
録音は、小清水建治。
美術は、後藤レイコ。
衣装は、荒木里江。
装飾は、稲場裕輔。
ヘアメイクは、本田真理子。
音響統括は、白取貢。
音響効果は、赤澤勇二。
編集は、高橋幸一。
音楽は、原摩利彦。

 

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(『マタイによる福音書』第7章第12節)
長野県八賀市。坂の上のアパートメントハウスの前に長野県警の車が停まり、野次馬が集まっている。1台のタクシーが近くに停車し、黒いロングコートに赤いマフラーを巻いた大友秀美(長澤まさみ)が降りてくる。警察官が捜索する室内に入ると、秀美はマフラーで鼻を塞がずにいられない。物が散乱し、ゴミ袋が山積みになっている。警察官が黒い袋に入れて遺体を運び出す。万年床には黒いひとがたがはっきりと残り、その傍らに1枚の写真が置かれていた。秀美はその光景に目を奪われ身動きできない。
ケアセンター八賀の白いヴァンが坂道を下る。1軒の民家の前に来ると、斯波宗典(松山ケンイチ)が手際よくバックさせ車を停める。車から降りて玄関で元気に挨拶するのは入社3ヶ月の足立由紀(加藤菜津)。梅田さん、ケアセンター八賀から来ました! 合鍵を使い家に入る。斯波と猪口真理子(峯村リエ)も続く。室内は食器や衣類などが散らかっている。斯波です。声をかけながら家の中を見回ると、梅田老人が這っていた。大丈夫? 痛いとこない? 斯波がベッドに座らせる。猪口が血圧を測ると188の94。お風呂無理そうだから清拭にしましょう。さっぱりしましょうね。バスタオルを掛けて服を脱がせる。そこへ梅田美絵(戸田菜穂)が慌てて入ってくる。すいません、遅くなりました。よろしくお願いします。美絵はすぐさま食器を片付けようとして転倒する。大丈夫ですか? すいません。美絵は何かと謝る。
梅田家からの帰り。梅田さんとこの娘さん、やばいね。猪口が切り出す。育ち盛りの子供が3人、夜は旦那さんの店の手伝い、それに父親の介護だからね。お店って? たしか駅前の焼き鳥屋。…あれ、三浦さんじゃない? 老女が一人歩いているのを見付ける。猪口さん、運転お願いします。斯波は三浦老人が車を嫌がるからと歩いて連れ帰るために車を降りる。運転を代わった猪口に足立が言う。斯波さんすごいですよね。本当、偉いよね。あの優しさは苦労してきてるからでしょ。何があったんですか? 知らないけどさ、あの若さで髪の毛真っ白だから苦労してるんでしょ。
3年は入れて。3年は入れて。長野地検八賀支部。窃盗で送検された川内タエ(綾戸智恵)が検事の大友秀美に刑務所に入れてくれと訴えている。大友は冷静に自立を促すが、検察事務官の椎名幸太(鈴鹿央士)など離れた場所に坐りながらも川内に気圧されながらラップトップに向かっている。3度の食事、風呂に寝床。しかもリウマチになったら医者に診てもらえんねん。娑婆じゃ身よりも金もない年寄りなんて相手にされへん。どっかに火つけんとあかんか、人刺すとか…。
ケアセンター八賀。センター長の団元晴(井上肇)が電話を受けている。…朝の8時から、対応可能ですが、いつもと違うスタッフでよろしければ…。訪問先から戻ってきた斯波が足立に合鍵の返却場所を指示していると、団から明日の晩に行われる羽村さんのお通夜に出るよう頼まれる。センター長、飲みに行くんでしょ。猪口が茶化すと、団は残業だよと返す。足立は斯波に付いて行きたがり、長い付き合いだからと猪口も参列することにした。
夜、団が自販機で煙草を買おうとポケットを探る。小銭とともに大量の鍵が出て来る。スキットルを取り出して一口飲む。
喪服に身を包んだケアセンター八賀の3名が羽村家の通夜に弔問する。喪主である羽村洋子(坂井真紀)の幼い娘・百花(池村碧彩)から手を振られた斯波が手を振り返す。喪主として忙しい洋子に代わり、洋子の勤め先の出入り業者である春山登(やす)が百花の相手をしてやっている。斯波が線香を供えると洋子が長い間お世話になりましたと礼を述べる。自分たちができることをしただけですから。本当に感謝しています。よく頑張られましたね。本当にご苦労さまでした。いつも娘さんがそばにいてお母様はとてもお幸せでしたよ。赤とんぼの歌を歌ってらっしゃいましたね。それを聞いているお母様の幸せそうな顔を僕は忘れません。洋子のありがとうございますは言葉にならない。祭壇には斯波が贈った黄色い折鶴が置かれている。
通夜の後、ケアセンター八賀の3名が居酒屋に立ち寄る。遺族の方にあんな優しい言葉をかけられるなんて尊敬します。斯波さんは憧れの人です。足立が斯波に熱い眼差しを向ける。空気を読まない猪口がトイレから戻ってくる。年取るとトイレ近いから困っちゃう。猪口は羽村洋子が介護を免れることになって助かったんじゃないかと口にする。そんな言い方はないと非難する足立に構わず続ける。シングルマザーで幼い娘を抱えてさ、昼はスーパー、夜はスナックだよ。若くて綺麗だから再婚の可能性もある。そしたら都合良くポックリ。猪口は殺害の可能性まで訴えて足立に呆れられる。

