可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ルーベンス展 バロックの誕生』

展覧会『ルーベンスバロックの誕生』
国立西洋美術館にて、2018年10月16日~2019年1月20日

 

17世紀ヨーロッパを代表する画家ペーテル・パウルルーベンス(1577~1640)を、イタリア芸術との関わりに焦点を当てて紹介する企画。
肖像画に焦点を当てた「1章 ルーベンスの世界」、古代彫刻の研究とその成果を紹介する「2章 過去の伝統」、宗教画を特集する「3章 英雄としての聖人たち 宗教画とバロック」、ヌードの理想を古代彫刻に求めていたことを紹介する「4章 神話の力1 ヘラクレスと男性ヌード」・「5章 神話の力2 ヴィーナスと女性ヌード」、《パエトンの墜落》など劇的な場面を描いた作品群の「6章 絵筆の熱狂」、寓意画を紹介する「7章 寓意と寓意的説話」の全7章で構成。

1章の《カスパー・ショッペの肖像》に描かれる人物は、原宿あたりを歩いていても違和感が無い。

2章では、《ラオコーン群像》を模写した素描や、《セネカの死》におけるセネカの顔のモデルとなった彫像などが紹介され、イタリアで古典作品の研究に勤しんだ画家の姿が偲ばれる。顔つきなどから性格を理解しようと観相学にも取り組んだようだ(『人間観相学について(De Humana Phisiognomia)』)。

3章では、《法悦のマグダラのマリア》や《聖アンデレの殉教》など大画面の作品が圧巻。《法悦のマグダラのマリア》におけるマグダラのマリア(法悦)と《キリスト哀悼》におけるキリスト(死)の表現とに重なり合いを感じる。《アベルの死》はもともとヨハネの首を描いた作品に18世紀になって胴体や犬が描き加えられ、全く違う作品になってしまったということに驚いた。

4章、5章は男性ヌードと女性ヌードを対比するように並べて展示している。古代にあった理想的なヌードが同時代には存在しなくなってしまったために、彫像に頼らざるを得なかったというコラムが紹介されていた。男性ヌードは古代彫像の影響が強いことが容易に見て取れたが、女性ヌードについては古代彫刻に比べかなり豊満に描かれているのは何故なのか。

6章では、《聖ウルスラの殉教》の聖ウルスラを中心とした部分の天上世界とのつながりの表現の部分や、《パエトンの墜落》の神罰(?)の劇的場面が印象的。

7章では、《マルスとレア・シルウィア》におけるレア・シルウィアの視線や、《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》の老女の顔が印象的。《ローマの慈愛(キモンとペロ)》は娘が囚われた父親に母乳を飲ませる孝行が画題ということだが、この作品を見て果たして孝心が芽生えるものだろうか。この画題は初めて見るが、英題"Roman Charity"で検索するといろいろな作品がヒットした。おそらく教訓的画題を隠れ蓑にエロティックな作品が求められたのだろう。

展覧会 ステファン・ブルッゲマン個展『“HA HA WHAT DOES THIS REPRESENT? WHAT DO YOU REPRESENT?”』

展覧会 『ステファン・ブルッゲマン個展「“HA HA WHAT DOES THIS REPRESENT? WHAT DO YOU REPRESENT?”」』

KOTARO NUKAGAにて2018年10月20日〜2018年12月20日

TERRADA Art Complex 内にオープンしたKOTARO NUKAGAの第一回展。

ステファン・ブルッゲマン(Stefan Brüggemann)はロンドンとメキシコシティーを拠点とする美術家で、本展が日本では初の個展となる。

「ハイパーポエム・ペインシング(HYPER-POEM PAINTINGS)」、「パドル・ペインティング(PUDDLE PAINTINGS)」、「カートゥーン・ペインティング(CARTOON PAINTING)」の各シリーズを紹介する3つのセクションで構成。

 

