映画『蜜蜂と遠雷』を鑑賞しての備忘録
2019年の日本映画。
監督・脚本は、石川慶。
原作は、恩田陸の小説『蜜蜂と遠雷』。
受賞者が世界トップレベルのコンクールでも受賞を重ね、俄然注目が高まる芳ヶ江国際ピアノコンクール。第10回の記念大会は、審査委員長に嵯峨三枝子(斉藤由貴)、指揮者に小野寺昌幸(鹿賀丈史)を招いて開催される。優勝候補と目されるのは、ジュリアード音楽院に在学し、実力だけでなく甘いマスクで既にファンも少なくないマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)。マサルは会場で栄伝亜夜(松岡茉優)との10年ぶりの再会を果たし喜ぶ。亜夜は母(キタキマユ)の指導の下「天才少女」と脚光を浴びたが、7年前の母の死をきっかけに演奏ができなくなり、表舞台から姿を消していた。再起を期したこのコンクールで入賞できなければピアニストを断念する覚悟だった。マサルはかつて亜夜と「先生」の手解きを受け、亜夜の背中を追って現在の自分があると考えていた。一次予選通過者には、マサルや亜夜の他、地方の楽器店に勤務しながら、妻(臼田あさ美)や息子のような素人にも伝わる「生活者の音楽」を追求する高島明石(松坂桃李)や、最近他界した世界的ピアニストであるユウジ・フォン=ホフマンから推薦を受けた自然児・風間塵(鈴鹿央士)らがいた。二次予選では、菱沼忠明(光石研)作曲の課題曲「春と修羅」に自作部分(「カデンツァ」)が含まれていた。マサルは師でありコンクールの審査員でもあるナサニエル・シルヴァーバーグ(Andrzej Chyra)の指導の下綿密に作り込んでいたが、亜夜は未だに心に適う作品を作ることができていなかった。
原作は読んでいない。監督が『愚行録』(2017年)の石川慶と知って鑑賞することに。
ピアノの演奏を楽しむ(聴く)のではなく、演奏者の緊張や奮闘ぶりをまざまざと体感させられる。撮影の妙もあるだろうが、4人のピアニストたちがそれぞれに良かった。ピアノを演奏する人の判断は分からないが、かなりの技巧を要すると思われる演奏シーンにも違和感は無かった。
それだけに脇を固める俳優たち(但し、平田満、キタキマユ、臼田あさ美、眞島秀和、片桐はいり、Andrzej Chyraを除く)の演技・科白(とりわけ説明的な台詞)が気になった。テレンス・マリック監督の『トゥ・ザ・ワンダー(To the Wonder)』(2012年)くらいまで映像の力で強引に持っていって欲しかったし、その可能性を想像させるような演出も随所に見られた。
雨音が万雷の拍手へと繋がり、世界からの祝福を表現しているのが見事。
希望に溢れた日々(幼年時代ないし青春時代)が終わるとき、続く世界にどう向き合うか。亜夜のように子供の頃に感じた幸福を再度世界に見出そうとするのか、あるいは明石のようにそれまでとは異なる別の希望を求めるのか。いずれにせよ、聞き耳を立てて、幸福を聞き逃さないようにする必要がある。