可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ビリーブ 未来への大逆転』

映画『ビリーブ 未来への大逆転』を鑑賞しての備忘録
2018年のアメリカ映画。
監督はミミ・レダー(Mimi Leder)。
脚本はダニエル・スティープルマン(Daniel Stiepleman)。
原題は"On the Basis of Sex"。

1956年、ルース・ギンズバーグ(Felicity Jones)は、ハーバード大学ロースクールに入学した。既に10年前に女性にも門戸が開かれていたものの女性は9人のみで、女性専用の化粧室も未だ整備されていなかった。夫マーティン(Armie Hammer)も同時に同校に復学し、二人は前年に授かった娘の世話をしながら学業に励んでいた。ある日異変を訴えたマーティンが精巣癌であることが判明すると、ルースは夫の履修する講義にも出席しノートをとり、夫の療養と学業をも支えた。2年後、快復したマーティンはニューヨークの法律事務所に採用された。ルースは夫と暮らすため、学部長アーウィン・グリスウォルド(Sam Waterston)の反対を押し切り、コロンビア大学ロースクールへ転校する。ルースは主席でロースクールを卒業するが、どの法律事務所にも採用してもらえない。やむを得ず、ラトガース大学のロースクールに教授職を得ることにし、「性差別と法」を研究することになった。折しもヴェトナム反戦運動が盛んになり、体制に対する懐疑が社会に拡がっていた。1970年、ルースは、税法を専門とするマーティンから、性差別に関わる租税事件についての情報を得る。チャールズ・モーリッツ(Chris Mulkey)は高齢の母親の介護のため看護師を雇ったが、独身のモーリッツはその費用の控除を受けることができないとされた。内国歳入法214条により控除対象が女性や離婚者、妻に介護能力が認められない場合などに限定されていたためである。男性は働きに出て、女性は家庭で家事・育児を行うべきであるという、法律の中にある性差別の枠組みを解消したいルースは、内国歳入法214条の不当性を裁判所に認めさせること決意する。

性的役割分担を原始から繰り返されてきた自然の摂理ととらえ、女性の権利・平等の主張が家庭の崩壊や急進的社会変革として排斥される。それを打ち破ろうともがく1970年代初頭のルースの姿が描かれる。

超優秀なルースに引け目を感じる娘ジェーン(Cailee Spaeny)は、議論よりも行動すべきとルースに反発していた。マーティンは、母親からあらゆることに疑問を抱くよう育てられてきたルースは、その教えをジェーンに伝えたいのだと諭す。ある日、女性の権利を訴えてきた、ルースにとっては英雄とも言える弁護士ドロシー・ケニオン(Kathy Bates)のもとを母娘で訪ねる。その帰り道、建設作業員から卑猥な言葉を投げかけられると、すかさずジェーンが言い返し、ルースがその姿に"the climate of the era"の変化を読み取り感動する。そのシーンが一番印象に残った。

展覧会『ピエール セルネ & 春画』

展覧会『ピエール セルネ & 春画』を鑑賞しての備忘録
シャネル・ネクサス・ホールにて、2019年3月13日~4月7日(前期は27日まで。後期は29日から)。

 

写真家ピエール・セルネの《Synonyms》シリーズと、春画とを合わせて展示する企画。

 

ピエール・セルネの《Synonyms》シリーズは、抽象的な形が白と黒とでシャープに表された画面。サイズは区々だが、縦横がそれぞれ1メートルを超えるものもある。一見して何が被写体になっているのかは全く分からない。タイトルに示された人物のヌードやセックスをスクリーン越しに撮影したものだという。作者はロールシャッハ・テストを引き合いに、「何が認識されるかは、それを見る人の心のあり様に左右され」ると述べている。女性の胸の形など比較的認識しやすい形もあれば、全く体の形に結びつかないものまで様々だ。「Synonyms」には、「さまざまな文化的背景を持つ人たちの肉体を二次元のはかないイメージに還元することで、鑑賞者には物理的な表象を超えて自分自身のイメージとの類似点を発見してもらいたい」という意味が込められているという。


合わせて展示される春画は、鈴木春信、喜多川歌麿、鳥居清長、鳥文斎栄之葛飾北斎による浮世絵版画と肉筆浮世絵。
鳥居清長の《袖の巻》はやたらと横に長い画面になっている。男女の姿態はその横長の画面にトリミングされて、結合部と顔(表情)とが強調される。鳥文斎栄之の《源氏物語春画巻》は江戸時代の多様な女性との情事を華やかな画面の中に描き出している。糊を塗って雲母粉をふりかけた(?)愛液の表現が光る。

 

肉体を黒い影で覆うことと性器を露骨に描き出すこと、大きな画面と小さな画面、モデルの顕名と匿名といった対照的な作品が、セックスでつながる。陰と陽との結合だ。ココ・シャネルもまた、喪服の色として忌避された黒をファッションに取り入れ、陰と陽とを結合させたのであった。

