可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『希望の灯り』

映画『希望の灯り』を鑑賞しての備忘録
2018年のドイツ映画。
監督はトーマス・ステューバー(Thomas Stuber)。
原作・脚本はクレメンス・マイヤー(Clemens Meyer)。
原題は"In den Gängen"。

ライプツィヒ郊外の、アウトバーンから程近い大型スーパーマーケットに、寡黙な青年クリスチャン(Franz Rogowski)が在庫管理係として試験採用される。ルディ(Andreas Leupold)はクリスチャンにユニフォームを支給する際、手首や首にタトゥーを見つけると、袖や衿で隠すよう指示した上で、仕事道具とバッジを与える。ルディは大した説明もせず、飲料担当のベテラン・スタッフであるブルーノ(Peter Kurth)の下へクリスチャンを連れて行き、教育を任せて立ち去ってしまう。ブルーノはクリスチャンに飲料の入ったケースをちょっと整理させると、15分休憩だと言って、タバコを吸いに連れ出す。仕事に戻るかと思いきや、ブルーノはタバコ売り場に立ち寄り、ユルゲン(Matthias Brenner)とチェスを始める。先に持ち場に戻ったクリスチャンは、飲料ケースを整理するうち、隣の菓子売り場で働くマリオン(Sandra Hüller)を見かけて、心を奪われる。そこへユルゲンに勝利したブルーノがようやく戻り、クリスチャンにハンドリフトでパレットを運ばせる。クリスチャンは、パレット回収のクラウス(Michael Specht)の指示を受けながら何とかパレットをフォークリフトに集める。不器用ながらもこつこつ仕事をこなすクリスチャンをブルーノは気に入り、少しずつ仕事を覚えさせていった。閉店後の暗い売場で働き、終業後真っ暗で人気のない駐車場を越えてバス停へと向かい、誰も居ない部屋へと帰って眠り、再び職場へ向かうという単調な生活が繰返される。その日々の中でクリスチャンにとって慰めとなったのは、マリオンの存在だった。休憩室の飲料の自販機でコーヒーをすするとき、運がよければマリオンが訪れ、僅かな会話を交わすことができた。そんなクリスチャンは、ある日、食品売場のイリーナ(Ramona Kunze-Libnow)から、マリオンが人妻であることを知らされるのだった。

スーパーマーケットの在庫管理係の日常を映画として成立させてしまう手腕は、「美しき青きドナウ」の調べに乗せて、暗いスーパーマーケットの通路をフォークリフトが通り抜けていくオープニングから見事。クリスチャンが袖と衿のタトゥーを隠してから売場へ向かうルーティンを繰り返し差し挟みながら、なおかつその後の展開は毎回変わっていく。時折挟まれる波音は、寄せては返す波が繰り返しでありながら、一度として同じ波ではありえないように、単調な暮らしの中の差異ないし変化を強調する。

休憩室に貼られた椰子の木の浜辺のポスター、未完成のジグソーパズル(あるシーンで登場)、暖房器具の前で裸になってイビサ島(だったと思う)感覚を味わうクラウス、そしてラストシーンまで、海のイメージが作品を貫く。夜、冬、雪といったクリスチャンたちの現実に対比する形で、ここではないどこか(あるいは理想郷)としての海(海浜リゾート)が掲げられている。

クリスチャンにとって、スーパーマーケットでの単調な業務をこなすことはけっして容易なことではない。タトゥーを隠すルーティンは、クリスチャンにとって着実な人生を歩むための重要な儀式なのだ。ブルーノは、そのことを心得ている。そして、新しい日々を送るクリスチャンをあたかも我が子のように見つめ、自らの希望を託している。

朴訥なクリスチャンに科白はあまりない。表情の変化も少ない。クリスチャンの気持ちは、その行動で表されている。

クリスチャンがマリオンの誕生日を祝うシーン。クリスチャンの不器用なもてなしと、それを喜んでみせるマリオンがともに良い。

音楽の選択が素晴らしい。"Easy"(Son lux)、"Trouble comes knocking"(Timber Timbre)、"Grinnin' in Your Face"(Son House)。

