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芸術鑑賞の備忘録

映画『メグレと若い女の死』

映画『メグレと若い女の死』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のフランス映画。
89分。
監督は、パトリス・ルコント(Patrice Leconte)。
原作は、ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon)の小説『メグレと若い女の死(Maigret et la Jeune Morte)』。
脚本は、パトリス・ルコント(Patrice Leconte)とジェローム・トネール(Jérôme Tonnerre)。
撮影は、イブ・アンジェロ(Yves Angelo)。
美術は、ロイック・シャバノン(Loïc Chavanon)。
衣装は、アニー・ペリエ(Annie Perier)。
編集は、ジョエル・アッシュ(Joëlle Hache)。
音楽は、ブリュノ・クーレ(Bruno Coulais)。
原題は、"Maigret"。

 

黒髪で色白の女性(Clara Antoons)が貸衣装屋「マドモワゼル・イレーヌ」に入る。店内には人の姿が無い。少々お待ちを、今伺います。ドアの鈴の音を聞きつけたイレーヌ(Elizabeth Bourgine)が声を掛ける。
服を脱ぎ裸で待っている女性の元へイレーヌが光沢のあるドレスを持って現れる。イレーヌは彼女にドレスを渡し、胸を隠しながら服を着ようとする姿をしばらくただ眺める。それからイレーヌはドレスを彼女に着せてやる。この方がいいわ。イレーヌは襞を調節しつつドレスの上から脇腹の辺りに手を這わせる。アクセサリーが必要ね。鏡の中の彼女の眺めながらイレーヌが耳元で囁く。癖で髪の毛を指に巻き付ける彼女の肩に白いファーを掛けてやる。
ジュール・メグレ(Gérard Depardieu)がポール博士(Gérard Depardieu)の診察を受けている。検査を終え、メグレがシャツを着る。疲労感は日常的に? 疲労や倦怠感を感じるかね? ああ。息切れも? バスを追いかけたり、階段を上ったりするとな。眠れているかね? どう思う? 食欲は? 食べてるさ。欲求はもうないのかね? 食欲ならある。それだけかね? 休んだ方がいい。それか退職を前倒しにするんだな。血圧は少々高めだが年相応だよ。気管支に問題があるから胸部レントゲンを撮る。待ちなさい、辛いだろうが喫煙は禁止にさせてもらうよ。
ホテル内のバーで黒髪の女性が強い酒を呷る。覚悟を決めた女性は階段を上がり、宴会場へ。そこではローラン(Pierre Moure)とジャニーヌ(Mélanie Bernier)の婚約パーティーが行われている。ジャニーヌが黒髪の女性に気が付きすぐに駆け寄って会場の外へ連れ出す。ローランもローランの母(Aurore Clément)も闖入者に気付いた。
ジャニーヌが黒髪の女性を激しく叱責する。このドレスは一体どうしたの? 招待しなかったでしょ! パーティーを台無しにするつもり? なんでいるのよ! ローランがやって来て、ジャニーヌを会場に戻らせると、黒髪の女性に詰め寄り激昂して叫ぶ。何が望みだ? 金か? 無理矢理彼女に紙幣を握らせると、階段に向かって押しやる。
警察署。暗い執務室でメグレがパイプのホルダーからを1つを手に取る。そこへジャンヴィエ(Jean-Paul Comart)が訪れる。何も出ません。ラポワントが泥を吐かせようとしてますが。あいつなら朝まで取り調べるだろうな。サンドイッチをお持ちしましょうか? 好きなだけ食べろ。私は帰る。警視、奴が自白したら? 留置所に入れておけ。
通信指令室。壁には通話中の電話機の位置が黄色く点灯する地図が設置され、職員が電話交換機で通報の対応に追われている。新たな通報。職員が呼びかけるが応答がない。
メグレが執務室を出たところで電話が鳴る。
何度も刺され密に着けたドレスが血だらけになった若い女性の遺体が発見された。メグレとラポワント(Bertrand Poncet)も現場に急行した。

 

心身の不調に悩むパリ警視庁特捜部長で警視のジュール・メグレ(Gérard Depardieu)は、受診したポール博士(Gérard Depardieu)から休暇を取るか退職を早めることを勧告され、なおかつ愛好するパイプを禁じられた。被疑者取調べをラポワント(Bertrand Poncet)に任せて退庁しようとしたところ変死体発見の通報を受け、現場に駆け付けると、高価なドレスを身に纏った若い女性(Clara Antoons)のめった刺しの遺体があった。メグレは付近の聞き込みを指示する。現場周辺の住民(Benjamin Wangermee)によれば、真夜中頃高級車が停まり複数人が降りてバックドアを開ける音が聞こえ、5分かそこらで立ち去ったという。ポール博士による検死の所見では、被害者は二十歳未満で健康体だが栄養失調、左利きの人物による至近距離からの胸部と腹部に対する5箇所の刺傷が一応の死因だが、頸椎骨折や肺疾患からさらに調べる必要があるという。胃の内容物がほとんどないことから死亡推定時刻は22時から24時。死斑の位置から他所で殺害されて現場に運ばれたらしく、手指の爪からは遺体を包んだ布と思しき白い繊維が発見された。ラポワントの捜査で被害女性の失踪届は存在せず身元不明、身に付けていたドレスだけは他の持ち物と不釣り合いな高級品であることが判明した。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ジュール・メグレは身元不明の女性がなぜ若い身空で殺されなくてはならなかったか思案する。幼い娘を亡くした過去が、メグレに広場で無邪気に遊ぶ幼い少女たちに目を向けさせ、あるいは自分の娘も被害女性の年頃を迎えていたことをぼんやりと想像する。犯人逮捕に向けて着実に捜査を進めつつ、仮に首尾よく行っても被害女性は生き返る訳ではない。被害女性の身元確認を急ぐのは、捜査の必要のためである以上に遺体安置所に置かれたままの状況、あるいは無縁仏となる事態を避けるためだ。
被害女性と似た境遇のベティ(Jade Labeste)に娘に対するような眼差しを向けながらも、しっかりと捜査に利用するところにメグレの手練ないし老獪さが窺える。
冒頭で突然女性の裸を映し出すPatrice Leconteも手練だ。不安そうに貸衣装の店を訪れた若い女性が裸になるのは、文字通り地方から裸一貫でパリにやって来た女性を象徴している。店の主人イレーヌによってドレスを着せられる様子も、その手が体をなぞるように動くのは、都会に絡め取られてしまう様子を表わすのだろう。
冒頭、ポール博士による血圧を測る動作などが、瞬間的に挿入される。医師による診察によって、メグレは眼差しないし分析の客体となる。メグレが受動的な立場に身に置くことは、被疑者の尋問(能動的な立場)を部下のラポワントに任せることで改めて強調される。メグレは加害者の立場ではなく、被害者の立場に立つことで捜査を行う。それはまた医師=捜査官=男性から、被害者=女性への転換でもあり、妻(Anne Loiret)、ベティ、クレルモン=ヴァロワ夫人(ローランの母)からの情報収拾に効果を発揮する。
パイプを愛好するメグレだが、ポール博士から喫煙を禁じられてしまう。部下のラポワントのパイプの雑な扱いが気になって仕方が無く、つい口を出してしまう。ルネ・マグリット(René Magritte)の《イメージの裏切り(La trahison des images)》を踏まえた「これはパイプではない。(Ceci n'est pas une pipe.)」もベルギー人ジョークとして登場。