「ハイパーポエム・ペインシング(HYPER-POEM PAINTINGS)」について。

このシリーズは、A4サイズの白色のオフィス用紙にゴシック体(?)の英語2~3語からなる英文(英語句)をモノクロ印刷したものを何枚も用意し、それをカンヴァスに重ねていくことでつくられたもの。"FORGET THIS DEVICE"という英文の作品なら、紙の重ね合わせの結果、"FOR""GET""TH""IS""DE""VICE"のように分断された文字が画面に現れる。"FOEGET"(忘却せよ)が"FOR"(むかって)"GET"(入手せよ)に、"DEVICE"(装置)が"DE"(〔仏〕から)"VIDE"(悪徳)というように受け取れる。「この装置を忘却せよ」というメッセージが「悪徳からこれを手に入れるために」に転換しているように読める(英語のネイティヴがどのように解釈するかは不明だが)。
ギャラリーで配布されている解説シートには、用紙のカンヴァスへの貼り付け作業は「非常にスピーディーに行われ」るそうだ。そして、「あらゆる情報や物事が高速で処理され伝達される今日の社会において頻出する用語(ボキャブラリー)」が「アーティストがしばしば用いる手法であるトートロジー(同語反復)」によって「'詩’を創」り、「高速化(Hyper Speed)された社会の即時性を表わすかのように産み出されたこの'詩’は絵画となる」とのこと。
情報の繰り返しの伝達は、情報の価値を高めるのではなくむしろ逓減させていく。また繰り返される中で情報は断片的していくことになる。画面に用紙が重ねられていくことで情報が断片化し、消失していく過程を描いた「絵画」である。
他方、詩の役割が声なきものの声を聞くことにあるなら、かつて自然環境の中から石ころや山の声を聞き取ったように、情報化社会の中からオフィス機器やインターネットの声を聞き取ってもいいだろう。断片となった文字にあえて意味をよみ読み取ることで「詩」が立ち現れる。

展覧会『シルクロード新世紀 ヒトが動き、モノが動く』

展覧会『開館四十周年記念特別展 シルクロード新世紀 ヒトが動き、モノが動く』を鑑賞しての備忘録
古代オリエント博物館にて、2018年9月29日~12月2日。

シルクロードをユーラシアの交易路と広く捉え、先史時代から中世・近代までを通覧する企画。本編は4章から構成。石器などを通じて先史時代を紹介する第1章「シルクロード創成」、貴石の流通により形成された複数の地域通商路がつながる過程を紹介する第2章「シルクロード成長」、東西の古代帝国があらゆる文物を吸収し交易が活発となった時代についての第3章「シルクロード円熟」、シルクロードを通じて伝播する文物の変化を伝える第4章「シルクロード多様化」。これに加え、最後に「シルクロード発掘調査」、「シルクロード文化財」と題したコーナーが設けられている。

第2章「シルクロード成長」では、中央アジアネフライト産地から中国への交易路、インドの紅玉髄産地からメソポタミア地域への交易路、アフガニスタンラピスラズリ(瑠璃)産地からエジプトへの交易路など、貴石をめぐる交易路がそれぞれ発生し、これらの交易路が接続することでシルクロード形成の土台となったことを紹介する(第2章1「ユーラシアの東西の貴石交易網の発達」)。また、西方と比べ後発的な中国の青銅器・鉄器文化が高い加工技術を生み出したこと(第2章2「金属と生産技術の東漸」)、中央アジアでの銜の開発が馬の操縦を可能にし、乗馬技術が発達し、東アジアへ伝播したこと(第2章3「シルクロード以前のウマと馬文化」)も紹介されている。
アフガニスタン北部で出土した《婦人座像》は小さな頭部(石灰岩製)に対し大きな胴体(クロライト製)を有する。その大胆なプロポーションに、胴部に施された「カクナケス」と呼ばれる線刻があわさり、現代的洗練を感じさせる作品。重厚感と聖性を感じさせ「地母神」とも考えられるのも頷ける。
日本の《埴輪馬》が馬を全体としては素朴に表わす一方、馬具がかなり精細に作り込まれていることが指摘されている。

第3章「シルクロード円熟」では、ローマ、ビザンツ、サーサーン朝、漢・唐といった古代帝国があたかもブラックホールのように文物を吸収し、交易が活発化した時代の状況を伝える。古代ギリシア彫刻がインドの仏教n仏像を誕生させたという定番のストーリーからスタート(第3章1「ギリシャ・ローマ美術の東漸」)。シリア地方で産み出された吹き硝子技法がサーサーン朝に普及し、地中海文明を参照しつつカット装飾など多様な装飾技法が産み出されるとともに、地域における好みの形があること(第3章2「ユーラシア・ガラスロード」、一見似ている銀器である舟形杯と多曲長杯とが、よく見ると丸底か高台付きかといった大きな違いを有していること(第3章3「ユーラシア銀器の道」)、西方の白釉陶器と中国の白磁との比較(第3章4「東西陶磁器交流の始まり」)などを通じ、シルクロード伝播の過程での変容を紹介する。

様々な出土品や伝世品の実物によりシルクロードによる交流史の紹介は見応えがあるが、期待していた「シルクロード概念の再構築」や「新しいシルクロード像」の呈示という企画の趣旨は理解できなかった(但し、本編に限る。「シルクロード発掘調査」(パネル展示)は時間がなく未見のため)。

展覧会 尾関立子個展『tracing』

展覧会『尾関立子個展 tracing』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー椿にて、2018年11月17日~12月1日。