原題は"In den Gängen"。英題"In the Aisles"はほぼ直訳だろう。"aisle"には「スーパーマーケットの通路」の意味もあるので、ドイツ語の"Gang"にもその意味があるのだろう。どうせ邦題をつけるなら「灯り」より「波音」を織り込んで欲しかった。

希望の灯り』という邦題は、アキ・カウリスマキ監督の『希望のかなた』を思い出させた。(タイトルの「希望」以外関係ないが)控えめに言っても最高なので、未見の方は是非ご覧いただきたい。

映画『バイス』

映画『バイス』を鑑賞しての備忘録
2018年のアメリカ映画。
監督・脚本はアダム・マッケイ(Adam McKay)。
原題は"Vice"。

ディック・チェイニー(Christian Bale)は、高校時代に知り合ったリン・ヴィンセント(Amy Adams)の助力でエール大学に入学したが、成績は振るわず、酒と喧嘩が原因で退学となる。ワイオミングに戻り、架線工事作業員として働くも、酒と喧嘩の生活は続いた。飲酒運転で2度目に収監された後、リンに諭されたチェイニーは更生を誓い、彼女と結婚する。1964年のことだった。5年後、ホワイトハウスインターンに職を得たチェイニーは、ニクソン大統領のスタッフであったドナルド・ラムズフェルド(Steve Carell)の下で政治家としての研鑽を積み始める。口数が少なく、言われたことのみを実行し、常に忠実なチェイニーは、ラムズフェルドに気に入られるが、ブリュッセルへの転任には付き従わなかった。その後のニクソン大統領の失脚は、ニクソンと距離があったラムズフェルドにとってはプラスに働いた。ホワイトハウスに呼び戻され、フォード大統領(副大統領から昇格)の主席秘書官となったのだ。ラムズフェルドが最年少で国防長官に転じると、チェイニーが主席秘書官の後釜に納まることになった。1976年にフォードが大統領選に敗れると、チェイニーは下院議員への立候補を決意する。ある日、リンに「酔わないと聞いていられない」と評される演説を終えた後、心臓の発作で倒れてしまう。チェイニーの療養中、リンは夫に代わって遊説し、保守層に訴えて見事当選させることに成功した。チェイニーは1979年から1989年まで下院議員としてキャリアを重ね、ジョージ・W・ブッシュ政権では国防長官を務めたが、予備選に出るには党内での支持率が低いこと、予備選の過程で娘メアリー(Alison Pill)が同性愛者であることを攻撃されることを避けるため、政界を退くことを決断する。チェイニーは資源開発企業ハリバートンのCEOに転じ、家族との穏やかな生活を送るのだった。

権力分立を否定する「一元的統治理論(unitary executive theory)」に魅入られた男チェイニーが9/11をチャンスと見て暗躍する悪夢のような現実を描く。

頭脳明晰なリンがゴロツキであったチェイニーを政治家へと育て上げる手腕。ただ、その背景には、『ビリーブ 未来への大逆転』でも描かれたアメリカ社会における「ガラスの天井」があることをリンが吐露する。

語り手はアメリカ市民のカート(Jesse Plemons)。彼はチェイニーを身内みたいなものだと言う。それがなぜかは最終盤で明らかにされる。

「vice-president(副大統領)」の"vice"は「~の代わりに」を意味するラテン語に由来するようだが、「悪徳」や「悪行」を意味する同じ綴りの"vice"は何に由来するのだろうか。

相続税」を「死亡税」に変える「印象操作」によって高額所得者に対する課税を引き下げるような手口。「FTA」や「移民」の「TAG」や「特定技能(新在留資格)」への言い換えでもお馴染みの、政権の常套手段。

展覧会 ハーヴィン・アンダーソン個展『They have a mind of their own』

展覧会『ハーヴィン・アンダーソン「They have a mind of their own」』を鑑賞しての備忘録
ラットホールギャラリーにて、2019年2月22日~5月18日。

