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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ハマスホイとデンマーク絵画』

展覧会『ハマスホイとデンマーク絵画』を鑑賞しての備忘録
東京都美術館にて、2020年1月21日~3月26日。

ナポレオン戦争後に台頭した市民階級に支えられ、自国の芸術家を次々に輩出したデンマーク絵画の黄金期(1800~1864)の作品を紹介する第1章「日常礼賛:デンマーク絵画の黄金期」(16点)、ユラン(Jylland)(ユトランド)半島南部を巡る領土問題を発端とするナショナリズムの高まりが、画家たちにデンマーク固有の風景や文化に目を向けさせる中で発見された、プリミティヴなデンマークとしてのスケーイン(Skagen)(ユトランド半島の北端)に纏わる絵画を紹介する第2章「スケーイン派と北欧の光」(15点)、愛国主義的な芸術観に凝り固まった王立美術アカデミーに反旗を翻した若手画家たちが「独立展(Den Frie Udstilling)」を組織して自由な作品発表の場を提供して家庭生活を主題とする作品などを盛んに描き、また外国の最新の芸術動向導入に役割を果たしたことを紹介する第3章「19世紀末のデンマーク絵画:国際化と室内画の隆盛」(18点)、独立展の設立に関わり、「室内画の画家」として大成したヴィルヘルム・ハマスホイを紹介する第4章「ヴィルヘルム・ハマスホイ:首都の静寂の中で」(37点)の全4章86点の絵画で構成。

 

展示の冒頭には、ハマスホイが新婚旅行先のパリで描いた《画家と妻の肖像、パリ》(1892)が掲げられている。やや微笑みを見せる妻イーダとの対比で画家の顔は緊張しているように見え、内気な性格が伝わる。真横に並ぶ二人の胸像は高さが揃えられることで、「創作活動における、それぞれの役割についての平等性の表明とも捉えられる」。

第1章(LB階)で最初に目に入る作品は、クレステン・クプゲの《フレズレクスボー城の棟─湖と町、森を望む風景》(1834–5)の大画面。湖畔の町の眺望を描く作品は、上半分以上を空にとりながら、最下部の屋根がつくる黒い帯が強く画面を引き締める。中盤に展示されたコンスタンティーン・ハンスンの《果物籠を持つ少女》(1827頃)はかつてハンマスホイが所有していた作品で、ハンマスホイの妻イーダの肖像写真の壁にはこの作品が飾られている。この作品の向かいには、ダンクヴァト・ドライア《ブランスー島のドルメン》(1842–3)が掲げられ、描かれたドルメン(巨石記念物)に目を引かれる。
第2章(LB階)では、オスカル・ビュルクの《遭難信号》(1883)が印象に残る。母親と息子とが、左手にある窓越しに海を方向を見つめる。とりわけ母親の顔には不安の色が濃い。その二人をよそに、母親に抱えられるようにしてテーブルに座る赤ん坊は、皿の上の食べ物を見て手を伸ばそうとしている。皿にはナイフが置かれ、危険が迫ることを暗示している。息子が椅子から立ち上がったような姿勢で描かれていることや、右手にある扉が開かれていることから、急変や動きが強く伝わってくる。ピーザ・スィヴェリーン・クロイアの《スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア》(1893)は、画面手前から奥に向けて広く浜辺を配し、中央奥のやや右側に二人の女性が肩を並べて歩く姿が描かれる。左奥には穏やかな表情を見せる海の柔らかな青色が印象に残る作品。
第3章(1階)では、アルルでフィンセント・ファン・ゴッホと過ごした作家クレスチャン・モアイェ=ピーダスンの《花咲く桃の木、アルル》(1888)が紹介されている。ゴッホの《桃の木(マウフェの思い出に)》(1888/クレラー=ミュラー美術館)と極めて近い構図の作品。「他の多くの人たちより純真無垢な心をもち、もっと抜け目のない連中よりもずっとまっすぐな心をも」ち、「描くものは無味乾燥だが、とても丹念に描いている」とゴッホに評されていたモアイェ=ピーダスンは、「私は最初、彼は頭がいかれているのだと思いましたが、しだいに彼の考えにも体系があることがわかってきました」と、ゴッホの見立て通り素直にゴッホについて語っている(國府寺司「デンマークとポスト印象主義画家 ファン・ゴッホ、モアイェ=ビースダン、ゴーガン」本展図録p.88-89参照)。ピーダ・イルステズ《アンズダケの下拵えをする若い女性》(1892)はアンズタケの下拵えをする黄色いワンピースの女性(モデルは1年前に結婚した画家の妻)。画面には描かれていない右手の窓から差し込む光が彼女の顔と上半身、そして膝の上のアンズタケの載った白い皿を照らしている。皿がレフ板の働きをして作業のために俯く顔と彼女の右手にした指輪とを輝かせ、何の装飾もない壁が妻の「肖像写真」であることを強調するようだ。
ヴィルヘルム・ハマスホイの作品を紹介する、本展の中心となる第4章は、1階展示室の中盤から2階の展示室にかけて。冒頭では、暗闇の中で明るく輝く裸身をさらす《裸婦》(1884)が目を引く。《古いストーブのある室内》(1888)では黒いストーブが隅に置かれた部屋の白いドアが開かれ、その奥に見えるもう1つの白いドアが主人公のように光が当たっている。ストーブは光が当てられることがなくとも役割を果たしていた存在を、部屋の空間は現在を、奥の閉じられた白いドアは未来への期待のようなものを、と過去・現在・未来を描いたとも考えられる。《三人の若い女性》(1895)では、室内で椅子に腰を下ろす3人の女性たちが空間を共有しながら、視線を交差させることはない。干渉することなく共存する三者の存在が描かれている。《ライラの風景》(1905)の点在する3つの木立、《三隻の船、クレスチャンスハウン運河の眺め》(1905)の三隻の船、《室内─開いた扉、ストランゲーゼ30番地》(1905)の3つの開かれたドア、《裸婦習作》(1909–10)の3人の女性たちなど、《古いストーブのある室内》や《三人の若い女性》だけでなく、ハンマスホイの作品には「3」への執着を感じさせる作品が多い。本展のメインヴィジュアルに採用されている《背を向けた若い女性のいる室内》(1903–4)では黒い服を着た女性が画面を背を向けて立つ。画面左からの光線を背けるかのように右下に顔を向けている。壁面に左上に掲げられた絵画と台紙と額縁、壁の装飾が、四角形が左上から右下へと波紋のように広がっていく。モデルの向き、モデルの所作、モデルの服の色、光の差し込む位置などでピーダ・イルステズ《アンズダケの下拵えをする若い女性》と明暗の対照をなしている。とりわけ、ハンマスホイの作品では「レフ板」としてのトレイを黒い服の腕で隠してしまっている点が象徴的。光の存在によって、光の当たらないこと=存在をこそ見出そうとする作家の思想が典型的に表されている。