 

長野県八賀市。ケアセンター八賀に勤務する斯波宗典(松山ケンイチ)は介護士3年目。彼の的確かつ懇切丁寧な仕事は顧客から喜ばれるだけでなく、センター長の団元晴(井上肇)を始め、新人の足立由紀(加藤菜津)やベテランの猪口真理子(峯村リエ)など同僚からも頼りにされている。シングルマザーの羽村洋子(坂井真紀)はスーパーとスナックを掛け持ちして幼い娘・百花(池村碧彩)を育てながら介護していた母親を亡くし、弔問に訪れた斯波に労われ泣き崩れる。3人の子供を育て夫の店を手伝いながら父親の介護を行っていた梅田美絵(戸田菜穂)は、ある朝父親の家でケアセンター八賀のセンター長・団と父親の遺体を発見する。長野県警八賀警察署の刑事・沢登保志(梶原善)らの捜査で、団が職務上入手した合鍵を使って梅田宅に侵入したこと、梅田がニコチンを注射されて殺害されたことが判明した。団の死亡原因は不詳であったが、団が被疑者として書類送検されることとなった。長野地検八賀支部の検事・大友秀美(長澤まさみ)が検察事務官・椎名幸太(鈴鹿央士)とともに関係者の事情聴取を行うが、現場で発見された注射器のDNA鑑定は終了していなかった。大友は次席検事・柊誠一郎(岩谷健司)から社会を賑わせる事件として早期の決着を求められ、団元晴による梅田寛太郎殺害での処理を指示される。ところが犯行時刻に近い深夜2時に梅田宅付近を自動車で走行する斯波の姿を捉えた防犯カメラの映像が発見された。

(以下では、結末についても言及する。)

冒頭、身寄りも金もない老女・川内は、刑務所に入ろうと万引を犯して送検される。取調に当たった大友は、身勝手で短絡的な発想であると川内に自立を促す。川内への対応を示すことによって、検事という正に国を代理する立場にある大友が自己責任として弱者を切り捨てる発想が描かれる。
大友の両親は幼い頃に離婚し、母親に育てられた。その母親は自ら老人ホームに入り、近時は認知症を患っている。父親とはずっと音信不通であったが、電話連絡があった。大友はそれに対応することが無かった。結果として、父親は孤独死していたことが判明した。父の亡くなった現場に駆け付けた大友は、父の遺体の跡と父娘の写真とを発見する。その光景が大友の頭に焼き付いている。
父親の過酷な介護を経験した斯波は、要介護者と介護者である家族とを救うとの信念で要介護者を殺害する。大友は斯波が家族の絆を断ったと糾弾するが、斯波は安全地帯にいて介護の地獄を見ることがない(と確信する)人間の空論だと反論する。
自らの抱える両親に対する思いも相俟って、斯波の発言に揺さぶられる。その大友の心理が、机の上に反転して映り、あるいは鏡に分裂して映る姿で説明される。
そして、裁判の終結後、大友が斯波の面会する場面では、ガラスによって斯波の姿が大友に重なり、あるいは大友に斯波の姿が重なる。正反対の立場に立つ双方がお互いを理解し得た表現と言えるだろうか。立場極刑を求めた大友が、結果的に斯波に対して与えることになる死は、「ロストケア」(=死による救い)になったことを示すだろうか。鑑賞者は見えるものを見ているのか。あるいは見たいものを見ているのか。
個人が殺害するのと国家が死刑を執行するのとで、人の命を奪うという点で変わるところはない。介護を家庭の問題として国家が救済しない問題――生活保護申請が簡単に却下されるシーンに象徴される――に加え、死刑制度の是非も投げ掛けている。
ほとんど何もない斯波の部屋には、カントやヘーゲルなどの哲学書と並び、聖書が置かれている。夕日が射すと、斯波の机の前の壁には窓枠が十字架のように映る。
映画『PLAN 75』(2022)は、本作の斯波の役割を国家が代行するようになった近未来を描いている。また、松山ケンイチの近時の出演作である映画『川っぺりムコリッタ』(2022)は、身内の孤独死や自己責任が重要なテーマになっている。介護の、そして社会の過酷さを描く映画『光復』(2021)は、見る者にも覚悟を求められるほどの強烈な作品である。