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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ラファエル前派の軌跡展』

展覧会『ラファエル前派の軌跡展』を鑑賞しての備忘録
三菱一号館美術館にて、2019年3月14日~6月9日。

英国ヴィクトリア時代を代表する美術批評家ジョン・ラスキン(1819~1900)とその画壇に対する影響を紹介する企画。

「第1章 ターナーラスキン」、「第2章 ラファエル前派同盟」、「第3章 ラファエル前派周縁」、「第4章 バーン=ジョーンズ」、「第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術」の5章で構成される。

ラスキンは13歳の誕生日にサミュエル・ロジャーズの詩集『イタリア』を贈られ、その挿絵でJ. M. W. ターナーの作品に出会う。ラスキンは長じて、その作品を蒐集するだけでなく、1843年にはターナー擁護論を『現代画家論』(第一巻)で開陳し、ヴィクトリア朝切っての美術批評家となった。「第1章 ターナーラスキン」では、ターナーの作品とともに、ラスキンが手掛けた植物・建築物などの素描を紹介する。

1848年秋、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイら7名の画学生が、ロイヤル・アカデミーの保守性を弾劾し、ラファエロ以前の表現に範を求めて「ラファエル前派同盟」を結成した。ラスキンはこの運動を高く評価し、1851年に『タイムズ』で擁護の論陣を張り、彼らと交流するようになる。「第2章 ラファエル前派同盟」ではロセッティの作品を中心に、ミレイ、ハント、フォード・マドクスブラウン、アーサー・ヒューズらの作品が紹介される。

「第3章 ラファエル前派周縁」では、ラファエル前派やラスキンの絵画論の影響を受けた画家の作品を紹介する。ウィリアム・ヘンリー・ハントの水彩画や、フレデリック・レイトンの油彩画などに、緻密な自然観察と描写を重視する姿勢がうかがえる。

エドワード・バーン=ジョーンズは、ラファエル前派同盟の作品やラスキンの芸術論に啓示を受け、ロセッティを師として画家の道へ転じた。「第4章 バーン=ジョーンズ」では、彼の《受胎告知》、《マーク王と美しきイズールト》、《赦しの樹》など、物語の劇的な場面を描いた作品を中心に紹介している。

「第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術」では、オックスフォード大学以来の友人バーン=ジョーンズとも多くのコラボレーションを行ったウィリアム・モリスを取り上げる。

ロセッティやミレイの作品に期待していたが、思ったほど魅力的な作品は並んでいなかった。その上、ターナーラスキン、モリスまでを含めたことによって散漫な印象を受けた。「ラファエル前派」展ではなく、「ラファエル前派の軌跡」展であることを会場で痛感することになった。また、作品の解説も中途半端で、作品の描く物語・舞台に入り込むことができなかったことも残念だ。

ラスキンは「自然の意味するものを徹底的に汲みとることのみに専念し、なにものも退けず、なにものも軽んじないように」と自然観察の重要性を説いたという。そして、「素描に取り組むときこそ自身が興味深いと感じるすべての事象をさらに深く熟視できる」と主張した。素描(絵画)ではなく、俳句(文章)についてだが、寺田寅彦は次のように記している。

 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。(寺田寅彦「俳句の精神」)

自然観察は結果的に内省となる。それは何かを作ろうと意図するときに明瞭となる。