可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『高野豆腐店の春』

映画『高野豆腐店の春』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
120分。
監督・脚本は、三原光尋
撮影は、鈴木周一郎。
照明は、志村昭裕。
録音は、郡弘道。
美術は、木谷仙夫。
編集は、村上雅樹。
音楽は、谷口尚久

 

2015年冬。広島県尾道市。高野豆腐店。未明に店舗兼住宅の作業場に灯りが点る。高野辰雄(藤竜也)が紺のジャンパーに白い前掛けをして作業を開始する。浸漬しておいた大豆を小鍋で掬って摩砕機に投入するとともに注水する。腰に手を当てる辰雄。そこへ白い作業着姿の高野春(麻生久美子)が入って来る。おはようございます。おう。今日もよろしくお願いします。おう。加熱した生呉を絞り、豆乳とおからに分離する。大鍋に注いだ豆乳を攪拌し、時機を窺い、にがりを注ぐ。凝固・熟成した豆腐を型箱に入れ、一杯になったところで布を被せ、蓋をして圧搾・成型する。水槽の中で型箱から取り出した豆腐を包丁で切り分けていく。作業を一通り終え、春がジョッキとグラスに温かい豆乳を注ぎ、ジョッキを辰雄に渡す。豆乳を含んで口の中に転がす。笑顔が溢れる辰雄。
尾道水道を行き交う船。向島への足となる渡船。町を抜ける黄色い列車。町と尾道水道を隔てた向島を見下ろす天寧寺。本通り商店街。
海沿いの道を自転車で抜ける辰雄は理髪店ヤングへ。
木綿、厚揚げ、豆乳…910円。はい、90円お返し。春ちゃん、チーズがんもどき、もう売らんの? お父ちゃんが気に入らないって。ぶち旨かったのに…。お父ちゃん、チーズ嫌いなんよ。もっと欲出さんと、お洒落なスーパー出来たら一溜まりもないじゃろ。融通きかんお父ちゃんもって春ちゃん大変ね。
大きなくしゃみをする辰雄。辰雄の調髪に当たっている金森繁(徳井優)がまた噂されてると笑う。どうせろくな噂じゃないと渋い顔の辰雄。理髪店ヤングには三宝食堂の鈴木一歩(菅原大吉)、タクシー運転手の横山健介(山田雅人)も暇を潰しに来ていて世間話に興じている。増えるのは薬の数ばかりだと一歩が愚痴れば、そういや辰ちゃんの心臓はどうだと辰雄の病気の話題になる。駅前の不動産屋の主人がぽっくり逝ったのは腹上死だったとか噂話で盛り上がると、繁の妻・早苗(竹内都子)が水を差す。辰ちゃんが死んだら春ちゃん困るだろう。みんなが認める美人なのに再婚しないな。駅員やら警官やらがフラれたとか。誰か相手おるんじゃないか? この前会ったときに春ちゃんに聞いたけど誰もおらんって。従業員おらんようになるけえ、辰ちゃんが邪魔して嫁に行かせんようにしとるんじゃろ。今なんて言うた? 辰雄が腹を立ててケープを取り去る。まだ終っとらんと繁が止めるが、構わんと出て行く。英会話教室の講師・山田寛太(日向丈)がちょうど店に入って来る。正月は彼女とハワイだと上機嫌の寛太に、ハワイでも北極でも行けと吐き捨てて辰雄が出て行く。
春が作った炒り豆腐や煮卵などの並んだ食卓。春が辰雄と自分のグラスにビールを注ぐ。2人で晩酌を始める。春なあ……何でも無い。言いたいことあるなら言いなよ。東京での豆腐の販売の件じゃろ。無理にとは言わんけえ。辰雄は春に再婚の話題を切り出そうとして出来ず終いになる。その髪型、変えたの? おかしいか? まあね。
眠っていた辰雄がむくっと状態を起こす。苦しそうな表情の辰雄は心臓の辺りを叩く。起き上がった辰雄は箪笥の上の薬を取り出し、水なしで飲み込み、一息つく。写真立ての家族写真が目に入る。若い辰雄と亡き妻、まだ中学生だった春が店の前に並んでいた。
松本病院。心臓外科で辰雄が検査結果を女性医師から説明される。血管が詰まりかけていると、辰雄はカテーテル手術を勧められる。今まで通り薬でどうにかならないかと尋ねるが、動脈瘤の破裂の危険性を指摘される。診察室を出た辰雄は、診察を待っていた女性(中村久美)から手袋を落としたことを指摘される。診察結果にショックを受けた辰雄は礼を言い手袋を拾うが、ほとんど上の空で立ち去る。
なあ、何かあった? 朝、作業を終えて豆乳で一息つく辰雄に春が尋ねる。別に何も。辰雄は豆乳を口にする。

