映画『声優夫婦の甘くない生活』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のイスラエル映画。88分。
監督は、エフゲニー・ルーマン(יבגני רומן)。
脚本は、ジブ・ベルコビッチ(זיו ברקוביץ')とエフゲニー・ルーマン(יבגני רומן)。
撮影は、ジブ・ベルコビッチ(זיו ברקוביץ')。
編集は、エフゲニー・ルーマン(יבגני רומן)。
原題は、"קולות רקע"。ロシア語題は、"Голос За Кадром"。英題は、"Golden Voices"。
1989年、「鉄のカーテン」が開かれて東ドイツ国民の西ドイツ亡命が始まると、ソ連においても、ユダヤ人がイスラエルへの移住を始めた。1990年、ヴィクトル(ולדימיר פרידמן)とラヤ(מריה בלקין)の夫婦もイスラエルへ飛んだ。今や遅しと待ち構えた機内の乗客が次々にタラップを下る中、ヴィクトルは立ち止まり、ラヤの記念写真を撮るために指図する。右だ、もっと右! 一段ステップを降りて! 笑って! 急かされるのも構わずイスラエル到着後初の撮影を終える。空港から、運転手がベンツだと自慢するタクシーに乗って向かった先は、予め話をつけてあった借家。家主が二人を出迎え、部屋に案内される。光熱費別の家賃は目下収入源のない二人には高く、床が剥がれている点など部屋に気になる点は多々あったが、新天地に腰を落ち着けたい夫婦は家主の条件を飲む。二人で食卓を囲むと、ラヤがヴィクトルに乾杯の前に何か言ってとねだる。ヴィクトルが何とか発した新生活に幸多かれと願う言葉に、ラヤは感極まる。二人は、早くに亡命していた知人をラジオ局に訪ねる。ヴィクトル、君の声のおかげで駄作も名作になっていたんだとこっちへ来て知ったよ。二人はソ連で映画のロシア語吹き替えを職にしていた。ところが映画会社の民営化後、若い声優を起用する方針が打ち出されて職を失ったのだ。名画を元に脚本を書いてラジオドラマを放送したい。週2本ペースが希望ですけど、3本でも何とかしてみせますわ。移民が求めているのはドラマじゃない。申請書の書き方とか湾岸情勢といった実用的な情報なんだ。ヴィクトルは舞台に立つ仕事を紹介されるが、考えさせてくれと断る。ラヤは俳優志望だったじゃないと夫を励ますが、ヴィクトルには人前で芝居をする自信が無かった。二人は移民向けのヘブライ語教室に通う。過程ではイディッシュ語こそ話していたものの、ヘブライ語は簡単なコミュニケーションをとるのも難しかった。講師(תמר אלקן)が今日何をしたか生徒にヘブライ語で尋ねていく。ラヤは「葡萄を食べました」のような文を話せるが、ヴィクトルは「無し」や「新聞」のような単語しか口にすることができなかい。ようやく1つ「文」を思いつく。「サダム・フセインは悪だ」。イラクのフセイン政権の動向が日々話題に上り、化学兵器に備えて亡命者にもガスマスクが配られていた。幸せになる話題にしましょうと講師はヴィクトルをやんわりとたしなめる。ヴィクトルはロシア語紙で女性の声を使った仕事の広告を見かけ、ラヤに勧める。ラヤが早速電話してみると、何か喋って欲しいと要求される。言葉に窮したラヤは電話口で歌を歌ってみせる。採用が決まり、ラヤはヴィクトルとともに指定された住所へ向かう。殺風景な工場地帯に立地する怪しげな雰囲気の建物の一室に入ると、女性(טס השילוני)が電話口に向かって喘ぐような声を発している。他にも何人かの女性たちがバラバラに座り、それぞれが絶え間なく艶めかしい言葉を受話器片手に囁いていた。デヴォラ(אוולין הגואל)からテレフォン・セックスの仕事について説明されるが、自分には無理だと断る。デヴォラはラヤの声を評価し、他では望めない高給だと重ねて説得するが、ラヤは固辞する。外で待たせていたヴィクトルには、電話で香水を売る仕事で自分には向いていないから断ったと報告する。ヴィクトルは大家の妻から役所の仕事を回してもらったが、それは屋外でビラを貼って回る過酷な労働だった。暑い最中に歩き回ったヴィクトルは足を痛めてしまう。夫の窮状に、ラヤはテレフォン・セックスの仕事を決意する。
ソ連で仕事を失った声優夫婦が新天地のイスラエルで人生を再スタートさせる姿を描く。
ヴィクトルは芝居のオーディションで演出家から俳優の真似ではなく自分の演技をして欲しいと頼まれることで、ラナはテレフォン・セックスの客に対して情にほだされてしまうことで、自分とは何かという根本的な問いを突きつけられる。ソ連(社会主義)の崩壊とイスラエル(資本主義)の移住がその問題に重ね合わされている。さらに社会主義体制のように確固とした前提であった夫婦の関係の再考をも迫られるのだ。
素敵なエンディングを迎える佳品。