可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ライトハウス』

映画『ライトハウス』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のアメリカ・ブラジル合作映画。109分。
監督は、ロバート・エガース(Robert Eggers)。
脚本は、ロバート・エガース(Robert Eggers)とマックス・エガース(Max Eggers)。
撮影は、ジェアリン・ブラシュケ(Jarin Blaschke)。
編集は、ルイーズ・フォード(Louise Ford)。
原題は、"The Lighthouse"。

 

19世紀末。ニューイングランド地方の沖合。立ち籠める霧の中から一隻の船影が浮かんで来た。その舳先には制服に身を包んだ男が2人並び、行く手にある灯台の立つ島を眺めている。上陸した2人は荷物を持って燈台へと向かう。島にあるものは、火山岩と草と低木の他は、灯台だけ。同じ制服に身を包んだ前任の二人組とすれ違う。燈台に附属する宿舎に入った若い方の男(Robert Pattinson)は、設備を確認しながら、ダイニングキッチンでタバコに火を点ける。古い頑丈そうな鍵付きの棚が目に入った。水の滴りが金属管に当たるような音が建物内に高く響く。上階に向かうと、ベッドが2台ある寝室があり、年配の方の男(Willem Dafoe)が柱の陰でベッドパンに用を足していた。ベテランが出ていくと、新入りの男はベッドに横になる。違和感を感じてマットレスの穴の中を探ってみると、人魚の像が出て来た。男は懐にしまい込む。夜、2人は食卓を囲む。魂切る蒼白の死が海の深淵に我々を沈めども、頽瀾を察知されし神が必ず救済せん…乾杯! …若いの、乾杯を避けるのは縁起が悪い。飲酒は禁止だと規則にあったから。ほう、若いの、字が読めるのか、だったら上官に従うことも規則にあったろう。新入りはコップに入った酒を手に席を立つと酒を捨てに行き、水を入れてテーブルに戻ってくる。乾杯。男は思わず水を吐き出す。若いの、明日は宿舎・時計の清掃だけでなく貯水槽の浄化にも取りかかれ。分かりました。了解と言え! …了解。

 

19世紀末のニューイングランド沖の孤島。4週間にわたり灯台の管理を担当するため、ベテランのトーマス・ウェイク(Willem Dafoe)とともに、カナダで樵夫をしていたイーフレイム・ウィンズロー(Robert Pattinson)が赴任する。宿舎の清掃、回転動力のための缶焚き、灯油の運搬などをトーマスから命じられるイーフレイムは必死に業務をこなしていたが、トーマスは灯器の管理を独占し、イーフレイムが灯籠に足を踏み入れることさえ許可しなかった。
サスペンスであり、ブラック・コメディでもある、Willem DafoeとRobert Pattinsonのほぼ2人芝居の「密室」劇。2人が鎬を削る熱演を見るだけでも愉快。

以下、冒頭以外の内容についても触れる。

酒を呑み饒舌なトーマスは、かつて船乗りだったが、足を骨折して船を降りて以来、長年灯台守をしている。カモメには船乗りの魂が乗り移っているとか、前任者はマーメイドを見たと錯乱して死んだとか、イーフレイムに語って聞かせる。他方、寡黙なイーフレイムはトーマスの命令に従っていたが、次々と重労働を押しつけられ、また、人に狎れたカモメに手を焼かされていた。
イーフレイムが夢の中でマーメイド(Valeriia Karamän)を目撃する。だが島で日々を過ごすうち、次第に夢と現実とが交錯していく。モノクロームの映像は夢と現実とを等価に映し出し、両者の境目を曖昧にするのに効果を上げている。
トーマス・ウェイクとイーフレイム・ウィンズローとの関係も次第に曖昧になる。とりわけ、トーマスの科白によって、トーマスの行動がイーフレイムの行動に転換されたりする。それは、イーフレイム・ウィンズローを名乗る男が、実は彼が樵夫をしていた際に見殺しにした(殺した?)男の名を名乗っていて、実は「トーマス」・ハワードであることからも混同が生じることになる。
カモメ(=鳥)や螺旋階段、あるいは音楽の用い方にはアルフレッド・ヒッチコックの作品を下敷きにしているのだろうか。
トーマス・ウェイクは回転する灯器という目に見つめられて、心を奪われ、逃れられなくなっている。トーマス・ウェイクは、イーフレイム・ウィンズローの科白にもあるように、エイハブ船長に重ねられている。灯器は白鯨(Moby-Dick)であり、灯台(lighthouse)は形状からして男根(dick)である。
トーマス・ウェイクが乾杯の際に発する一節の中の"make the ocean caves our bed"の"the ocean caves"は、マーメイドの女陰を指すか。