 

2015年冬。広島県尾道市。高野辰雄(藤竜也)は高野豆腐店を長年営んでいる。従業員は出戻った高野春(麻生久美子)だけ。春は新商品の開発や販路の開拓に余念が無いが、常連に商品を切らすことのないよう商売を続けることに拘る辰雄は、春の提案になかなか首を縦に振らない。未だ「豆腐の人格」を決めるという、にがりの投入を春に任せたこともない。もともと心臓を患っている辰雄が心臓に痛みを覚えて担当医に診せると、大動脈瘤破裂の危険があるとカテーテル手術を勧められる。辰雄は春の将来を考え、理髪店ヤングの金森繁(徳井優)、三宝食堂の鈴木一歩(菅原大吉)、タクシー運転手の横山健介(山田雅人)、英会話教室の講師・山田寛太(日向丈)らが勧める春の見合い相手の候補に会い、イタリアンレストランのオーナー兼シェフ・村上ショーン務(小林且弥)を春に引き合わせることにする。務は県産品の販売促進イヴェントで春に出会って好印象を抱いていた。辰雄は豆腐の納入先のスーパーの洗面所で清掃員(中村久美)から声をかけられる。病院で辰雄が落とした手袋を拾ってくれた女性だった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

春が「さとういらず」などの品種を挙げ、その特徴について説明することから、高野豆腐店は国内産の大豆を使用していることが分かる。作品が描く時期と重なる2016年度の場合、国内大豆需要量3424万トン、自給率は7%。輸入量の7割はアメリカが占めている。なお、食品用需要に限れば需要98万トンのうち国産は23万トンとなり、自給率は23%となる。高野豆腐店では外国産(アメリカ産)大豆は避けられているのだ。
辰雄が心臓外科とスーパーで遭遇して親しくなった中野ふみえは向島で一人暮らし。彼女には被爆者健康診断の案内が届く。戦争、そして原爆の影が差す。
そこではたと気付く。なぜ辰雄が広島東洋カープを応援し、読売ジャイアンツを毛嫌いする様子が描かれるのか。単に広島が地元の球団であるだけではなく、被爆地であることも重ね合わされているのだ(岸田文雄が、2023年5月、自らの地盤である広島でサミットを開催し、核兵器禁止条約の署名・批准ではなく、あろうことか核抑止力の必要性を訴えたことは記憶に新しい)。それに対し、読売ジャイアンツは、広島と長崎に原子爆弾を投下して原子力政策"Atoms for Peace"を推進したアメリカのお先棒を担いだ正力松太郎に縁の深い球団である。辰雄が忌避するのも尤もである。
だが戦争と混乱を生き延びた辰雄は、何より生きることの重要性を理解している。頑固ではあるが、たとえジャイアンツファンであっても、その人物の認識を改める柔軟性を持ち合わせていないわけではない。
昔ながらの商店街を舞台にした喜劇風の人情劇でありながら、実は「バーベンハイマー(Barbenheimer)」の向こうを張る作品である。
中野ふみえは辰雄の差し出した名刺を見て高野豆腐専門店と勘違いする。すなわち、敢て高野豆腐との誤認を誘う「高野豆腐店」を採用していることは明らかである。高野豆腐は、いったん作った豆腐を保存のために乾燥させ、食するためには再度水で戻さなくてはならない。高野豆腐には、辰雄と春との関係性――後半で明らかになる――が重ねられているのかもしれない。
主演の藤竜也が素晴らしい。