ジャマイカ系イギリス人のハーヴィン・アンダーソンの、ジャマイカの風景をテーマにした絵画を紹介する企画。

《Verdure》は、鬱蒼とした茂みをとらえた作品。様々な緑色が重ね合わされるが、形は曖昧で樹種の識別は難しい。ところどころ垂れるように定着した絵具は、蔦のような植物か、あるいは雨垂れであるかもしれない。

メイン・ヴィジュアルに採用されている《speech bubble》はハマベブドウの木陰の人物を描いた作品。《Verdure》が熱帯をイメージさせるのに対し、黄緑と灰色を中心に淡い色が画面を占めるこの作品では、木がつくる陰もグレーで表され、照りつける強い日差しより、浜辺を吹き抜ける風を思わせるような穏やかな印象を受ける。作者は、両親の故国ジャマイカに自らのルーツを尋ねる。その問いかけこそ「吹き出し(speech bubbke)」に書き込まれているものだろう。大きく枝葉を広げるハマベブドウは、ジャマイカに根を降ろし、子孫を残してきた人々の姿を表している。だが、問いかけるべき相手(黒人男性)は幹の向こう側に佇んでいる。木(ジャマイカ)の奥に広がる海の向こうに目を向けるよう、その人は無言のまま作者へと教え諭す。《speech bubble》の隣には、樹上に立つ(木に「登った」)人物を描いた《Study for Ascension I》があり、より高みから遠くを眼差すよう促している。遠く離れた場所に祖先(さか「のぼった」人々)や戻るべき場所が存在するのだろうか。あるいは、幻影(bubble)を追い求めることなく足下を見つめるべきだろうか。

展覧会 松川朋奈個展『Love Yourself』

展覧会『松川朋奈「Love Yourself」』を鑑賞しての備忘録
Yuka Tsuruno Galleryにて、2019年3月9日~4月6日。

松川朋奈がシングルマザーを取材して制作した「Love Yourself」シリーズを紹介する絵画展。

母と子とを描いた作品を中心に、観葉植物を描いた作品が差し挟まれている。いずれも極めて写実的で、産毛や毛穴のような細部が入念に描き込まれている。また、それぞれに物語を想起させるタイトルが付されている。

《それでも、私が母親であることには変わりない》は、ピアスを外す女性を描いた作品。顔の左下部分(口から左耳にかけて)を画面左上に、左肩を画面右下に、画面の中心はピアスを外す両手が占めている。目に焼き付くのは、手に刻まれた細かな皺の数々だ。ファンデーションで塗り込められることのない裸の手こそ、生きてきたことの証しであり、作者はそこに崇高を見ている。ピアスや指輪などの煌びやかなアクセサリーは、執拗に描き込まれた皺を引き立てる脇役へと退く。表情をうかがうことはできないが、口許を伝う光が心情を訴え、静かな画面の中に潜む出来事へと鑑賞者を誘う。

私は、どんな環境にあっても、ひとり親が自分たちの行いを恥ずべきではない、自分の行動を強く信じるべきだと考えている。日本のすべてのひとり親が、子どもと自分自身を強く愛する気持ちを持つことを願って。

自らを愛することなくして他者を愛せようか。シングルマザーである作者が、同じ境遇にある者へ贈る"Fight Song"である。

展覧会『ピエール セルネ & 春画』(2)

展覧会『ピエール セルネ & 春画』を鑑賞しての備忘録
シャネル・ネクサス・ホールにて、2019年3月29日~4月7日(後期)。

写真家ピエール・セルネの《Synonyms》シリーズと、春画とを合わせて展示する企画。

鈴木春信《稲光》について。
雷雨を避けて蚊帳に逃げ込む男女の姿を描く。一人の男は既に蚊帳の中に入って着物に包まり、女性が後からその蚊帳に入り込む。そこへもう一人の男が、蚊帳に入りきっていない女性の背後から交接する場面が描かれる。
エクレア(éclair au chocolat)の名称の由来の1つに、稲妻(éclair)のように素早く食べるという説があるが、まさにエクレア=稲光のように女性を味わう情景である。稲光を部屋の右上からちょろりと射し込ませているのは、素早く挿入される陽物を表すのであろう。蚊帳と女性の着物も捲られる動作の類比になっている。