展覧会 荒川弘憲個展『Jamscape Insectcage』

展覧会『荒川弘憲個展「Jamscape Insectcage」』を鑑賞しての備忘録
Room_412にて、2021年7月3日~11日。

展示室の入口側で映像作品《Jamscape Insectcage》を上映し、スクリーンの奥の空間では絵画と立体作品とを展示する、荒川弘憲の個展。

《Jamscape Insectcage》は、多数のプラスティック製の飼育ケースや虫籠を設置した、周囲を樹木で覆われた山間部の空き地を撮影した約30分の映像作品。青や黄緑の蓋ないし籠や、透明のケースが草地に置かれ、あるいは木に吊されている景観の中、飼育ケースの中を確認してみたり、近くにいた虫を捕らえて飼育ケースに入れてみたり、結露した飼育ケースに指を滑らせてみたり、飼育ケースを通して周囲の光景や空を眺めてみたり、カマキリの巣を手にしてみたり、クモの巣に触れてみたり、一帯を散策したりする。それら作家の動きが、主に作家自らの視座で切り取られている。絵画・立体作品の展示空間とを仕切る黒い布に投映される映像は角丸長方形(大雑把にオーヴァルとも言える)の画面で、ゴーグルないしシュノーケリング・マスクを連想させ、主観的映像であることが強調される。雑木林を切り拓いた風景にこれと言った見所はない。その場所で特段、事件が起きる訳でもない。虫籠や飼育ケースを家に見立てて、宅地造成や過疎化、とりわけ空き家の問題のアナロジーと解することも出来なくはない。だが、作品の核にあるのは、例えば、飼育ケース越しに見る空に流れる雲に虚を突かれるといった微細な感動体験である。作家の映像を通して、恰も茶室の躙り口を通り抜けるように、鑑賞者は飼育ケースの中に入り込まされる。飼育ケース越しの映像は、虫の目線の獲得である。それは、作者の虫を愛でるという所作の模倣でもあり、微視的な変化への感応を可能にする。鑑賞者はグレゴール・ザムザとなり、展示室という虫籠を這いずり回る。

映画『サムジンカンパニー1995』

映画『サムジンカンパニー1995』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の韓国映画。110分。
監督・脚本は、イ・ジョンピル(이종필)。
撮影は、パク・セスン(박세승)。
編集は、ホ・ソンミ(허선미)とチョ・アヌル(조한울)
原題は、"삼진그룹 영어토익반"。

 

1995年。韓国はキム・ヨンサム大統領が国際化の方針を打ち出し、英語学習熱が高まっていた。早朝のウルチロの通勤者の人波の中にイ・ジャヨン(고아성)の姿がある。彼女もまた英語を学んでいた。"I am Lee Ja-young. My English name is Drothy. I like apples." チョン・ユナ(이솜)の姿も見える。"My name is Jung Yuna. My English name is Michelle. My hobby is reading mystery stories. I love myself." 露天商のおばちゃんからトウモロコシを買っているのはシム・ボラム(박혜수)。"My name is Shim Boram. My English name is Sylvia. My hobby is singing. I like my friends." 荷物を抱えて倒れたところを、ジャヨンとユナ抱き起こす。"I work for Samjin Company. I think Samjin group is the best. My dream was a career woman. My dream comes true!"
サムジン電子の人気の無いオフィス。デスクの上には吸い殻の溜まった灰皿や書類が散乱している。ジャヨンはヘアゴムで髪をまとめると、今日も頑張ろうと気合いを入れ、ブラインドを開け、ゴミを捨て、モップをかける。ジャヨン同様、高卒の女性社員たちはそれぞれの部署で清掃を行うと、給湯室に集まってインスタント・コーヒーの準備をした。コーヒー、ミルク、砂糖の配合を上司の好みに合わせて入れていく。やった、12秒! 準備の最短記録達成に悦に入るジャヨン。ユナが皆に質問する。なぜ女性が働くか分かる? 産業革命のときには、人手不足だったから。でも今は賃金が安くて済むから。妊娠したらお払い箱。総務部のキム先輩(이봉련)がそうだったでしょ? 彼女が私達の将来像なの。私は結婚しないで代理になる! ジャヨンは言い張る。3カ月以内にTOEICで600点を取得すれば昇進させるとの通達が社内に掲示されていた。昇進させるなんて信用できない、リストラ候補を探してるんじゃない? だいたい今辞めていくらもらえると思ってるわけ? ボラムが暗算する。1100万ウォン! 大卒なら数倍はもらえるわ。あー、会社辞めて海外行きたい。ヨーロッパに高飛び! パリでショコラとクロワッサン!

