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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 木村了子個展『神楽坂の愛人の家』

展覧会『木村了子「神楽坂の愛人の家」』を鑑賞しての備忘録
eitoeikoにて、2024年12月7日~12月28日、2025年1月7日~1月18日。

初老の画家が個展で出会った青年を《オダリスク》のモデルとして自宅兼アトリエに招いたという設定で開催される、木村了子の個展。

《私のオダリスク―雅》(880mm×1600mm)は、座敷で脇息に右腕を突いた全裸の若い男性が背を向けて横たわり、左腕で髪を掻き上げながら振り返る様を表わした作品。手前の簾が巻き上げられ、金地の誰が袖図屛風が奥に配される。ここでは《SADO》(300mm×810mm)で女性に跨がられる男性の衣服が桜樹に掛けられているのと同趣旨で、男性の脱衣を暗示する。モティーフはドミニク・アングル(Dominique Ingres)の《グランド・オダリスク(Grande Odalisque)》(1814)の女性を男性に、身体の向きの左右を反転し、舞台をトルコから日本に移したものである。傍らにトラネコが蹲るのは、横たわる女性の傍らに黒猫を描き込んだエドゥアール・マネ(Édouard Manet)の《オランピア(Olympia)》(1863)を下敷きにしているようでもある。だが《グランド・オダリスク》や《オランピア》には無い手前の遮蔽物たる簾が上げられているのは、むしろ『源氏物語』の「若菜」において、飛び出した猫のせいで御簾が跳ね上がり露わになった女三の宮を柏木が目撃したエピソードを踏まえているのではなかろうか。鑑賞者もまた猫に導かれて画家のアトリエの内部を垣間見ることになったと言えなくはない。
《私のオダリスク―雅》に見ることの叶わない、「オベリスク(Obelisk)」を補うものとして、《岸壁瀧図》(455mm×273mm)がある。金霞の中落ちる瀧から陽物のような奇岩が突き出しているのだ。背後に浮かぶ大きな満月を貫かんばかりである。月が陰、すなわち女性であることは言うまでもない。巨大な牡丹(の蕊)の上で男女(また種々の昆虫)が肌を合わせる姿が描かれる《朱色のわななき》(420mm×297mm)と並べられることで交合のメタファーであることがよりはっきりする。
人魚と言えば女性(mermaid)として表わされることが多いが、《魔都の海―龍宮図屏風》(880mm×1760mm)の珊瑚礁に囲まれた楼閣に遊ぶのは鮫や鱏や烏賊など海生生物の下半身を持つ男性(merman)である。《Bunny Boy》にもバニーガールのような衣装の男性を身に付けた男性像である。《Beauty of my Dish―桜下男体刺身盛り》では裸の男性の腹の上に鯛の活き作りが載せられ供される。周囲をソメイヨシノではなく山桜が飾るのは、花より先に葉が出るためであろう。葉=歯が食べるイメージを演出するのだ。いずれにせよ、《私のオダリスク―雅》同様、男女の反転が認められる。
《白蛇観音像》(440mm×640mm)には、蓮池に横たわり白蛇を絡ませる観音が描かれる。蛇も観音もイメージからは男女の区別はつかない。男女を反転させるだけでなく、性別を超越することが試みられている。
《瀧図》(450mm×290mm)では瀧の近くの崖上で若者が放尿することで2つの落水が共演する。川と人体とを水の循環として結び合わせる。描き表装により天から黒箔の中廻しを超えて本紙に連続するように瀧が描かれることで、山々の清水が集まる滝水となる連続性や時間を伝える。出展作品には瀧、蓮池、海、魚介類、蛇(水神とも考えられている)など水を連想させるモティーフが鏤められており、全体として「生々流転」の表象とも解し得よう。