映画『サンセット』

映画『サンセット』を鑑賞しての備忘録
2018年のハンガリー・フランス合作映画。
監督はネメシュ・ラースロー(Nemes Jeles László)
脚本はクララ・ロワイエ(Clara Royer)、マシュー・タポニエ(Matthieu Taponier)、ネメシュ・ラースロー
原題は"Napszallta"。

1913年夏。オーストリア・ハンガリー帝国の第二の首都ブダペスト。創業30年を迎える高級帽子店「ライター」に若い女性客(Jakab Juli)が訪れる。古いデザインの帽子ばかりいくつか試着すると、彼女は仕事を求めて来店したと告げる。主任のゼルマ(Dobos Evelin)が引き取ると、彼女はトリエステの帽子店で働いていたが、ライターの募集を知って、退職して応募したという。名前を聞いたゼルマは慌ててオーナーのブリル・オスカル(Vlad Ivanov)に連絡する。彼女は先代のオーナーで創業者であるライター夫妻の娘イリスであった。ブリルは母親と瓜二つのイリスに驚きつつ、トリエステへ戻り復職するよう勧める。その晩、ライターに宿泊したイリスは部屋に侵入してきたシャンドル(Marcin Czarnik)に襲われ、兄の存在を知らされる。翌日、ブリルに弟について尋ねるもあしらわれ、汽船のチケットを渡されてトリエステへ戻るよう促される。イリスは汽船に乗らずに孤児院へと足を向ける。2歳で両親を失ったイリスは12歳まで孤児院で暮らし、その後トリエステへ向かったのだった。孤児院でめぼしい情報が得られなかったイリスは、ライター30周年のイヴェント会場でブリルを見つける。ブリルはイリスの兄カルマンは伯爵を殺して行方をくらましたこと、カルマンによって着せられた汚名を払拭するのに苦労したことを告げると、今も喪服でいる伯爵夫人(Julia Jakubowska)の姿に目を向けさせるのだった。イリスは兄を探そうと、ライターのそばに設置された仮設テントの舞踏会場を訪れる。そこで、シャンドルの姿を見かけ、その後を追うのだった。

イリスはブリルやゼルマの話に聞く耳を持たず、危険も顧みずにブダペストを兄の姿を求めて嗅ぎ回る。「暴走」という表現がふさわしい。イリスの肩越しにとらえた映像が多用されることで、事情がよく分からないまま兄の謎を追うイリスの心境を味わわせる趣向になっている。その上、発話主体の姿をあえて映さず声だけが聞こえてくる箇所が複数ある。それらが、あたかもアドベンチャー・ゲームのような効果を生んでいる。

兄を追ううちに、ライター帽子店が栄えている裏の事情が明らかにされていく。そのことが作品に妖しさを添えている。

エンディングがなぜあのようなシーンなのか。その謎が余韻を残す。

ハンガリー語、ドイツ語、フランス語以外にどれくらい言語が登場したのだろうか。

映画『ブラック・クランズマン』

映画『ブラック・クランズマン』を鑑賞しての備忘録
2018年のアメリカ映画。
監督は、スパイク・リー(Spike Lee)。
脚本は、チャーリー・ワクテル(Charlie Wachtel)、デビッド・ラビノウィッツ(David Rabinowitz)、ケビン・ウィルモット(Kevin Willmott)、スパイク・リー
原作は、Ron Stallworthの"Black Klansman"。
原題は"BlacKkKlansman"。

1970年代半ばのコロラド州コロラドスプリングス。ロン・ストールワース(John David Washington)は、地元警察に採用された最初の黒人警官となった。資料室の勤務となったロンに対し、同僚たちはあからさまな差別発言を繰り返し、挑発する。署長のブリッジス(Robert John Burke)に異動を願い出たロンは、クワメ・ツレ(Corey Hawkins)が演説する集会に潜入捜査することを命じられる。クワメ・ツレは「ブラック・パワー」を訴える黒人差別撤廃運動の指導者で、地元で暴動を扇動するのではと嫌疑がかかっていたのである。集会に赴いたロンは、コロラド大学の黒人学生組合の会長で集会の主催者パトリス・デュマ(Laura Harrier)と出会う。クワメ・ツレの訴えにすっかり感銘を受けたロンは、パトリスに声をかける。パトリスがツレを滞在先へと送り届けた後に落ち合うと、彼女は地元の警察官に車を停められ、暴言を浴びせられたうえ体を触られ、抗議すると銃を向けられたと怒りに震えていた。その警官の名を知りたがったが、パトリスはそれどころではなかったらしい。警官を敵視するパトリスにロンは複雑な心境であった。公安部に配属となったロンは、地元紙に掲載されたクー・クラックス・クラン(KKK)の広告を目にする。彼は白人を装って電話し、コロラドスプリングス支部会長ウォルター・ブリーチウェイ(Ryan Eggold) と話して入会の意思を伝える。ロンは、同僚のユダヤ人フリップ・ジマーマン(Adam Driver)を「白人のロン・ストールワース」に仕立て上げ、二人一役でKKKの潜入捜査を行う奇策を上司に願い出る。ウォルターと約束した場所に向かうと、そこにはウォルターではなくフェリックス・ケンドリックソン(Jasper Pääkkönen)がいた。 安全のためだとフェリックスはフリップに車を置いたままにさせ、自らの車に乗せて「組織」の集まりに向かう。ロンはフェリックスの車を尾行する。