 

ソウルにある一流企業・サムジン電子。その生産管理3部に所属するイ・ジャヨン(고아성)は、部内の資料の管理能力に長けるだけでなく、社員のニーズを把握した半歩先の対応を人知れず行っていた。だが、彼女は大卒ではないために雑用しか任されず、後輩のチェ・ドンス(조현철)の部下に甘んじている。3カ月以内にTOEICで600点を取得すれば昇進させるとの通達に発奮した彼女は、洗濯機から独立した乾燥機の開発という夢を実現するためにも、英語の勉強に励んでいる。ジャヨンはドンスとともに、常務に栄転した会長の息子オ・テヨン(백현진)の荷物を引き取りに、彼の前任地であるオクジュの工場へ向かった。水槽の金魚を廃棄するのは忍びないと近くの川に放流しようとしたジャヨンは、大量の魚が浮いているのを発見する。

イ・ジャヨン(고아성)は、清掃、資料管理、飲み物やタバコの補充その他、部内の人々の仕事が円滑に進むために必要なあらゆることに行き届いている。のみならず、後輩のチェ・ドンス(조현철)にホン・スチョル課長(이성욱)に報告させるオクジュ工場の排水問題では、書類の作成能力でも手腕を発揮する。ソウルで働きたいと努力を重ね、一流企業のサムジン電子に就職した彼女は、愛社精神に富んでいる。愛する会社が社会に害悪を引き起こすことを知り、葛藤する。
チョン・ユナ(이솜)はもともと秘書をしていたが専務との関係がこじれてマーケティング部に配属となった。コピーやコマーシャルに関する課題解決能力も有している。シニカルな態度をとるのは、高卒の女子社員の置かれた状況を踏まえ予防線を張っているためである。推理小説マニアで、名探偵よろしく、しばしば疑問文で会話を切り出す。第一発見者を疑うなど定石を踏む推理手法で、ジャヨンらとともに会社の不正の全容解明に尽力する。
シム・ボラム(박혜수)は数学の能力に長けており、会計部での経理業務を迅速にこなしている。もっとも、会社から要求されるのは、数字の帳尻合わせであり、部下思いのポン・ヒョンチョル(김종수)部長の退職も相俟って、仕事に空しさを感じている。
一般職のジャヨンらの存在は、業務の円滑な進行に不可欠で、周囲からも頼りにされているが、人事評価には反映されず、自らのアイデアを実現する権限も無い。何かを実現するためには、総合職の社員を介してアプローチする他ない。
工場の汚水流出調査をめぐる不正を摑んだジャヨン、ユナ、ボラムが密かに探偵するうち、社内の権力争いのみならず、会社支配をめぐる企業の暗躍など、会社をめぐる闇が次々と明らかにされて、3人は、自分たちの力を遙かに上回る力と対決せざるを得なくなる。
サムジン電子がフェノールを流出させた後の抗議行動を描いた場面では、会社建物の前の抗議行動で破壊された自社製品などをジャヨンらが片付けるシーンがある。日本の刑事ドラマ『踊る大捜査線』では、発砲事件の捜査の際、道端を這い回って薬莢を探し回ったり、交通整理をしたりと、所轄警察署署員の地道な仕事が描かれたことを想起させた。
原題は、英題"Samjin Company English Class"が直訳に近い。ジャヨン、ユナ、ボラムを始めとする一般職の女性たちが受講する英語の講習会(講師役:타일러 라쉬)のこと。『サムジンカンパニー1995』という邦題は、80年代のアメリカ社会を背景とした『ワンダーウーマン 1984』(2020)の影響もあるのだろうが、例えば「サムジン電子の英語講習会」のようなタイトルより、作品をうまく伝えている。
1991年に起こった洛東江フェノール汚染事件(낙동강 페놀 오염 사건)がモティーフの1つとなっている。