エッチングやアクアチントによる銅版画を複数組み合わせることで産み出されたイメージ。

「手や身体が動いた軌跡によって点や線、形、空間が生まれ、その描かれたイメージは自らを知る行為の痕跡とも言えます。」

《Map/Composition》のシリーズは、建物などの構造物の断片、あるいは樹木などの植物の断片が黒いインクで表わされている。いずれの形も何かをはっきり示しきってしまうのではなく、何かを構成している部分であることをやめようとしない。黒色の持つ強さは、刷られる紙の黄土色によりコントラストが弱められ、個々のイメージの曖昧さが保たれている。また、その紙色はノスタルジックな印象を喚起させる。何が描かれているのかをつかもうと線を辿っていく。けれども掴みきれずに、さらに画面の中の線を追いかける。記憶の中に照合できる何かを探り出そうとするも徒労に終わり、画面の中を彷徨い続ける他に無い。別々の世界を表わすmapが組み合わされることでmazeが生まれているのだ。

展覧会『大♡地図展 古地図と浮世絵』

展覧会『大♡地図展 古地図と浮世絵』を鑑賞しての備忘録
東洋文庫ミュージアムにて2018年9月15日~2019年1月14日。

国内有数の規模を誇る東洋文庫の地図・地誌関係資料から、江戸時代までに日本で作成された地図と、名所絵などの浮世絵を紹介する企画(ディスカバリールーム)。世界における地図の歩みを紹介する『世界を見る・歩く・描く 歴史に名を残す地図と旅行記』(オリエントホール)と、現在世界遺産に指定されているアジアの景観が掲載された書籍を紹介する『夢の豪華ツアー! アジア世界遺産めぐり』(モリソン書庫)という関連企画も併催。

展示の前半では、日本図の歴史を辿る。「日本」を描いた地図の走りは「行基図」と総称されるもので、「くに」が葉っぱが広がるように連なって描かれたものだった。江戸時代には、初めに日本列島の形を捉え、その中に「くに」を書き込む石川流宣の『本朝図鑑綱目』(1687年初版)が刊行され、90年にわたるロングセラーになった。そこでは大名やその石高などが丁寧に紹介される一方、地理的精度は二の次とされた。これに代わってスタンダードになっのは、地理的正確さを反映させた長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』(1779年)であった。
展示の中盤では、「伊能図」(『大日本沿海輿地全図』)で知られる伊能忠敬の測量(1800~16年の間に10回)の行程を辿りながら、関連する地域の名所絵などを紹介する。後半では、江戸の地図やガイドブック、冨士講などを紹介する。

所蔵資料での構成のためやむを得ないが、伊能図自体は紹介されていないのは残念。また、幕府が諸大名に提出させた国絵図についても触れられて織らず、シーボルト事件に象徴されるような地図の軍略(軍事機密)的性質について言及がない。
『本朝図鑑綱目』から『改正日本輿地路程全図』への転換については海防への意識の高まりについて言及があったが、江戸時代における刊本としての日本図の需要層やその入手目的についても解説が欲しかった。文化人でなければ、公務(参勤交代や訴訟)以外で国内を移動するのは富士講やお蔭参りなどに限られていただろうからだ。
江戸の観光をテーマに絞り、地図、浮世絵、版本を紹介する企画とした方が良かったように思われる。

オリエントホールでの展示『世界を見る・歩く・描く 歴史に名を残す地図と旅行記』では、世界最古の世界図と考えられているバビロニアの地図や、キリスト教の世界観を表すTO図、鄭和の航海図など世界の地図の歴史をたどる試み。
世界最古のバビロニアの地図は、中央にバビロニアが描かれ、周囲に都市が点在し、それを苦い川(BITTER-FLUSS)が環状に取り囲み、その外に未知の世界がいくつも三角形の形で飛び出している。全体としては太陽か星の表現のように見えるもの。
ビザンツ帝国の修道士コスマスは6世紀初めに黒海・アラビア・東アフリカ・セイロンなどを旅した商人で「インディコプレウステス(インド航海者)」と呼ばれていた。彼は、世界が長方形であるとして、立石タイガーの作品に見まがうような、帽子のような陸地を描いてのイラストレーションを試みている。
バニロニアの地図はウンガー・エックハルト著の『バビロン』(1970年)に掲載の図、コスマスのイラストレーションは『キリスト教地誌』(1897年)所収のものである。このように、一部を除いて、書籍に掲載された図版としての地図を紹介しているのであるから、地図自体の説明だけでなく、書誌についての解説も充実させて欲しかった。その地図がその書籍が刊行された当時に持った意義を知りたいのだ。そして、そこに「文庫」のミュージアムならではの個性が生きるのではないだろうか。