フェリックスの妻コニー(Ashlie Atkinson)は、夫と同様KKKの思想に入れあげているが、活動の頭数には入れてもらえない。長年自分も活動に参加したいという強い望みを抱え、自分が組織に貢献するチャンスを今か今かと待ち構えている。コニーは、KKKの思想に染まっている点を除けば、料理好きで夫思いの優しい妻なのだ。「善良な」市民がある日テロリストに変貌してしまう。コニーの印象が強く残った。

本編の後に、後日譚として、現在のアメリカが描かれる。アメリカ国旗がモノクロームに暗転すると、そこには白と黒とのはっきりとした境界が現われる。

予告編を見て想定していたよりもシリアスな内容であった(テーマからすれば当然であろうが)。

展覧会『ラファエル前派の軌跡展』

展覧会『ラファエル前派の軌跡展』を鑑賞しての備忘録
三菱一号館美術館にて、2019年3月14日~6月9日。

英国ヴィクトリア時代を代表する美術批評家ジョン・ラスキン(1819~1900)とその画壇に対する影響を紹介する企画。

「第1章 ターナーラスキン」、「第2章 ラファエル前派同盟」、「第3章 ラファエル前派周縁」、「第4章 バーン=ジョーンズ」、「第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術」の5章で構成される。

ラスキンは13歳の誕生日にサミュエル・ロジャーズの詩集『イタリア』を贈られ、その挿絵でJ. M. W. ターナーの作品に出会う。ラスキンは長じて、その作品を蒐集するだけでなく、1843年にはターナー擁護論を『現代画家論』(第一巻)で開陳し、ヴィクトリア朝切っての美術批評家となった。「第1章 ターナーラスキン」では、ターナーの作品とともに、ラスキンが手掛けた植物・建築物などの素描を紹介する。

1848年秋、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイら7名の画学生が、ロイヤル・アカデミーの保守性を弾劾し、ラファエロ以前の表現に範を求めて「ラファエル前派同盟」を結成した。ラスキンはこの運動を高く評価し、1851年に『タイムズ』で擁護の論陣を張り、彼らと交流するようになる。「第2章 ラファエル前派同盟」ではロセッティの作品を中心に、ミレイ、ハント、フォード・マドクスブラウン、アーサー・ヒューズらの作品が紹介される。

「第3章 ラファエル前派周縁」では、ラファエル前派やラスキンの絵画論の影響を受けた画家の作品を紹介する。ウィリアム・ヘンリー・ハントの水彩画や、フレデリック・レイトンの油彩画などに、緻密な自然観察と描写を重視する姿勢がうかがえる。

エドワード・バーン=ジョーンズは、ラファエル前派同盟の作品やラスキンの芸術論に啓示を受け、ロセッティを師として画家の道へ転じた。「第4章 バーン=ジョーンズ」では、彼の《受胎告知》、《マーク王と美しきイズールト》、《赦しの樹》など、物語の劇的な場面を描いた作品を中心に紹介している。

「第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術」では、オックスフォード大学以来の友人バーン=ジョーンズとも多くのコラボレーションを行ったウィリアム・モリスを取り上げる。

ロセッティやミレイの作品に期待していたが、思ったほど魅力的な作品は並んでいなかった。その上、ターナーラスキン、モリスまでを含めたことによって散漫な印象を受けた。「ラファエル前派」展ではなく、「ラファエル前派の軌跡」展であることを会場で痛感することになった。また、作品の解説も中途半端で、作品の描く物語・舞台に入り込むことができなかったことも残念だ。

ラスキンは「自然の意味するものを徹底的に汲みとることのみに専念し、なにものも退けず、なにものも軽んじないように」と自然観察の重要性を説いたという。そして、「素描に取り組むときこそ自身が興味深いと感じるすべての事象をさらに深く熟視できる」と主張した。素描(絵画)ではなく、俳句(文章)についてだが、寺田寅彦は次のように記している。

 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。(寺田寅彦「俳句の精神」)

自然観察は結果的に内省となる。それは何かを作ろうと意図するときに明瞭となる。