映画『走れロム』

映画『走れロム』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のヴィェトナム映画。79分。
監督・脚本は、チャン・タン・フイ(Trần Thanh Huy)。
撮影は、グエン・ビン・フック(Nguyễn Vinh Phúc)。
編集は、リー・チャータメーティクン(Lee Chatemetikool)とチャン・タン・フイ(Trần Thanh Huy)。
原題は、"Ròm"。

 

サイゴンにある老朽化した集合住宅。その屋根裏の隙間を寝床にしている少年ロム(Trần Anh Khoa)は、来る日も来る日も2つの数字の組み合わせに思いをめぐらせている。例えば、予め並べてある空き缶をパチンコで狙い、弾いた缶に付けてあったカードの数字を確認する。労働者の間では、公営宝くじ(Xổ số)の当選番号の下2桁を当てて一攫千金を狙う闇くじ(Số đề)が横行し、住まいを担保に借りた金を闇くじに注ぎ込む者もいた。ロムは、かつて当選番号を予想して的中させたことがあり、予想とくじの売買の仲介とで日銭を稼いでいた。公営宝くじは16時30分から当選発表が行われる。闇くじの購入は16時00分までに「賭け屋」に申し込むことで行われるが、闇くじに関わるのは違法であるため、ロムのような「走り屋」と呼ばれる仲介人に番号を書いた紙と賭け金か約束手形を委ねるのだった。「走り屋」は当選すれば仲介料を手に入れられるが、外れれば怒りの捌け口にされる。ロムが集合住宅の住人たちに当選番号を書いた紙を配って回ると、期待外れの結果に、住人たちはロムは追いかけて小突き回す。信用を失うロムの縄張りをフック(Nguyễn Phan Anh Tú)が荒らしていた。

 

闇くじの予想屋兼仲介者として生きる少年ロム(Trần Anh Khoa)の姿を描く。

締切時間の16時に間に合わせるため、公安機関に逮捕されないため、ライヴァルを出し抜くためといった理由で、闇くじに関わるロムはスラムを走り回る。
ロムとライヴァルのフックとの競争は、死闘を繰り広げつつ止めを刺さず、アクション映画の要素に「トムとジェリー」のような追いかけごっこのアニメの要素が付加されている。それは、フックの持つ高い身体能力を彼のアクロバティックな挙措で示すことで、フックがロムに対して手心を加えているとの印象を作っていることで明らかである。
映画『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)のラティカーのようなヒロインは登場しない。ロムは、ひたすら自分を置き去りにした両親の姿を思い求め、それを生きる力に変えている。叩きのめされても、穴に落ちても、ロムは必ず立ち上がる。
斜めの構図、あるいは画面に斜めの線を取り入れる場面が目立つ。ロムの不安定な状況を強調している。
数字に一喜一憂し、あるいは弱者同士で啀み合う構図は、サイゴンのスラムだけに当て嵌まるものでは決してない。普遍的な社会の戯画になっている。

展覧会『エマージング・アーティスト展 (Part 1)』

展覧会『エマージング・アーティスト展 (Part 1)』を鑑賞しての備忘録
銀座 蔦屋書店 GINZA ATRIUMにて、2021年7月3日~11日。

美術手帖』2021年2月号「ニューカマー・アーティスト100」特集で紹介された100組の作家から19名の作家を2期に分けて紹介する企画(2021年7月3日~21日)の前期。青木美紅の刺繍作品12点、浅野友理子の絵画4点、AHMED MANNANの絵画5点、近藤七彩の花器6点、斉木駿介の絵画5点、查雯婷(Chá Wén tíng)の絵画4点、鮫島ゆいの絵画5点、畑山太志の絵画5点、東山詩織の絵画5点、水上愛美の絵画4点の全55点で構成。

鮫島ゆい
《三界のゲニウス》(2021)は、底辺125mm、高さ180mmの鋭角二等辺三角形の画面を持つ。同題・動作サイズの2点があるが、頂角を底角とする二等辺三角形を持つ方の作品は、頂点から反時計回りに角A、B、Cとすると、辺AB上の点Pと角Bからそれぞれ伸ばした線が辺CA上の点Qで直角に交わるように描かれている。その結果画面は、頂点Aを底角の1つとする二等辺三角形APQ、直角三角形PBQ、鋭角三角形BCQの3つに分割されている。これが三界(欲界・色界・無色界、あるいは過去・現在・未来)を表すのであろうか。鋭角三角形BCQの中には、高さの半分ほどの位置に、辺BCと平行となる天板を持つテーブル(?)が描かれ、それにはフラスコのような首部を持つ硝子瓶が置かれている。この硝子瓶は、胴部右下、胴部左上、口部(首部の先)がそれぞれBCQ、PBQ、APQに位置しており、「三界」に跨がっている。瓶に「赤絵式」のように表された人物像(ゲニウスの擬人化?)が見えるPBQが現在であり、「現在」が髪か砂時計の砂のように流れ落ちていくBCQが過去、白を基調に明確な形をとらず混沌としたAPQが未来であろう。それならば、硝子瓶は輪廻を繰り返す人を象徴するものかもしれない。幾何学的形態、古代的なモティーフ、精神性とを混合することで鑑賞屋を読み解きに誘う作品となっている。

青木美紅
《小人の自画像》は、ウィリアム・ハンターのコレクションを中核とするハンタリアン博物館の所蔵品を方形の白いクッションに刺繍で写した作品。建物と樹木を背景に、右手に杖を持ち正面向きに立つ人物の顔と衣装以外は暗色が支配する画面だが、ラメ糸がポップな印象を作って陰鬱な雰囲気とは無縁である。《足が4本ある羊》もハンタリアン博物館の所蔵品に基づき、横向きの羊の形をしたクッションの片面にラメ糸の刺繍を施している。裏面には、動脈・静脈を表すと思しき赤や青の糸が白い布越しに見える。刺繍による模写は、迂遠なようでも、過去に学ぶ(=まねぶ)ための所作であるとともに、例えば「抱き枕」のように、対象を視覚のみならず触覚的にも私有化・私物化することを可能にする。さらには、遺伝子の「転写」のイメージを含んで、オリジナルとの相違(エラー)を呼び込むだろう。

AHMED MANNAN
《蝙蝠が傘と熱》は、緑色の画面に、犬(?)のような頭部と人間のような下半身を持つコウモリを描いた作品。画面の上端がWの形に広げられる一方、画面の下は2箇所で絞られることで、支持体自体が翼を広げたコウモリの形状をしている。頭部はともかく、足は明らかにコウモイとは別物で、翼は垂れ下がるマントのようだ。下腹部に女陰から飛び出す陰茎を持つのは、翼を持ち、哺乳類でありながら鳥類のような飛翔能力を持つこと、すなわち境界上の存在であることを両性具有に象徴させているのだろう。《サファリゾーン》には、サヴァナらしき場所に、ワニのように口を大きく開いた狼(?)が横向きに宙に浮くように描かれ、その下には四肢を開いた獣の姿が表されている。「狼」の開いた口と同じように「く」の形に絞られる画面や、四肢を開いた獣を描くために取り付けられた画布など、モティーフのため世界(≒画面)を自由に改変してしまう手法が心地よい。

東山詩織
《Boundary line》は、画面をいくつもの直線で区切った中を、"ʌ"の形のテント(?)、丸や紡錘状の緑(樹冠ないしトピアリー)、筆記体の"e"のような連なり、格子やネット、色とりどりの矩形などが埋め尽くし、クローンのように似た長い髪の女性たちが随所に姿を見せている作品。繰り返しや連なりのモティーフは唐草文様のような豊饒の象徴だ。"ʌ"の形のテントは陰唇や陰裂のメタファーとなっており、そこから姿を表す女性は、単為生殖によって誕生した存在であることを表す。葉や茎ばかりで花が描かれていないことからも、「受精」を媒介にしない生殖が裏付けられていると言えよう。全てが計画通りに管理された社会、一種のユートピアの表象である。

浅野友理子
《よなよな餅草摘み》は、画面の中央に緑銀の櫛目の内側を持つ淡香の擂り鉢を、周囲に緑の蓬を配している。蓬を摘まむ右手(右腕)、擂り粉木、赤紫の花を付ける茎が、画面中央の擂り鉢へと視線を誘導する効果線のように働いている。